ホンモノの魔法使い
小田島静流
1 一夜限りの夢舞台
「紳士淑女の皆々様! 今宵お目に掛けますのは、稀代の術士ロベール・ヴァン=グラードがお贈りする一夜限りの夢舞台。どうぞ最後までお楽しみください!」
朗々と口上を述べれば、割れんばかりの拍手が響き渡る。
街道から外れた辺鄙な村。たった一軒しかない宿屋兼酒場は、興行を見ようと詰めかけた人々で溢れ返っていた。
「まずはお嬢さん、札を一枚引いていただけますか? そう、私には決して見せないように。皆さんも覚えてください。お嬢さんが私に見惚れて、引いた札を忘れてしまっても大丈夫なようにね」
ぱちりと片眼を瞑ってみせれば、あちこちで笑い声が弾ける。札を引いた村娘はそばかすの残る顔を真っ赤に染めて、男が言うままに札を戻した。
「それでは札をよく混ぜまして……さあ皆さん、ご注目! お嬢さん、あなたが引いたのは――【黒の道化】!」
束の一番上から奇跡のように現れた札に、どっと沸き上がる歓声。
掴みは上々、あとはどこまで飽きさせずに最後まで持っていくかだ。ここからは長年の勘と、磨き抜いた話術が物を言う。
「不思議なことが起こるものでしょう? しかし一度だけなら、ただの偶然かもしれません。それでは今度はこちらのご婦人! あなたにご協力いただきましょう」
突然の指名にまごつく農婦に手取り足取り説明をして、念入りに札を混ぜてもらう。そうしてすっかり混ざった札の束を華麗な動きで長机の上に並べてみせれば、裏向きに並んだ札の中、一枚だけ表向きになっているのは、先程の【黒の道化】――。
再び歓声が上がり、興奮した村人達が口々に男を誉めそやす。まるで魔法のようだ、いやこれは本当に魔法だろう? 本物など拝んだことのない人々は、素直に瞳を輝かせたり、猜疑心に眉を顰めたりと忙しい。
旅人が立ち寄ることすら滅多にない山奥の村で、たまの来訪者は存在自体が絶好の娯楽だ。それが旅芸人ならなおのこと。そして、こんな子供だましの奇術さえ本物の魔術と信じて大騒ぎしてみせる純朴な村人は、男にとっても実にありがたい商売相手である。
「ねえ、これは魔法? それとも仕掛けがあるの?」
率直に尋ねてきた酒場の看板娘に向かって、ぱちりと指を弾く。そこに現れたのは季節外れの紅い薔薇。きゃあ、と嬌声をあげる看板娘に恭しく花を差し出して、おどけた仕草で肩をすくめる男。
「さあ、どちらだと思います?」
分からないから聞いてるんじゃない、と拗ねる看板娘を笑顔で躱し、集まった人々をぐるりと見渡す。
「さあて、お次は何が飛び出しますやら……おや、ご主人。こんなところから硬貨が――」
ことさら芝居がかった口調でぐっと関心を惹き、観衆の視線を巧みに誘導する。
そうして、次々と披露したのは、男にとってはごくありふれた――しかし、村人達にとってはそれこそ「魔法のような」御業の数々。掌から硬貨が消え、酒杯の中に現れる。帽子からは鳥が飛び出し、指と指の間からは自由自在に銀の玉が現れては消える。
ひとしきり観衆を満足させた男は、やんややんやの喝采に優雅な一礼で応えると、村人からの質問攻めに合う前に、外の空気が吸いたいと言い訳をして酒場の外へと避難した。
「……やれやれ、ノリのいいこって」
看板を照らす角灯の光を頼りに懐を探り、紙巻き煙草の箱を取り出す。
ここのところ実入りが悪いので控えていたが、ここで少しは挽回できそうだから、一本くらいいいだろう。
(たまには自分に褒美をやらんとなあ、うん)
とんとん、と底を叩き、飛び出た一本をひょいと咥えたところで、枯葉を踏んで近づいてくる小さな足音に気がつく。
遅れてきた村人だろうか、と顔を上げた瞬間、勢いのいい声が飛んできた。
「あのっ!」
上気した頬、うるんだ瞳。胸の上でぎゅっと握りしめられたか細い手。部分的に抜き出してみれば、かなりぐっと来る様子だ。――こんな、年端も行かない子供でなければ、の話だが。
縦も横も男の半分ほどしかない痩せ細った体。継ぎあてだらけの服は大きさが合わず、片方の肩がずり落ちている。夜闇の中でも目立つ赤髪は櫛が根負けしそうなくらいに絡まっており、まるで鳥の巣だ。
「魔法使い!」
意を決したように発せられた声は、半ば裏返っていた。
「……はあ」
魔術士と奇術師は混同されやすい。自分でもわざと曖昧に名乗ることが多いから、これは甘んじて受けよう。しかし――。
「ボクを弟子にしてください!」
「はああああ?」
あまりの衝撃に、男の手からとっておきの一本がぽろりと落ちる。慌てて腰を屈め、地面に落ちた煙草を探す男の前で、その『弟子志願者』は猛烈な勢いのまま喋り続けた。
「あなたの魔法、ずっと窓の外から見てたんだ! 凄かった! あんなことが出来るなんて本当にびっくりだよ! ……母さんにも見せてあげたかったなあ」
しんみりとした声音に小首を傾げる。そも、こんな時間に子供が独りで外にいることもおかしいではないか。
聞けば、子供は病弱な母と二人暮らしをしており、生活を支えるため、学校にも行かずに畑仕事や宿屋の手伝いをしているのだという。
男が村人相手に技を披露している間も、この子供はずっと外で掃除や水汲みをしていたと聞いて、さすがに驚いた。
「こんな時間まで? いくらなんでも扱き使い過ぎだろう」
日はとうに暮れ、夜空には月が輝いている。子供なら眠りについていてもおかしくない時間だ。
「でも、いつも余った食べ物をくれたり、薬代を肩代わりしてくれたり、色々お世話になってるから。恩返しするためにもいっぱい働かないと! ……それに、今日はそのおかげで、他の子達が見られないものを見られたから」
どうしても興行が見たくて、窓の外を掃除しているふりをして、こっそり覗き見ていたのだと、子供は恥ずかしそうに笑った。
「そいつはどうも……。楽しかったか?」
「とっても面白かった!」
即答した子供は、だから、と最初の台詞を繰り返す。
「お願い、ボクを弟子にして! 魔法使いになれたら、色んなことが出来るようになる。そうしたら、母さんを楽しませられる。もっといい暮らしだって出来る、そうでしょ?」
ほとんど直角に頭を下げてくる子供に、男はおいおい、と天を仰いだ。
よく考えてほしい。いい暮らしが出来ているなら、こんなところで貧乏人相手に日銭稼ぎなどしているわけがない。
(……ま、魔術と奇術の区別がつかないんじゃ、そんなことまで考えが及ぶわけもない、か)
自分はただの、けちな奇術師だ。そう真実を告げてあしらうことも出来たが、あまりにも純真な瞳で見つめられて、つい――魔が差した。
さり気なく煙草を懐に戻し、乱れた髪を掻き上げて、大仰に両手を広げる。
「俺は弟子を取らない主義なんだが、才能のあるヤツなら考えを改めんでもない。さて……お前は何が出来る? 読み書きは? 計算は?」
問うごとに、その瞳から輝きが消え、勢いよく天を指していた癖毛がしんなりと垂れ下がる。
「おいおい、そんな初歩的なところから教えなきゃならないなんて勘弁だぞ」
「……ごめんなさい……ボク……何もできないんだ」
項垂れる子供の頭をがしがしと乱暴に撫でて、男はおもむろにこう尋ねた。
「――お前、名前は?」
「リオ」
「よし、リオ。こうしよう。実は、俺はまだ修行の旅の途中なんだ。この村へはたまたま立ち寄っただけで、またすぐ出立しなきゃならん。次にここに来るのは……そうだなあ、早くて三年後になるかな。それまでに、これから俺が言うことが出来るようになっていたら、お前を弟子にしてやろうじゃないか」
「分かりました、師匠!」
即答するリオ。気が早いなと苦笑を漏らしつつ、それじゃあ、と指折り数えて条件を告げる。
一つ、共通語の読み書き。一つ、四則計算。一つ、創世神話の暗唱。一つ、道具なしで完全な丸を書く。一つ、トネリコの苗木を植えて育てる――。
「読み書き、計算、神話の暗唱……」
一つ一つ、確かめるように復唱し、力強く頷くリオ。
「絶対にやり遂げる! だから――約束だよ」
ついと差し出された細い小指。それは子供同士で交わされる約束の作法。それを真剣な顔で求められ、苦笑交じりに小指を絡める。
「ああ、分かった。約束だ」
小指を絡めて、心を重ねて――。大仰な誓いの文句は、相変わらず有効なようだ。
「約束を破ったら――何にする?」
これもまたお決まりの文句だったから、男はそうだな、と顎を掴み、ぱっと思いついたことを口にした。
「約束を破ったら、相手の願い事を何でも一つ聞く、っていうのはどうだ」
「分かった!」
嬉しそうに笑い、絡めた指をぶんぶんと振って、勢いよく引き離す。そうして、神聖なる誓いを取り付けたリオは「約束だからね!」と手を振りながら、来た時と同じように枯葉を踏みしめて去っていった。
夜闇に消える小さな背中を見送って、ぽりぽりと頭を掻く。
「柄にもないこと、しちまったなあ」
一服し直す気にもなれなくて、酒場の扉をぐいと押せば、どっと溢れてくる賑わい。待ってました! と煽てられ、赤ら顔をした男達の輪に加わる。
「さあ、色男! これがうちの村自慢の酒だよ! 飲んで飲んで」
「今日は村長のおごりだってさ。ぱあっとやってくんな」
次から次へと注がれる酒を呷るうちに、先程交わした約束は記憶の奥底へと押しやられ――翌朝、二日酔いの頭で寝台から抜け出した頃には、約束を交わした子供の名前も顔も、何もかもが忘却の彼方に消え去っていた。
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