第2話

 稲葉はこの場面が人生最初で最後の舞台であると自覚していた。


 稲葉に残されたゴッドボールの球数や年齢を考えると、この後再び日本シリーズでマウンドに上がるチャンスがあるわけがなかった。たとえ来シーズン、チームが日本シリーズに出たとしても、稲葉がその時チームのマウンドに残っている確率はほとんどない。それだけにこの舞台では絶対に負けられなかったし、ましてやこの舞台を他の人間に譲るなど考えも及ばなかった。それは島原にとっても同じに違いない。


 この勝負、もし残った2球を使い切った後に島原にゴッドスイングを使われたらと考えると、稲葉はマウンドで膝が震えた。2アウトからの逆転満塁サヨナラホームラン。救援投手にとってこれ以上の屈辱はない。プロ野球史に名を残すことになるこの場面、稲葉はもちろん勝者としてその名を刻みたいと心から願った。


 稲葉はプレートに軸足をセットし、捕手の出すサインを覗き込む。

 捕手の要求はストライクになるインハイのストレートだった。1球目をどうするか決断ができないまま、セットポジションに着いた。どうしたらいい。長い間合いだった。この長い間合いを島原が嫌った。彼は軽く右手を挙げてバッターボックスから離れると、軽くスイングをしながらバットでしきりに腰の当たりをたたいた。島原は緊張が高まると、決まってこの仕草をする。高校以来久しぶりに見る癖だった。

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