第2話「何も変わらない」




「——次は、成木なりき駅、成木駅でございます」



 電車の心地いい振動と 鼻の抜けてない、芯の通った声が閑散かんさんとした車内に響き渡る。節電のため明かりを消している電車を暖かい光が満たし、斜陽が生み出す影の世界が目まぐるしく形を変えていた。



 成木駅は、サクが通う富原高校の最寄りである富原駅の二駅前の駅だ。富原市内ではおそらく二番目くらいに発展している町で、サクの姉が入院している病院も駅周辺にある。

 町も交通の便も申し分ないがいて言うなら、ティッシュとチラシを執拗しつように渡してくるのが超邪魔。



 サクは駅までの途中に冷気に晒され、間違って女性専用車両に入ってしまった時の女性から送られてくる視線くらい冷たい手を太ももと座席の間に挟んで温める。この季節は足元になかなかの温風が出てるけど、末端冷え性の人からしたら効果薄いからね? 温めろ、ふくらはぎより、先手足。




 携帯を触りたいけどそうするとまた手が冷える。サクは手を突っ込んだまま病院の後のことを考えた。寿司を買って帰るのが良いか、自炊がいいか。むしろパスタが食べたい。いやまて、別に買って帰ったり自炊する必要あるか?お持ち帰りはともかく自炊なんて手間がかかりすぎて老ける。そんな時間があるならゲームとかに時間を割くべきだ。食べて帰るにしてもこのあたりに知ってる店などないし、初めての店は謎の抵抗がある。



「うーん」


 より多くの意見を否定することなく検討し、沢山の良案の中で散々迷った挙句あげく、今晩のご飯はパスタにした。仕方ねえよなあ。パスタ美味しいもん。



 今日の朝はパスタに否定的だったことはシュレッダーにかけておき、夕飯がパスタに決まったところで再度到着を知らせるアナウンスが鳴った。



 それから間もなくして電車のドアが開いた。サクは電車から降りると、あまりの寒暖差に思わず体が震え、吐息は白い。夕空へと消えていく吐息を目で追うと、夕陽の眩しさに目を逸らした。あぶねえ。もーちょいで目が焼けるとこだった。


 

 サクは改札を出て、姉が入院している富原病院へと向かった。


 病院に着くと、行き慣れているせいか、急かすような寒さが原因か、サクは時計を見て思ったよりも早く到着した。


 一階の広いエントランスで受け付けの順番を待っていると、体が温まり、気持ち的にも余裕ができた。時間帯的にも人は少なく、サクはすぐに受付に呼ばれた。



「えーと、姉の白瀬 綾香あやかの面会に来ました」


 心も温まったところで少し年寄りじみているが穏やかな声で手続きを済ませていく。これには受付の人も思わず笑顔があふれ出てしまっている。——あ、営業スマイルだった。


 受付を後にして、サクは姉がいる病室へと足を運ばせる。部屋はは六階フロアのエレベーターから出て左に曲がったところにある。

 サクはちょうど部屋から出てきた人と軽く会釈を交わし、中へ入っていった。



 中に入ると部屋はいつもながらきれいだった。窓際には良く分からないが花瓶には白い花が飾られ、クリスマスが近いので控え目ではあるが装飾が施されている。





 この部屋は静かであった。ほかの部屋も静かだがそのほかの部屋より雰囲気的な意味で静かである。


 この部屋の患者はリハビリに行くことがない。行くことができないそれ以前のことだ。皆ベッドの上で身動き一つとることなく眠っている。サクは何度もここに訪れているが、誰かが起きているところは見たことがない。


 


 白瀬 綾香もその一人であった。



 サクは目を固く閉じている姉のそばへと歩み寄った。姉は前に来た時と何も変わっていない。心拍や血圧、他においても全て状態が安定している。顔色もよく、ただ眠っているのと変わらない。——変わらないまますでに三年間経っていた。




 ——三年ほど前の事だった。サクはいつも通り目覚ましにたたき起こされるまでベッドの中で至福の時間を過ごしていた。



 しかし、突如としてその時間は母の手によって消え去った。何をするんだ、と全力を尽くして抵抗したがそれ以上に母は早く起きてと抵抗を許さなかった。


 サクは仕方なく体を起こして珍しく母が起こしに来たことに問いを投げた。すると母は、努めて冷静に話そうと深く息を吐いて



「——綾香が目を覚まさなくなったの」



 何を言われているのかさっぱり分からなかった。サクはまだ夢の中にいるのではと周りを見たがそんなことは無いと分かっていた。姉の部屋に行くと父さんがいた。仕事に行くところだったのかスーツ姿でじっと姉を見つめていた。


 姉を見ると姉は静かに呼吸をして眠っていた。サクは姉が起きないことは分かっていたが、「お姉ちゃん、お姉ちゃん起きて!」と声をかけ続けた。そうする他になにをすれば良いのか中学生のサクには分からなかった。




 しばらくして姉は病院へと運ばれた。サクは両親と病院へと向かいまたしばらくして、色んな物に繋がれた姉と会った。母は唇を噛みしめ、父は姉を見つめ続けていた。サクは心臓がうるさかったが冷静だった。


 医師からは簡単に言えば原因不明の昏睡こんすい状態にある、つまりは植物状態であると告げられた。


「……治療法はあるんでしょうか」

 父は静かに尋ねた。医者は少し言葉を濁したが、「今のところはまだ見つかっておりません」と言い直した。



 それからまたしばらくして姉の入院を希望するかと尋ねられた。容態が安定しているから自宅療養じたくりょうようでも大丈夫だとのことだった。両親はあらかじめ決めていたようで、誰もいないときに何かあっては心配だからと自宅療養を希望しなかった。



 三年前、綾香は高校一年生だった。仲のいい友達が定期的にお見舞いに来ては身の回りの世話をしてくれたが、いつからか来なくなった。



 今は看護師がすべての世話をしてくれている。



 三年前は姉のほうがサクよりも背が高かった。しかし、時が止まったように成長が止まった姉は、今はサクとあまり変わらない。だから、サクは姉と呼ぶのに違和感があった。



 三年たった今、サクには目を覚まさない彼女が姉であることが違和感だった。


 

 サクは何か言おうと思ったが忘れてしまい、結局口をつぐんだ。




 ————病室は、死んだように静かだった。




 


 



 






 





 

 


 

 




 


 


 




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