レモンオブドーン

雪解 水

プロローグ「迷入」

  ——なんなんだ……これは⁉

 ありえない光景を目の前にし、彼は自分の足が震えているのだと気付いた。

 動悸が収まらず、呼吸は浅く乱れている。ただ、目の前の景色だけが彼を支配していた。

 周囲は建物が倒壊し、ところどころ地面が隆起している。




 荒廃した景色——気だるげに立っている人間がいた。その人はポケットに片手を突っ込み何かを待っているかのように赤く染まった空を見上げていた。

 何に対しての恐怖なのか、彼は赤い景色に溶けている違和感をそばにそれに気付かなかった。否、気付いていた。ただ、それを口にしてしまうことを恐れていた。



 怖い。怖い。怖い。こんなもの見たくない。なのに、目を離すことは彼自身が許さない。

 彼は身を隠すことも忘れ恐怖心から漏れ出した純粋な興味と好奇心のなすままに立っていた。



 ——刹那せつな、赤い空に白い輝きが走った。赤い悪意を斬るような光。



 鼓膜を打つ衝撃と視界が白に包まれた後、地面に剣を突き立てて立っている少女が現れた。

 白を基調とした服に身をくるみ、景色とは不似合いな金髪は彼女の高潔さを後押ししている。

 彼女は剣を抜ききる前に一歩で男との距離を詰める。加速を利用して剣を下からすくい上げるように振り上げ、そのまま流れるように高速かつ的確に急所に叩き込む。

 凄まじい衝撃が彼の体内まで振動させる。それほどに威力が凄まじいことは明白だった。


 それなのに、男は倒れるどころか男の体には外傷一つ付いていない。

 彼女は無駄な攻撃だと悟ったか、接近戦から離脱をはかる。しかし、男はそれを許さない。


「ねえ。ほんとに僕を倒す気あんの?」

 神経にさわる声が苛立ちを込めて問いかける。しかし、その問いに彼女の返答はなかった。答えられなかった。


 ——あの一瞬に何が起こったか分からない。彼の目には彼女の首を絞める男の姿が映っていた。


「もしかして、僕のことなめてた?え?そうなら失礼に値するな。温厚な僕も少し腹が立つな」

 男は、剣を振り回し抵抗する彼女から剣を奪い、彼女の腹に剣の柄を入れてけん制する。


 力を入れているようには見えなかった。が、彼女は血塊けっかいを吐き、息ができないのかもがいている。


「あらぁ~~?泣いてるのかなぁ?さっきまではあんなに強がってたのに(笑)まぁ僕もそこまで鬼じゃない。だから土下座して僕の妻になるか殺されるか選ばせてやるよ」


 男は剣を片手で持ち直し剣先を彼女の心臓部に当てて、さっきとは変わっておとなしい彼女の返事を待つ。



  ——やばい、人が死ぬ。



 圧倒的な力を発揮していた彼女を弄ぶその力に、彼は速さを増していく心拍に自分が本当の恐怖に陥っていると分かる。

「俺はどうしたらいい考えろ考えろ考えろっ!」

 形にならずもやになっていく考えに、考えろ考えろという言葉だけが脳内に響く。


「……どうだ?」

 男は冷ややかな笑みを浮かべて彼女を見つめる。




「……」



 苦しさに闘志を残し、殺せと親指で首を切る。

 男は冷めた目で鼻を鳴らした後、静かに剣を引き渾身の一撃を心臓に定める。

 

 このまま見ていることは死を意味する。死を知らない彼にとって死であることは禁忌であり、死を止めないことは自責である。それだけが彼の勇気の糧だった——

「あーくそっ!もうどうにでもなれ!」

  彼は緊張で棒になった足を叱咤しったして男に向かって走る。


「その人を放せこの野郎ぉぉおおお!」

 走り際に掴んだ石をおもむろに男に投げる。石は男に引き寄せられるかのように飛んでいく。


 死角から迫りくる気配に男は不意をつかれて彼女への意識がそれる。彼女は彼女で大きく目を見開き愕然がくぜんとするが、これがチャンスだと迅速な判断を下した模様、男の手から逃れた。彼はふと電光石火とはこの事だと思った。



「背中から来るとはよほど自信がないんだねぇ」


「目の前に背中があって前に回り込むやつそういねえよ」

 苛立った声に彼は余裕を見せつけようと震える声を張り上げる。


「てかさぁ。今僕とこの女の時間を邪魔したことと石を投げたことへの謝罪はないわけ?」


「はいはい。ごめんごめん」


  男は小さくため息を吐いた。





「……死ね」


 最後の言葉を後に剣を逆手に持ち替えて彼へと投げる。



「…………え?」




 剣はすでに彼の胴を貫いていていた。紅血に濡れた剣が地面に落ち、重い音が鳴り響く。その音から意識が戻った後追いついたように痛みがやってくる。


「ああああああああああっっっつぅぅ」

 視界がはっきりしなくなり、空の赤が血に溶けている。腹から出ているそれが臓器だと分かった。


「……っ……そ…がぁ!」 


 抵抗なんてできるはずもなく、男への怒りが大きくなるほど痛みは熱を帯び、燃える痛みに脳が麻痺して思考は錯乱する。倒れ込んだ体は力が入らずどこか痺れている。


 だんだんと終わりが近づいているのが自分でも分かる。地面一面は生温かく、体温は低くなっていく。


 男は彼に背を向けて歩き出すと一瞬で姿を消した。彼女も目には映っていない。




「……はぁ、…っあ。死ぬの……いゃだ。……くそ……っ」

 遠ざかる意識を無理矢理に戻し、どうにかして酸素を取り込もうとする。しかし、それは無駄だと口元から血泡が溢れてくる。


「……あぁ……」



 赤い空と消えていく燈火とうかに強かに燃える憎しみを込めて──





 ────────あ






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