3 彼の右腕

「……だから、カフェの名前に『相棒みぎうで』と?」

「スパイは名を残さない。世の中に名前と顔が知れ渡っているスパイなど二流もいいところだと、彼はよく言っていました。だからせめて、このくらいなら許されるかと思いまして」

 長い昔語りを終えると同時に、薫り高い一杯を差し出してきた店主は、そこで初めて気づいたように「雨宿りには少々物騒な話をしてしまいましたね」と恐縮してみせた。

「いや、実に興味深い話だったよ」

 深みのある香りを堪能しながら、たった今聞かされた『昔話』を頭の中で整理する。

 帝国軍の基地に潜入した彼が、なぜデータを持ち帰らずに行方をくらましたのかは、長らく疑問視されていた。直後に基地が爆発したことから、その爆発に巻き込まれて亡くなったのだろうというのが大方の見解だったが、それに異を唱える者も少なからずいた。彼ほどのスパイがあの程度で死ぬわけがないと、そう主張する者が多数存在したがために、三十年もの間『行方不明』扱いだったわけだ。

「昔語りがてら、もう一つだけ聞かせてくれないか?」

「ええ、なんでしょう?」

「あんたの言う『相棒』がその時に死んだなら――俺の目の前にいるあんたは、一体誰なんだ」

 例の写真を取り出し、飴色のカウンターに滑らせる。三十年前に撮られた横顔は、目の前にいる男と寸分の狂いもない。形のいい鼻、皺ひとつない白い肌。後ろに撫でつけた髪の一房さえも。

「これはこれは……懐かしいものをお持ちだ」

 つい、と目を細める店主。

「はぐらかすなよ。潜入できない場所などこの宇宙に存在しないとまで言われた凄腕のスパイ、ジョン=スペクター。いくら変装の達人だからと言って、三十年前と同じ姿で存在できるはずがない」

 そう、常識的に考えるなら、目の前に佇むこの男がジョン=スペクターであるはずがない。

 ただし、この『常識』には大前提がある。

「――ところで、非公式の記録ではあるが、ジョン=スペクターには確かに『相棒』がいたことになっている。当時最新鋭の汎用アンドロイド『RO‐12アールオー トゥウェルヴ』。パーツを組み合わせて容姿を自在に変更できるのがウリで、同じ姿のものは一台たりとも存在しないそうだ」

 あなただけの特別な一台に――。そんなキャッチコピーがつけられた『RO‐12』は、カスタマイズ次第で特定の人物に限りなく近づけることも可能だ。故に、亡くなった家族や恋人の姿を希望する者、はたまた自分そっくりに作らせる者もいたという。

「死んだのは『ジョン』の方で、『相棒』のあんたはその事実を隠匿するために、ジョンの姿で逃げ回っていた。違うか?」

 調べ上げた情報と、ここに来て知り得た事実。手持ちのカードは全て出し尽くした。あとは相手の出方を待つのみだ。

 静かな店内に、雨音だけが響く。

 降りやまぬ雨を窓越しに見つめ、そして店主は静かに口を開いた。

「なるほど、あなたはとても推理がお上手だ。でも一つだけ勘違いをしておられる」

 写真をそっと手に取り、にっこりとほほ笑む。

「スパイが素顔を晒すことなどありません。だからこれは――諜報部が『ジョン=スペクター』だと思っていた人物は、はなから彼ではないのですよ」

 あまりにもさらりと告げられた、衝撃の事実。

「つまり……つまりだ。最初から、あんたが彼の影武者をしていた? そういうことか?」

「有体に言えばそういうことですね。彼は凄腕のスパイでしたが、プライベートではとてつもなく面倒がりでね。表に出る仕事は全部私に押し付けていたんです。なので、諜報部と繋ぎを取っていたのも私ですし、どうしても公の場に出なければいけない時は、私が代わりに出席していました。畏れ多くも、同盟のお歴々が集う祝賀式典にまで出る羽目になりまして、それはもう冷や汗を掻いたものです」

 汗腺などないくせに、と突っ込みたかったが、そこはぐっと堪えて、代わりにやれやれと溜息をついた。

「諜報部さえ、最初から騙されていたってわけか……」

「騙し合いがスパイの仕事だと、彼はよく言っていました。ジョン=スペクターという名も、もちろん本名ではありません。我々のコードネーム――いえ、『コンビ名』のようなものですよ」

 しれっと答えながら、使い終えたミルを棚に戻す。そして店主は改めてこちらに向き直ると、穏やかな表情で口を開いた。

「彼は言いました。『俺が死んでもジョン=スペクターは死なない。お前が存在する限り、俺達の存在はなかったことにはならない。だから逃げろ。どこかの街の片隅で、しぶとく生き残れ』と。ですから私は諜報部に彼の死亡を告げず、そのまま雲隠れしたのです」

 そうして、あちこちを転々とした挙句、この寂れた町にやってきたのが五年前。この町でカフェを始めたのは、ただの気紛れだという。

「彼が一時期、コーヒーに凝っていたことがありまして。引退したらどこかの田舎町でカフェでも始めるか、などと呟いていたので、実際にやってみたらどうなるのか、興味本位で始めてみただけなのですが……いざ店を開いてみたら、意外に楽しくてね。つい、ずるずると続けてしまいました」

「そのおかげでこっちはあんたを見つけることが出来たんだから、気まぐれに感謝だな」

 周囲との関わりを避け、ひっそりと暮らしている人間を見つけることは困難だ。しかしわずかでも人付き合いがあれば、そこから痕跡を辿ることが出来る。

「しかし、三十年以上も経って、諜報部の方が訪ねて来るとは思ってもみませんでした。私に――いえ『ジョン=スペクター』に何のご用件でしょう。よもや、今頃になって任務失敗を咎められるわけではありませんよね?」

 冗談めかした言葉に、まさか、と大仰に肩をすくめてみせる。

「あんたも一つ勘違いをしてる。戦争終結後、諜報部は解体された。平和な世の中には不要なものだからな。だから俺は同盟の諜報員じゃない。《惑星同盟》改め《惑星連合》加盟国の一つである某王国の、しがない公務員さ。女王陛下直属の――まあ、使い走りみたいなもんだ」

「なるほど。ギゼルダ姫のお知り合いでしたか」

 合点が行ったとばかりに頷く店主。惑星連合加盟国は現時点で百を超えるが、王制を敷いている国家は片手ほど。中でも、女王が治める国はただ一つだ。セインガルド神聖王国。《鉄血の女王》と揶揄される現国王ギゼルダはかつて、自ら部隊を率いて敵地に突撃する《おてんば姫》として名を馳せていた。

「その『女王陛下の使い走り』さんが、この老いぼれに何のご用でしょう?」

 二十代の外見でそんな嫌味を言ってくる店主を一睨みしてから、ごほんと咳払いをして本題に入る。

「女王陛下が『黒の聖堂』に詳しい者を集めて『お茶会』を開きたいんだとさ。その『招待状』を持ってきた。詳しい資料が失われて久しいから、当時を知る者の話が聞きたいそうだ」

 『黒の聖堂』は『帝国軍の秘密基地』。『お茶会』は『緊急招集』。『招待状』は『偽造ID』。なんとも古めかしい符牒だが、三十年を超えて稼働し続ける驚異のアンドロイドにはきちんと通じたらしい。

「なるほど。残党一掃のための緊急招集ですか。陛下のお呼びとあらば、馳せ参じないわけにはいきませんね」

 先の戦争から三十年。今なお燻り続ける帝国の残り火が、ここに来て新たな動きを見せている。だからこそ女王陛下は躍起になってジョン=スペクターを捜していたのだ。

 そもそも、隠し撮り写真の出所が女王陛下の『秘蔵のコレクション』だったことから推察するに、陛下はジョン=スぺクターの秘密を知っていたのではないか。だからこそあれほどまでに「彼は生きている。あんなところで死ぬわけがない」と主張していたのかもしれない。まったく、さすがは《鉄血の女王》。食えない御仁だ。

「しかし、困りましたね」

 こちらも同じくらい『食えない』アンドロイドは、いかにも困り果てた様子で額に手を当ててみせた。

「私は単独行動を許されておりません。あくまで私は『スパイの助手』。仕えるべきマスターが必要なのです」

 なるほど。どんなに人間味溢れていても、彼はやはりアンドロイドだ。命令なしに動くことはなく、しかし命令さえあれば、どんな困難にも立ち向かう。

「つまり、ピン芸人として活躍する気はないってことか」

「ええ。私の持ち味をきちんと引き出してくださる相方がいなくては、良いコントは生まれない。そうでしょう?」

 からかったつもりが、澄まし顔で肯定されてしまった。

「これも何かの縁です。私の主になりませんか?」

 真顔で提案されて、やれやれと頭を掻く。

 もしかして、陛下の狙いはこれだったのか。ここまで見越して、俺にこいつを捜させたのか。

 ここで頷かなければ、このアンドロイドを連れ帰ることは出来ず、結果的にお咎めを食らうのは俺なのだ。

「……俺はずっとピンでやってきたからな。あんたのボケにうまく突っ込める自信がないぜ」

「ご安心ください。私がツッコミですよ」

 嫌味のつもりが満面の笑顔で切り返されて、がっくりと項垂れる。この性格設定は持ち主の意向か、それとも元々のプログラムなのか。どちらにせよ趣味が悪い。

「ではお名前を教えていただけますか、マスター」

 恭しく尋ねられ、咄嗟に本名を答えそうになって、慌てて口を噤む。

 一流のスパイは名前を残さない。だから――。

「今日から、俺とお前で二代目『ジョン=スペクター』だ。そうだろう?」

「はい、マスター」

 よくできました、と言わんばかりの笑みを浮かべて、おもむろに右手を差し出すアンドロイド。

「末永く、よろしくお願いいたします」

「ああ、よろしく頼むよ。相棒」

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彼の右腕 小田島静流 @seeds_starlite

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