2 月明かりの下で

 そして、十年の月日が流れ――。



 明かり取りの窓から差し込む月光に、男は忌々しそうに頭を振った。

「ったく、眩しいんだよ……」

 半地下に作られた石造りの牢。壁から伸びた鎖に繋がれて身動きの取れない男の顏を、月明かりが容赦なく照らす。

 乱れた黒髪。中途半端に伸びた髭。拷問にも等しい『事情聴取』のおかげで、興行用の一張羅もすっかりぼろぼろだ。奇術師の象徴たる絹張りの帽子は、連行される最中にどこかへ消えてしまった。

「奇術師なんてみじめなもんだ。仕掛けがなけりゃ何にも出来やしない」

 乾いた笑い声が石牢に響く。

 《稀代の術士》ロベール・ヴァン=グラード。放浪の奇術師は今、この上ない窮地に追い込まれていた。

「ツケが回ったってのは、こういうのをいうのかねえ」

 諦めの境地で独りごちる。どうせ誰も聞いていないのだ、月相手に愚痴をこぼすくらいは許されるだろう。

「そもそも、この町に来たのがそもそもの間違いだったんだよなあ」

 旅の途中で何気なく立ち寄った町は、主要街道から外れてはいたものの、そこそこの賑わいを見せていた。しかも運がいいことに同業の輩がほとんどいない。これは稼ぎ時だ、と色気を出したのが間違いだった。

 旅芸人の一座はおろか、冒険者の姿すら見かけない町。それにはきちんと理由があったのだ。

「領主が魔術嫌いだなんて、時代遅れにもほどがあるっての」

 町中での魔法はご法度。疑わしき行動も慎むように。そう警告されたが、だからと言って諦めるような男でもない。しかも、同業者が揉め事を嫌がって近寄らないせいで、町の人々は娯楽に餓えており、慎重に探せば需要はいくらでもあった。

 まずは路地裏で遊ぶ子供の前で、続いては酒場や食堂の片隅で。徐々に客を掴んでいき、時には請われて個人宅で技を披露することもあった。そうやって地道に足場固めをして、ようやく広場の片隅で大がかりな興行を、と張り切ったところで、男はたちまち捕らえられ、領主の前に引き出されたのだ。

 魔女の呪いに苦しめられた過去を持つ領主は、憎しみの篭った瞳で男を睨みつけ、「悪しき魔法使い」と罵った。

 自分は魔術士じゃない、すべての奇術にはタネがある、と声を嗄らして主張するも一切聞き入れられず、領主はただ一言「死刑」と宣告して去っていった。

「あのクソ領主め……てめえが若気の至りで魔女にちょっかい出して呪われたからって、魔術全般を目の敵にすることはねえだろうがよ」

 もっとも今回の場合、重要だったのは『怪しげな術で民衆を惑わせた』というお題目ではなく、領主の愛妾宅に招かれて請われるままに奇術を披露し、ついでにちょっとばかし親密になったことの方だろう。

(領主の愛妾だと知ってたら手ぇ出さなかったのに……!)

 その愛妾はといえば「私は騙されただけ、あの男に魅了の魔法をかけられて抗えなかったの」などと涙ながらに許しを請い、まんまと絆された領主によってお咎めなしとなったようだが、手を出した方はそうもいくまい。

 ちなみに、この町の古めかしい法律では、姦夫と魔法使いは火あぶりと決まっているらしい。今回は両方だから焚き付けを倍に増やしてやる、などと嬉しくない心遣いをされて、刑の執行はいよいよ二日後だ。

「いよいよ年貢の納め時ってやつか」

 自嘲めいた笑いを浮かべたその時、ふいに牢内が暗くなった。

「……?」

 見上げれば、明かり取りの小窓からこちらを覗く人影らしきもの。そして――。

「やっと見つけた」

 頭上から降ってきたのは、余りに場違いな――朗らかな声。

「誰だ!?」

 思わず立ち上がり、遥か頭上の窓を睨みつけるも、月影が邪魔をして顔を拝むことは叶わなかった。

「約束したのに。忘れてたんでしょ?」

 咎めるような声音。一体何のことだ。そもそも、こいつは誰だ。眉を顰める男に、くすくすと軽やかな笑い声が降ってくる。

「約束破ったら、何でも言うことを聞いてくれるんだよね?」

 その言葉が、記憶の海を揺らす。遥か――そう、もう十年も昔に、寂れた村で交わした、一つの約束。

「ああ……ああ、そうだったな」

 純朴な子供相手に期待を持たせるようなことを言って、無謀な約束を取り付けた。しかもそれを今の今まで、きれいさっぱり忘れていた男は、後ろめたさを隠すように、でもお前、と問いかける。

「お前の方はどうなんだ。俺の言ったこと、全部出来るようになったのか?」

「もちろん!」

 しゅん、と湯が沸くような音が響く。

 次の瞬間、男の目の前に現れたのは、黒の外套に身を包み、とんがり帽子を被った――若き魔女。

「お前っ……女だったのかよ!?」

「驚くところはそこ?」

 むう、と膨れてみせる魔女に、いやいや悪かったと頬を掻く。

 十年の歳月は、痩せっぽちで鳥の巣頭の子供を、柳のようにしなやかで溌剌とした娘へと変貌させていた。白髪と皺が増えただけの男とは雲泥の差だ。

「そうか。お前――魔法使いに、なれたんだな」

 一気に老け込んだ気がしてどさりと腰を下ろす男に、魔女はそうだよ、とトネリコの杖を振って力説する。

「畑仕事の合間に一生懸命勉強して、お母さんや村の人達にもちょっとずつ教えてもらって、読み書きも計算もできるようになったの。神官様にお願いをして、創世神話も覚えたよ。畑の土を耕すついでに、いっぱい丸も書いた。トネリコの苗木はすくすく育って、たったの三年でボクの背を越しちゃった」

 それなのに、肝心の『師匠』はいつまで経っても戻ってこない。三年経っても五年経っても、彼の噂すら聞こえてこなかった。

「困ったなあと思ってたら、知り合いの伝手で、近くの町の大きな商店で住み込みの仕事を紹介してもらえてね。そこで働いてるうちに、昔『魔術士の塔』にいたっていう魔法使いと知り合って、魔術を教えてもらったの」

 男の手元に手をかざし、歌うように呪文を唱えれば、頑丈な鉄の手かせが真っ二つに割れ、ごとりと床に落ちる。

「ボク、ちゃんと約束を守ったでしょ?」

 えっへん、と得意げに胸を張る若き魔女。約束を守るどころか、その先に続く道を自力で切り開いた彼女。その逞しさとひたむきさが、男には眩しいばかりだった。

「なるほど、お前には魔法使いの素養があったってわけだ」

「えっ? それを知ってたから、弟子にしてくれるって言ってくれたんじゃないの?」

 驚く魔女に、男はそんなわけあるか、と大仰に肩をすくめる。

「俺は奇術師だ。他人の魔力を感知することなんかできやない。ただの偶然さ」

 努力すれば誰でも魔法使いになれると思っていた幼少時。魔法使いの出てくる物語を読み漁っては、断片的な情報を繋ぎ合わせて、独学で修行をした。

 それが無駄であると知ったのは、たまたま故郷にやってきた旅芸人の一座、その一員である魔術士が放った言葉。

『魔力を持たない者は、魔術士にはなれない』

 彼の夢と努力は、その一言で砕け散った。

 ヤケになった彼は旅芸人から奇術の基礎を学び、やがて子供騙しの奇術で日銭を稼ぐ、ケチな奇術師となったわけだ。

「それでも、あの日見せてくれた奇術は魔法みたいだったよ」

 真摯な瞳に、いいやと頭を振る。

「慰めはいらん。魔術と奇術は違う」

 魔術にはタネも仕掛けもいらない。世界率に干渉し、望む因果を導き出す。一方、奇術はタネと仕掛けが必要だ。それらがなければ、鍵のかかった地下牢から大脱出、などという定番の脱出劇すらこなせない。

「師匠、ボクは――」

「師匠なんて呼ぶな。俺はただの奇術師だ。人を騙して小金を巻き上げて、しまいには魔術嫌いの領主に目をつけられて、このざまだ。おっと、お前もさっさとこの町を離れた方がいいぞ」

 俺みたいに投獄されかねないからな、と嘯けば、鼻で笑われた。

「生憎と、ボクは領主の愛妾に手を出したりしないもん」

 冷や汗を掻く男に、若き魔女は腰に両手をあてて、挑発的な視線を向けてくる。

「ねえ、ボクの願い事、何でも聞いてくれるんでしょ?」

 きらりと輝く眼に不穏な気配を感じとり、ごくりと喉を鳴らす男。

「お前ね……。ここで処刑を待つだけの俺に、何をしろっていうんだ」

 恐る恐る問いかければ、にんまりと笑われた。

「ボク、見たいなあ。師匠の本気」

「……はあ?」

 すいと身を屈め、あのねえ、と耳元で囁く。耳打ちしながら笑みを深める魔女に対し、男の顔色はどんどんと青ざめていき――最終的には紙のように真っ白になった。

「お前、なんつー無茶を……」

「稀代の術師ロベールの、一世一代の大舞台だよ? そのくらい派手にしないと!」

 くるりと身を翻せば、萌黄色の裾がふわりと揺れる。

「ボクのお願い、叶えてくれるよね?」

 ぐっと顔を寄せ、笑顔でそう迫る若き魔女に、男はこくこくと頷くしかなかった。

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