週末/終末ウエディング。

プロキシマ

週末ウエディング

鐘の音が聴こえる。

遠くからは、凪の音も聞こえる。うみねこの声がその中に混じって、澄んだ青色を一層蒼く染めている。


突き抜けるような、まっさらな日曜日の青空に鳴り響いた鐘の音は、私達を祝福してくれているようで。青空の中で残響して聞こえる鐘の音を、一瞬たりとも聞き逃さないように、耳をそばだてる。


空と海がこんなにも青く澄んでいるのは、きっとこの大切な瞬間を、人生一度きりの瞬間を両手もろてを挙げて祝福してくれているからだ――そう積極的に考えることにする。


一週間前からずっと、今日の天気が気になっていたのだ。


だから毎晩、天気予報を見てはため息をつき、また次の日もため息をつき、その繰り返し。実は今日は、朝からひどい大雨になる予報だったのだ。


でも、空はこんなに晴れてくれた。本当は雨が降る予定だった雲を、無理やり青空と太陽が押しのけてくれたような、そんな感じがした。

それも、今日の『私達』のためだけに。




―――――――――――――――――




私は不格好で着慣れない白いスーツに身を包みながら、海が見えるこの小さいテラスから身を乗り出していた。


隣には、まだ小さい娘がいた。


娘は私の手を握って、同じように海を見ている。

こんなにも青い海を、こんなにも晴れた空を。


私にとってみれば少し違和感のある衣装…この場合はスーツではなくタキシード、と言うのだろうか。普段はこんな服、絶対に着ないのだけれど。だからこそ、今日の姿は自慢できると思った。少なくとも、隣にいる娘にだけは。


パパ、かっこいいだろ?って。

パパ、今日はいつもと違うんだぞ?って。


でもそんなことを言うのは死ぬほど恥ずかしいから、私は娘が身を乗り出しすぎてテラスから落ちてしまわないないように、その手を少し強めに握り返すだけにした。


そうやって海の香りを楽しんでいると、後方から、誰かが歩いてくる足音がした。その足音はやけに聞き慣れたような、それでいて安心できるような足音だった。


『   様、おくつろぎのところ大変申し訳ございませんが、そろそろお時間のようです』


執事のような格好で無精髭を生やした彼は、スタッフのひいらぎさんだ。

もう時間なので、私を呼びに来てくれたらしい。腕に目を向けてみると、確かにもう10時40分。あと少しでとうとう本番だ。


少し、長居しすぎたらしい。

私のこの時間にルーズな癖は、結婚生活では足枷にしかならないだろうから、なんとかしてすぐにでも治さなければ…


私は隣にいた娘の手を引いて、テラスから衣装道具などが置いてある部屋へと戻ることにした。娘は景色を楽しんでいたようだが、文句も言わず、黙って付いてきてくれた。


やがてたどり着いた、さきほどよりも少し小さい部屋の右隅には、ちょうど私の等身大くらいの鏡が、壁に無造作に立てかけてあった。

ここはとても小綺麗な施設なのに、こういったところが大雑把おおざっぱなようでなんとなく面白い。


私はその鏡に映った真っ白な自分の姿を見て、苦笑する。

――ああ、心もこんなに真っ白だったらなあ、としょうもないことを考えた。


というよりも、『自分』というものは、こんな姿だっただろうか?

タキシードを着ているせいで、いつも日常を過ごしている自分とのギャップになんだか可笑しくなる。娘も、鏡に映った私の姿を見て可笑しいのか、けらけら笑っている。


ああ、今に見ておくが良いマイドーターよ。いざというときになればお父さんファザーも、この白いタキシードがばっちり似合うように、のだ。


『  様、とてもお似合いですよ』


いつのまにか背後にぬっと立っていた柊さんが鏡越しに褒めてくれたので、(嬉しさで)軽く飛び上がりながら感謝した。もちろん私にかけてくれるその言葉は、たとえお世辞でも何でも嬉しかった。



――でも、さらに隣の部屋に行けば。


決してお世辞では言うことのできない、本当に「美しい」姿がある、と想像できた。

たとえそこに行かなくても。たとえその姿を直接見なくても。


脳裏に漫画のようにぽわわわん、と浮かんできたのは、まさに『美しい』としか形容しようがない姿。


彼女の華奢な体に似合った、(おそらく)純白の白いドレスに身を包んだ、私には勿体なさすぎる姿だった。もちろん、いつも美しいから、今日は一段と美しく見えることだろう。


それはまるでテラスの向こうに見える蒼い海や海底に沈んだ宝石のように、きれいで透き通った目をしたあの人が、私のために美しい花を着飾ってくれるようだ。


それは、おお!まさしく浜辺に咲いた、

-うん。ええと、一輪の花のようだ!


いや、なんかただ「花」、というのも芸がないな。

そうだ。ええと、ダイアモンドだ。サファイアだ。ネパールだ!


おお!(両手を広げながら)

おおお!(鳥のように羽ばたきながら)

おおおおお!(夏の浜辺らしきところで)

青い海のように輝くあなたに、ネパール(で良いのだったか)のような一輪の花を捧げよう!きっとあなたの姿は今、ネパール(違う気がしてきた)よりも輝いているだろう!



――どちらにしろこんなこっ恥ずかしいせりふは、本人の前では決して言えないから、心に永遠にしまっておくことにする。


隣にいる娘が、またけらけら笑っていた。

いつの間にか思ったことをそのまま口にしている、という失態を犯していたようだ。


そんなやり取りを見ていた柊さんに、

『本当にお時間です。そろそろ、行きましょう』

と若干強めに促されたので、私は衣装部屋から外に出ることにした。



―◇――――◇――――◇――――◇―



そこには、はるか下へと続く白いらせん状の階段が広がっていた。


階段のふちには朱と白色のコーティングがなされ、手すりにはいくつものリボンと、細い枝が幾重にも重なったような飾りが階下に向かって巻かれている。


さらに見上げてみると、階段の螺旋を囲むように高く造られたドーム状の天井に、いくつもの大きなステンドグラスの窓が見えた。天井に飾られたシャンデリアの光が、七色の天空を飛ぶたくさんの天使たちをいろどっていた。


そこはまるで、地下に広がっている楽園へと降りるための遊歩道とその入り口のようだった。そしてその楽園の入口に、私達二人が立っているのだ。


楽園の入り口をくぐるのは二人だけれど、やがてそれは、三人になる。

三人で、いっしょに楽園へ辿り着くんだ。


『さあ、こちらへ』


柊さんに導かれて、らせん階段への一歩を踏み出す。

隣をやけに静かに歩く娘が、足を踏み外してしまわないように、しっかり手を握って支える。


たとえばきみが、この階段を二段飛ばしで降りられるようになるくらいに成長したら。もう私の手を握らなくても良くなったら。

たとえ寂しくても、精一杯祝福してあげることにしよう。そして恩着せがましく、今日この大切な日に、私がまだ小さいその手を支えていたことを伝えるのだ。


らせん階段の下(私は高所恐怖症なので見られなかったが)へと続く道には、ところどころやはり小綺麗な白い扉があった。娘がいくつかの扉に入りたがったが、またこんどね、と言った。


そしてようやく、らせん階段を半分くらい降りたところで目的の部屋に到着した。


『こちらです』


柊さんが指し示したその部屋の扉は、他のところよりも同じつくりに見えたが、なんとなくその中に人がいるのを感じとれた。


『   様は、すでに準備が整っておいでです』


「そ、そうですか。じゃあ、すぐにでも観られるんですね?」


『ええ、もちろん』


私は冷静なふりをしながら、年甲斐もなく胸を高鳴らせて、ドアノブをそっと握る。ひんやりと冷たいドアノブに相反して、私の手足はやけに火照ほてっている。


『  様、もしかして緊張されていますか?』


「いえいえ、大丈夫です」


私はなぜかドバっと吹き出る汗を隠すように、ドアノブをゆっくり回していく。




―◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―




扉が半分くらい開いたところですぐ目に入ってきたのは、まさに言葉でしか表現できないような、そんな姿だった。


ついさっき、私が恥ずかしい言葉で形容した言葉たちではとうてい言い表せない、というか口にすることすらおこがましいような、そんな美しい姿。

華奢な体と、白いドレスに身を包んだ彼女が、ゆっくりと私の方を振り向く。


ああ、確かに彼女は――


私は振り返った彼女に何と第一声をかけて良いか分からず、ついこのあいだ恋を覚えた少年のようにしどろもどろになってしまう。


「や、やあ」


『             』


「その、とても、だね」


『      』


彼女は照れ臭そうに笑って、それでいてとても嬉しそうな、同時になんだかこそばゆそうな、そんな笑顔を私に向けた。それはまるで、今この時のために。その純白のドレスに身を包むために生まれてきたような、そんな姿。


私は恥ずかしさのあまり、言葉が出なくなって、誤魔化すように窓の外に広がる海に目を向ける。


「あぁ、今日もネパールのような海がきれいだなぁ」


『     』


「ま、まるでその、きみのようだ(小声)」


『      』


「いえ、何も言ってません…」


『  』


「でも、良かった。本当に、きれいだ。本心だよ」


『                         』


「あ、ありがとう。なんか着慣れなくてさ」


『    』


今、ここで私が見ているのは、記憶から永久に消えないように、脳みそに切れない糸のようなもので結びつけておきたい。そう思わせるような、そんな笑顔だった。


「ほら、   も、ママに何か言ってあげなさい」


私の少し後ろの方で手を握りっていた娘が、恥ずかしそうにしながら、私と全く同じ感想を言う。


『              』


三人で、顔を見合わせて笑う。


そうだ、

――私はその笑顔をずっと、守って行こうと決めたから、今日ここにいる。

――私は彼女と幸せになりたいと願ったから、今日ここにいる。

――彼女も私と幸せになりたいと願ってくれたから、今日そのドレスを着ている。


だからこそ、最高の仕方で叶えてあげなければ。

私自身のためにも、そして、彼女自身のためにも。


『失礼ですが、新郎新婦様。』


初々しい新婚夫婦のやり取りを後ろで静かに見守っていた柊さんが、やがて控えめに口を開いた。


『改めまして、本日はご結婚、誠におめでとうございます。喜びもひとしおですが、そろそろ入場のお時間ですので、会場の方に参りましょう』


「分かりました」


『  』


「う゛」


『      』


「うん、大丈夫。また緊張してきただけ」


そこで、娘とは一旦お別れ。

柊さんに手を引かれながら、背中越しにこちらに笑顔で手を振って、先に階段を降りていく。



やがて娘の姿が見えなくなったところで、私は彼女の方を向いて、その手をそっと握る。彼女が当然のように握り返してくれた手が、いつもより愛おしく感じられる。


――そう これは 私と彼女の願い。

二人で一緒に 手をつないでその時を迎えたい。

二人で一緒に 道を歩きたい。

もしかすると文化的には少し違う方法なのかもしれないけれど、私達はこれが一番良いと思った。

いつも こうしてきたから。

これが 一番自然だから。

どんなときも ふたり いっしょに。


私が、ゆっくりと彼女のドレスの裾を持ち上げる。

それを確認してから私も彼女の真横に立ち、ゆっくりと歩を進めていく。


彼女が階段で躓いて転んでしまわないように、ゆっくりと。

緊張しているのだろう、少しうつむき気味の彼女に『笑顔で』と、サインを送る。

彼女もそれを分かってくれたようで、少し固いけれど笑顔を見せる。


大丈夫、ずっとそばにいるから。

その想いが届くように、その手を少し強く握った。




―◆――□――◇――◆――□――◇――◆――□――◇――◆―




らせん階段を降りていくと、少し開けた空間の先に会場へと繋がる扉があった。

扉の周りは、彼女が好きな向日葵の花で飾られていた。扉そのものも、扉のノブも、まるで向日葵の花の一部のようになっていた。


それを見た彼女が、言葉にならない言葉を漏らす。希望通りにしてくれてありがとう。何も言わないけれど、そんな言葉が聴こえてくるような表情を私に向けた。


扉の前に二人で立って、その時を待つ。


彼女が私の方を見て、柔らかい笑顔を向ける。私も彼女に、笑いかける。窓から差し込む海の音と鳥の声とそれ以外の音を、祝福の音であると思い込む。


今日は晴れた。だから、私達を祝福してくれた。

だから、大丈夫。

大丈夫だ。


『新郎新婦の、ご入場です』


やがて聞こえてきたその声を合図に、もう一度彼女と顔を合わせて、そっと開かれていく扉の先に、足を踏み入れていく。

一歩、また一歩。ゆっくりと扉をくぐっていく。




―◆―□―■―◇――◆―□―■―◇――◆―□―■―◇――◆―□―■―◇―




そこには形容しえない、まさに『楽園』のような美しい景色が広がっていた。


一面に広がっているのは、美しい花たち。

緑で囲まれた草原に広がっている、色とりどりの花たち。


向日葵で囲まれたステージに向かっていくまでの道には、磨いて間もないれんがが敷き詰められた、お洒落なウェディングロード。


上を見上げてみると、開けた高い円形の天井の向こうに、ひときわ青い空と、そこを優雅に飛ぶうみねこたちの姿が見えた。そこには今しがた降りてきたような階段がなく、まるで天へと続く吹き抜けのようになっていた。


その吹き抜けの途中途中で開け放たれた小さいいくつもの窓からは、髪を少しだけ揺らすような心地よい風と、海の匂いが感じられた。


まさしく、楽園。

私は言葉を失ってしまった。

それは彼女も同じだったようで、その景色をうっとりと眺めている。


その通りを囲むように並べられた木製の長椅子、その最前列に、さっき私達より先に会場へ行った、娘の姿が見えた。娘がこちらに満面の笑顔で手を振ってくれたので、私達もそれに満面の笑顔で手を振り返した。


その姿は、ここにあるどんな花よりも可憐で、きれいだった。



ステージまでの道のりは、30メートルといったところ。

その間、隣をドレスで歩く彼女が躓いてしまわないように、ゆっくりと歩を進める。


やがてステージへたどり着き、一段、二段とステージを上る小さめの階段を上がりきったところで、後ろを振り返って招待客の方を見回してみた。



そこには、私達を祝福しようと来てくれた、たくさんの人の姿があった。


さっきは景色に目を奪われてあまり分からなかったけれど、こんなにも多くの人が、私達を祝福しようと、集まってくれたのだ。そのことに、本当に心から、ありがとう、と思った。


やがて、どこかで聞いたような鐘の音が鳴って、私達は用意された席に腰を落ち着けた。最前列の席にいる娘はまだ手を振っているようだったが、その音を聞いて、椅子に座りなおしてくれた。えらいえらい。


――これからは、父さんと母さんが、一緒だからね。

三人で、幸せな家庭を築いていこう。


新婚旅行には家族三人で行って、みんなでおいしいものを食べよう。

きみが行きたがっていた遊園地も、映画館も、おもちゃ屋さんも、全部行こう。


好きなものは、何でも買ってあげよう。

もちろん隣にいる彼女にも、忘れずに。


あなたたちが幸せになるなら、私はなんでもするつもりだから。

たとえ、海の砂を全部かき集めてきて、と言われたって、その通りにしてしまうだろう。だから、笑顔の絶えない、そして誰かの幸せも願うことのできる家族になろう。


私は未来に広がるそんな光景を思い浮かべて、つい涙がこぼれそうになって、隣に座る彼女に気付かれないように、目尻を手の甲でぬぐった。




―◆―□―■―◇―◆―□―■―◇―◆―□―■―◇―◆―□―■―◇―◆―□―




式は、とても順調に進んだ。


皆が見せてくれた出し物は、とても素敵だった。


娘が私達のために歌ってくれた歌は、いちだんと素敵で、可愛かった。ちょっと途中でつっかえてしまったけれど、それでも最後まで、一生懸命歌ってくれた。


知人たちが作ってくれたであろう思い出のアルバムは、傑作だった。白いスクリーン用の壁に写された、思い出の写真たちは、私の恥ずかしくて黒い歴史をよみがえらせた。


自分の写真はアレなものばかりだけれど、彼女は小さいころから、お姫様のような姿をしていたんだなぁ…

そんな彼女と一緒に撮ったいくつもの写真は、私の宝物になった。


もちろんこれからも、たくさんの思い出を残していきたい。写真の枠を飛び越えるような、そんな笑顔が咲いた写真を、撮り続けていきたい。


たとえそこに私の姿は無くてもいい。ただその美しい被写体だけを、思い出の中に残しておきたかった。もちろん、私の恥ずかしい写真は、あとでこっそりと懐にしまっておこう。



――単刀直入に言うと、ケーキ入刀はあまりうまくいかなかった。


お互いに重ね合わせた手で握った包丁で上手くケーキが切れずに、お互い苦笑いを浮かべて、顔を見合わせることになった。


まあ、こんなことがあっても思い出にはなるだろう。大事なのは、そのケーキを二つの手を合わせて切ったという記憶。思い出。それがあれば、充分だ。




―◆―□―■―◇――◆―□―■―◇――◆―□―■―◇――◆―




式も終盤に進み、これから二人のメッセージを読み上げる時だ。

あらかじめ用意しておいた文章があったので、ポケットから紙を取り出して、それを読み上げた。どうしても全文を覚えられなかったのだ。私はすこぶる、記憶力が悪いから。


でも大切なのはだから大丈夫、と彼女が言ってくれたので、素直に紙を見ながら話すことにする。


だからそれは、とてもうまくいった。


一。まず、ここに大勢の招待客が来てくれたことを、感謝しているということ。

二。そして、今まで私達を育ててくれた親に、あらためて感謝の言葉。


三。なぜ、彼女を好きになったのかということ。

五。なぜ、結婚を決意したのか、ということ。


八。これから、どんな家庭を築いていきたいのか、ということ。

十。最後に、ふたたび、感謝の言葉。


あれ、一つ飛ばしたかな。

まあいいや、気にしない気にしない。


それらを汗だくで話し終えて座ると、彼女が優しく手を握ってくれた。

とても、嬉しかった。練習ではうまく言えなかった部分も、全てうまく言えたから。

伝えたかった感謝の言葉も、心にしまっていた何もかも、すべて。



―◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―



娘がステージの上に登ってきてくれる。まだ小さい体を柊さんに付き添われ、綺麗な花束と、一つの小箱を手に持っていた。

窓から吹き込む風が、娘の髪と、手に持っている花をさわやかに揺らす。


娘は何も言わずに、だけれど少し恥ずかしそうにして、私と彼女に、順番に花束を渡してくれた。それは、この楽園に敷き詰められた色とりどりの花たちを、中でも最も綺麗なものをひとつずつ、丁寧に選んで束にされたような、そんな花束だった。


「ありがとう、   」


そういって受け取ると、娘はまた笑顔を見せたが恥ずかしかったのか、柊さんをステージに置いて小走りで席に戻っていったので、会場が湧いた。


――この花束は、家の大きなテーブルに飾ろう。

毎朝毎晩、食事をする時それを見るたびに、今日のことを思い出そう。

新しい家族が生まれたこの日のことを。

娘がはじめて笑ってくれた、今日この日のことを。


そして、今彼女の細い薬指に、指輪をはめたこの瞬間のことも。

私の、枯れかけたしわしわの指に、

指輪をはめてくれたことも。




―◇――――◇――――◇――――◇―




やがて、その瞬間は来た。来てしまった。

ごめんなさい


まさに式を締めくくる、一番大切なその瞬間が。


私はこの時を迎えるまでに、実はこのことで頭がいっぱいだった。どこかで今日この瞬間のことを、悶々と考え続けていた。ごめんなさい二人が結ばれるその誓いのことを、永遠をあらわす、その行為のことを。


やっぱり、思った以上に照れくさいなぁ…。

そもそも、実は今までしたことがないからなぁ…。

でもごめんなさい同時に、今までになく心が昂っているのは認める。



『では、誓いの口づけを』



――ごめんなさい



号令に合わせて、彼女がゆっくりと、こちらを見る。

私もそれに合わせて、ゆっくりと彼女の顔を見る。


その顔は、式が始まる前までの緊張はみじんも感じられないような、幸せそうな顔だった。今までの幸せと、そしてこれからの幸せをぜんぶ叶えてくれるような、そんな天使のような優しい笑顔だった。


私はその小さい頭にかぶせられたベールを、ゆっくりと引き上げる。

彼女の透き通ったその肌が、一層あらわになる。


私は綺麗な長い髪をいちど撫でてから、目で合図を送る。

さっき、向日葵の扉の前で送ったような、安心させるサイン。

彼女は少しだけ頷いて、了解の意志を向ける。


私はそれを見ると、

ゆっくりと、

その顔に唇を近づける。


その、透き通った肌に。


その、綺麗な薄紅色をした唇に。


まるで人形みたいに整った、その顔に。


どこかの国のお姫様のような、その姿に。


少しだけ顔にかかった、長くて綺麗な栗色の髪をよけて。


私は、


彼女の、


冷たい唇に、自分の唇を


そっと、


重ねた。




―――――――――――――――――




拍手が沸き起こった。それはまるで、私達の明るい未来を祝福してくれるような。

今までの辛いことも、悲しかったことも、すべて洗い流してくれるような。


そんな、祝福の鐘と一緒に。

――妻が、笑った。


その透き通った綺麗な肌を歪ませて、優しく笑った。


そして、その綺麗な蒼色の目から、ひとつ、しずくがこぼれた。

泣いているのに、とても幸せそうな笑顔で。

まるで、「ありがとう」と言っているような笑顔で。


だから、私がその頬を優しく、持ち上げる。

妻がいっそう笑顔で笑ってくれる。


私は、その頬を手で覆って。

そのやわらかい両側の頬を、小さい手で優しく包んで。


傷だらけの、赤くただれた手で。

骨と皮だけのような、今にも剥がれていきそうなその手で。


少しずつ、そおっと、両方の手に力を込めていく。

妻の、もとから小さな顔が、もっと小さくなっていく。


本当に優しく、少しずつ、少しずつ。

それでも妻は、涙を流しながら。

素敵な笑顔を浮かべながら、小さくなっていく。



私は、誰よりも愛する彼女、いや、妻に良く似た、その姿を。

妻の、その温もりを。

辛い時も悲しい時も決して絶やさなかった、向日葵のような笑顔を。

透き通った、小さなで出来た、その笑顔を。



ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。



こんな顔しか、用意できなくて、ごめんなさい。

あのときたすけてあげられなくて、ごめんなさい。


私は、自分の目から止まらずに流れる涙を抑えようともせずに、どんどんその手に力をこめていく。



ありがとう。


ありがとう


あ  りが とう



私の目から落ちた滴が、灰色の地面に水たまりをつくらないうちに。




「――さようなら」




その「顔」が、はじけとんだ。


今この瞬間までは、確かに「彼女」であり、

「妻」となったその顔が。


生の残滓がゆっくりと、窓から吹く優しい海の風と共に、吹き流れていく。

散った肌色の風船が風に煽られて、透き通った海の彼方へと飛んでいく。


生き残ったうみねこがその後を追って、白と肌色と蒼の、残像を描く。

そしてまた、どこかで死んでいく。遠くからまた、鐘の音が聴こえる。



私は、すでにその顔が無い彼女と、柊さんによって最前列の席からくる「娘」を見た。


あの頃はまだ小さくて、いいや、生まれてもいなかっただってお医者さんが女の子だって言ったからだから女の子でいまはもう4さいくらいになってるはずで。


だから私は、どこにも傷が無くまだ綺麗なままの、小さい綿を胸に抱いてみる。娘は、とっても軽かった。


「…ヒイラギ、最後まで、本当に、ありがとうな」


足元で、一匹の老犬がワン、と吠えた。


そして、私は二人の手を取って、目を閉じて。


来るはずだった、いや、きっとこれから訪れる幸せな未来を思い浮かべた。






ああほら、目を閉じるとそこには今隣にいた妻が、優しいあの笑顔で笑ってくれている。まだ小さな娘が、お父さん、朝ごはんだよ、と言ってくれている。

おはよう。いい朝だね。


テーブルにはまだ温かいトーストと、コーンスープ。

飾られているのは、娘がくれた色とりどりの花と、向日葵の写真。


妻が淹れてくれた、上品な味の、アールグレイ。

日曜日の天気と平和を告げる、優しいニュース番組の声。


――いただきまーす!


私は、永遠に綺麗なままの花たちに囲まれていた。

楽園で咲き誇るいくつもの、祝福の向日葵たちに囲まれていた。


だから、そうだ。

きっと、このらくえんの空に視える『あれ』は。


空一面を覆う黒い雲と、無数に降り注ぐ黒い雨は。


今はもう見えなくなった、無数の星たちがくれたプレゼントに違いない。


娘が、私の手を握る。

妻が、私の手を握る。

小さな老犬が、私の足に寄り添う。


大丈夫。大丈夫だ。

ずっと、いっしょだよ。


みんなで永遠に、幸せに暮らそう。

あの日できなかったことを、全部しよう。


叶えたかった夢を、全部叶えよう。

今はもうどこにもいないその笑顔を、しっかりと、目に焼き付けよう。


どんなときも、笑顔があれば。

空に向かって伸びる、向日葵のような笑顔があれば――――


































「『終末』ウエディング」   完


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