13−5

 都市の中心部に向かって進む車はちょうどスクエアに差し掛かった。信号が赤に変わり、アマーリエは止まった景色を、スモークの窓越しに眺めやった。

 電光掲示板はニュースやCMを次から次へと映し出している。流れてきた飲料水のCMには、アマーリエの知らない少女がいつの間にか起用されていた。女優の卵が受け持つという広告だから、きっと最近デビューしたのだろう。

 向こうに見える歩行者天国では、人の群れがひっきりなしに行き交っている。若い女性たちは流行りなのか膝をむき出しにした短いスカートを履いて足を見せ、髪を金や茶、あるいはもっと鮮やかな色に染めていた。こんな日でも変わらず仕事をしているスーツ姿のビジネスマンの姿もある。そうして目に止まるのは、きらびやかな着物に雲のような襟巻きを巻いた女性たちの姿だった。

 信号が青になり、車が再び動き出す。

 通り過ぎる陸橋やビルの間から差し込む日差しで、光と影が明滅する。アマーリエがそっと目を細めていると、運転席に座っていたイリアが言った。

「どう、アマーリエ? 久しぶりの都市は」

 アマーリエはミラー越しに従姉に答える

「うん……ファッションの流行がなんだか変わった感じがするかな」

「そう? アマーリエが言うならそうかもね。やっぱりそういうところが気になるのかしら。雑誌でも持って帰る?」

 アマーリエは苦笑して自らを見下ろした。都市に入るに当たって、リリスの装束では目立ち過ぎてしまうので、仮の服装としてスーツを着ている。スーツだからと最初は特に気にもしていなかったのだが、手にしたときタグが誰もが知っている高級ブランドだったことに気付いて、出所を聞いたらキヨツグからだと言われた、という挿話付きだ。

 そんな彼は自身もスーツをまとって、狭い座席に長い足を伸ばしている。そうしてアマーリエの視線に気付いて、かすかに微笑みかけてくれた。

 車内には助手席にユメが座り、後部座席にはアマーリエとキヨツグが座っている。さらに前方と後方の車両には異種族交流課の職員とリリス族の護衛たちが乗っていた。しかしあくまで非公式な訪問であるため、報道はされていない。アマーリエはあくまで、従姉の厚意で都市を案内されているという態だ。

 そのようにして何故イリアが自由に出来るのかというと、エリートコースに乗って異所属交流課の主任の一人に抜擢されたからだ。これまで目上だった人々を従える立場になったから、やっかみも多いという。

 けれどアマーリエは、内心では、イリアが自分の親戚だからなのではないだろうか、と疑っている。リリス族に嫁いだ人間の親類縁者には、そういう配慮がなされても仕方がないはずだ。幸いにも、イリアは迷惑に思っていないようなので、上手く役立ててくれればいいと思う。

「今日は本当にありがとう、イリア。迷惑をかけてごめんなさい」

「ううん、いいのよ。頼ってくれて嬉しいわ。私も最近ちょーっとアレだったし。気分転換したかったのよ」

「あれ?」

 首を傾げると含み笑いをされた。嫌な予感がして身を乗り出す。

「あれって何? 何かあったの?」

「ちょっと。ちゃんと話すから、席に座ってて」

 笑いながらも強く言われて渋々元の位置に戻ると、イリアは少し間を置いて、極めて軽い口調で言った。

「最近ちょっとモテて忙しいのよねー。私にだけ会議が違う時間で伝えられてたり、回ってくるはずの書類が変なところで見つかったり、ロッカーが荒らされてたり? まあ全部犯人を突き止めて追求してやったけどね! 私って本当にいい女でしょ!」

 あははと笑っているが、全然笑えない。

「それ……大丈夫じゃないよね……?」

 ハラスメントにも程がある事案ばかりだ。まったく喜ばしい状況ではない。

 だがイリアは明るく笑っている。

「ううん、本当に大丈夫よ。主犯の目星はついてるし、どうやってやり返してやろうかって考えてるところなの。嫌がらせされる度に証拠が集まるから、うずうずしちゃうの。ああ、ざまあって言ってやる瞬間が楽しみ!」

「……真面目に心配してるんだけど」

 呆然としながらも、最後には噴き出してしまったアマーリエだった。実に従姉らしい発言だったのだ。

 笑っていたイリアだが、しばらくして黙って聞いているキヨツグと笑いを噛み殺しているユメに言った。

「失礼いたしました。リリスの方々にお聞かせする話ではありませんでした」

 これにキヨツグが答える。

「いや。出世に絡む諸事はどこも同じだと思って聞いていた。くれぐれも身辺には気を付けられよ。御身が傷付くと妻が悲しむゆえ」

「ありがとうございます」

 鏡の中のイリアが笑う。声にしなくとも「惚気られちゃったわ」と言っていることがわかって、アマーリエは恥ずかしく思いながら再び窓の外に視線を投げた。

 車はやがて都市部を抜けて、住宅地区へと入る。

 三角屋根の白い建物の前で下車した。表の看板には『アーリア診療所』とあり、休日の今日は、休診の札を下げて玄関のカーテンを閉ざしていた。

 だがイリアは事前に鍵を預かっていたらしく、さっと扉を開くとアマーリエたちを招き入れた。市職員や護衛は警備のためにあちこちに散っていく。

 久しぶりの母の病院は、化学的な消毒液の香りに満ちていた。同じ医療に携わる場所でもリリス王宮の医局は、ここまで強い匂いはしない。床も、温かみのない無機質な人工素材だなと感じる。

 けれど、待合室に置かれた、使い込まれたソファやテレビ、雑誌や絵本、おもちゃを見ると、ここで過ごした時間が思い出されて、懐かしい。

「アマーリエ」

 低めの女性の声がして、はっと廊下の奥を見ると、水色のセーターにベージュのボトムスを着たきつい面差しの美しい人が立っていた。

「ママ……」

「久しぶり。元気そうね、アマーリエ」

 優しい顔をしたアンナに小走りで駆け寄る。そしてどちらからともなく抱き合い、頬を触れ合わせた。柔らかな母の香りがした。

 挨拶を終えると、そっと後ろにいるキヨツグとユメを振り返る。

「ママ。こちらは……」

「知っているわ。ニュースで見たもの」

 いつでも伸びている背筋のまま、アンナはキヨツグの元に歩み寄る。

 それに対して、キヨツグは静かに頭を下げた。

「お初にお目にかかります。キヨツグ・シェンと申します。後ろの者は私たちの警護を担当するユメ・インです」

「初めまして。アンナ・アーリアです。お会いできて光栄です、リリス族長。護衛の方も、いつも娘がお世話になっております」

 一般的な挨拶を交わして、アンナは言った。

「アマーリエ。二階に着物があるわ。着替えましょう」

「着物? 成人式の……?」

「そうよ。私のお下がりだけれど、良いものだからあなたに着てほしくて準備していたの。でも着付けなんて久しぶりにするから、上手く着せてあげられるか不安だけれど」

 母の見立てなら間違いないだろう。しかし常に洋服でいるアンナに和服のイメージはない。母のことなのできっと本人の言うように下手ではないと思うけれど、アマーリエはいつも自分が身にまとっている衣装のことを思い出して、微笑んだ。

「大丈夫。着物なら、リリスの衣装に似たものがあるから、多分一人で着られると思う。念のために、御前、手伝ってくれる?」

「はい。喜んで」

 ユメがアンナに会釈して、アマーリエの後ろにつく。階段を上がっていると、肩を竦めて微笑した母が義理の息子となったキヨツグにお茶かコーヒーかと尋ねている声が聞こえてきた。

「如何なされましたか?」

 ユメが尋ねる。履き慣れないスリッパでも音もなく近寄れる彼女に、アマーリエは声を潜めて打ち明けた。

「私の母とキヨツグ様っていう取り合わせ、大丈夫かなってちょっと心配で」

 なにせ、政略結婚で、正式な手続きすべてを飛び越えて婚姻関係を結んだ相手だ。アンナはキヨツグの顔を知らなかっただろうし、どのような人物かも聞いていないはずだ。リリスの国に足を踏み入れたこともない。

 そして結婚相手を自分の親に会わせるなんて状況も、生まれて初めてで心配だった。普通なら結婚の前に、この人が結婚を考えている恋人です、と然るべきときに然るべく紹介するものだろうに。

 そわそわと落ち着かないアマーリエを、ユメは微笑ましそうに見ている。

「お美しいお母上でいらっしゃいますね。真様とよく似ていらっしゃって」

「そう、かな? 私、父には父の姉によく似てるって言われてたから……――」

 口にした瞬間、それは降ってきた。

 父のあの、求めるような目。声。

『お前はよく似ているよ』

 さっと冷たい手で背中を撫でられたように思えた。

 そしてもう一度階下を見る。母は今日のことを、父に、連絡したのだろうか。

 今月、アマーリエは二十歳になる。来年は二十一歳だ。そして次の年、アマーリエは亡くなったマリアの年齢を超えてしまう。

「…………」

 何か恐ろしいものが近付く予感めいたものに、どく、どく、と心臓が鳴っていた。

「真様」

 気遣わしげな呼び声に、はっと我に返る。とっさに笑みを貼り付けて「行こうか」と階段を上った。

 ただ単に思い出しただけだ。ずっと忘れて入られたその影を。

 でも、と封じ込めていたはずの疑問が浮かんでくる。

 アマーリエとマリアが似ていると言う――父にとって、本当はどちらが影なのだろう?

「……っ」

 ドアノブにかけた手が滑りかけたが、力を込めてぐっと握り、勢いよく扉を開け放つ。いまそれを思い出す必要はない。恐れることは何もない――ないはずなのだから。

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