第2話 朝っぱらから何事だ
どんどんどん!
どんどんどん!
「む……?」
部屋の戸を激しく叩く音で目が覚めた。
一体誰だ、こんな朝早くに。
がちゃ、ぎぃぃぃ……
「グレンさん! 家賃! どうなってんだい!」
うっ、大家さん!
築30年、木造3階建てアパートメント「メゾン・ド・ボナパルト」の大家さんは、かなりのご高齢と察せられるご婦人だがかくしゃくとしておられる。ちなみにこの部屋は3階である。
「おはようございます大家さん」
「家賃!」
「は、申し訳ありません。昨日の報酬が入りましたら速やかに……」
「もう2ヶ月分溜まってんだよ。わかってんだろうね?」
「それはもちろん……」
「本当にわかってんのキャッ!?」
がぶっ!!
大家さんの入れ歯が飛んできて俺の頭にかじりついた!
うう。痛い。
払うべきものを払っていないのだから怒られるのは仕方ない。しかしこんなにピリピリした人だっただろうか?
「とにかく近日中に必ずお支払いします」
「ふん!」
ばぁん!
と、乱暴に戸が閉められた。
危ない。指を挟まれるところだった。
「……」
入れ歯は後ほどそっとお返ししよう。
それにしても、まるで獰猛なモンスターのような大家さんだが、ちょっと前までは姿勢がよくて穏やかで、いかにもお嬢様育ちのおばあさまという感じだったのである。
もしや、大家さんも何か事情があって、お金にお困りなのだろうか。だとしたら性格が歪んでしまった責任の一端は俺にある。たいへん申し訳ない。
大陸最強の消防士である俺もまた、わけあって金に困っている。人間、生きていればいろいろあるのだ。
ばしゃっ、ばしゃっ。
甕に溜めてある水で顔を洗う。
うーむ、やはり昨日、ステブン氏から全財産の半分をもらっておけばよかっただろうか……
いや、だめだだめだ! いくら金がほしいからといって、ルールを破ってはいかん! 俺は公明正大な消防士でありたい!
ばんっ!
窓を開け放つと、路地では朝早くから人や馬車が行き交ってきた。活気ある風景を眺めながら、俺はつい、
「火事はないか……」
と、探してしまう。
医者と同じだ。患者がいなければ稼げないように、こちらも火事が起きてくれないと仕事がない。他人の不幸に依存した因果な商売である。
その時!
ぶるるるる!
ぶるるるる!
机の上の通信石が振動し、赤く光った!
「グレン様、起きていらっしゃいますか?」
うっひょひょう! カンナ君の声は通信石越しでもかわいいなあ!!
「おはようカンナ君! 何事かね?」
「チグリス橋が燃えています!」
「了解! ただちに現場に急行するッ!!」
チグリス橋とは! 王都の中央を東西に流れるユーフラテス川に架けられた橋である! ほんの半年ほど前に開通したばかりでもう火事とは!
などと思っているうちに、俺は現場に到着した!
「失敬、消防士だ! 道を開けてくれ!」
野次馬をかき分ける!
ごおおおお!
ごおおおお!
ううむ、これは大変だ! 橋全体がすっかり炎に包まれている! 対岸の町並みは陽炎でぐにゃぐにゃである!
「グレン様!」
「おお、カンナ君!」
「一体どうしてこんなことに……!」
「原因はわからんが、とにかく消火だ!」
と、走り出そうとする俺の耐火服のそでを、
「お待ちください! 危険です」
と、カンナ君がつかんだ。
つかまれたのは袖ではなく心だ!
「あの状態では突入は不可能です。外から放水すべきです」
確かに危険だ! 俺の必殺技【パシフィック・ストライク】は、俺自身が火災のど真ん中に立たねばならない! だが!
「橋はみんなの共有財産だ! できることなら守りたい!」
「それはそうですが……!」
「カンナ君、俺に【アクアボール】を撃ってくれ!」
「え?」
「いいから早く!」
「は、はい!」
ばっしゃあああん!
カンナ君の【アクアボール】が俺の右ほほを強打した!
くそ痛い!! でも幸せ!!
「これだけびしょ濡れになれば大丈夫だ! 君はここで待っていてくれ!」
「グレン様!」
「任せろ!」
だっ!
と駆け出す俺!
そして、
ばっ!
と燃え盛る橋に突撃し!
だだだっ!
と、炎の中を全力疾走!
しつつ、気力をみなぎらせる!
「いくぞッ!」
【パシフィック・ストライク】ッッ!!
ブワッッッ!!
シュウウウ……
任務完了!
やったぞ! 今回はカンナ君が【パシフィック・ストライク】の範囲外にいた! 「ステキ……」という感情はリセットされていない!
などと浮かれている場合ではなかった!
ぐらり
と視界が揺れたかと思うと!
ガラガラガラガラ!
しまった! 橋が崩れる!
下は川だから地面に当たって死ぬことはないが! 俺は水属性なのに泳げないので溺れて死ぬ! 死んでしまザッパーーーン!!
あぶぶぶぶ!
あぶぶぶぶ!
がぼっ!
いかん、このままでは本当に死ぬ!
「旦那、これに捕まって!」
と、男の声!
差し出されたものに無我夢中でしがみつく!
何だこれは? 小舟をかく櫂か! とにかく助かった!
「かたじけない!」
俺が頭を下げると同時に、
「申し訳ありませんでした!」
男も頭を下げ、我々は危うくごっつんこするところだった。
勘のいい俺は、瞬時にすべてを察した。
「君が火をつけたのか」
「はい」
男は「渡し舟」をやっていたのだ。小舟に客を乗せて川の両岸を往復し、運賃を稼いでいた。チグリス橋ができたことで、彼は職を失った。
「とんでもないことをしてしまいました」
「そうだな」
どんな事情があっても、放火は大罪である。
しかし、仕事がない時のつらさはよくわかる。それに、彼は誰かが転落してきた時に備え、舟に乗って待機していたのだ。根っからの悪党ではない。
「君、名前は?」
「ペドロと申します」
「ペドロ君、君が出所したら、仕事探しを手伝おう」
「本当ですか? ありがとうございます、ありがとうございます……!」
俺はやりきれない気持ちで、彼を警察に引き渡した。
つづく!
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