渡る世間にロケットパンチ
真野てん
第1話 マイナスからのスタート
昔、戦争があった。
名前も知らない国から兵隊がやって来て、平和だった村を一瞬で焼いた。
抵抗する術を持たない村人たちは、そのことごとくが蹂躙された。
硝煙にけぶる畑と、焼け落ちた我が家。
血に染まる視界越しに見えた彼の手が唯一の救いだった。
怪我はないか、坊主。もう大丈夫だ――。
差し出された彼の手を掴むと、それは炎のように熱く頼もしかった。
国家の主催する搭乗型ロボットを使用した戦闘競技『ロケットパンチャー』は、今日もまた熱狂のうちに全試合が執り行われた。
興奮冷めやらぬスタジアムは詰め掛けたファンの姿でごった返している。
一部では高ぶった感情を抑えることが出来なかった者たちが暴徒化し、警官隊と衝突しているが、それもまた試合後のセレモニーみたいなものであった。
鳴り響く怒号と、誰かが飛ばした爆竹が耳をつんざく。
そしてここにもまた激高を抑えきれない人物がいた。
「もうたくさんだ! この頑固者め、いつまでも付き合ってられるか!」
そこはスタジアムのバックヤードにある、ピット(整備室)兼用の選手控室だ。
開放されたシャッターの向こう側から、いまひとりの男が去っていく。
ピットに向けて、ありったけの罵声を浴びせながら。
一方、去る者がいれば残った者もいる。
薄暗いピットの片隅で、頭からタオルをかぶった男がひとり。戦闘服と虚脱感を身にまとい、チープなベンチでうなだれていた。
この男、名をカブトという。紅い蓬髪を汗まみれにして、ぴくりとも動かない。
そして、その背後にあるもの。
全高4メートル。太いパイプフレームを基本とした人型の構造。
頭部から胸部にかけて狭いパイロット席があり、腕部には小型のロケットエンジンを搭載した射出型武器を持つ。
これこそが多脚式移動性マニピュレータ。通称M3と呼ばれるロボットである。
戦争時には兵器として使用されるが、公営競技である『ロケットパンチャー』ではレーシングカーのような扱いを受ける。実際の運用にはパイロットをはじめ、チームにスポンサー、そしてメカニックが必要になるわけだが――。
「ざまあないわね、チャンプ。『エカ』が泣いてるわ」
不意にかけられた言葉にカブトは顔をあげる。かつて戦場で失った右目には革の眼帯をしていた。残された左目に飛び込んできたのは、ひとりの少女の姿である。
エカとはカブトの背後に佇んでいる競技用M3の愛称である。左腕部のみに装備されたロケットパンチにちなみ、隻腕の僧侶・慧可の名がついた。
「……俺のファン、って感じじゃないな。冷やかしなら帰ってくれないか、お嬢ちゃん」
カブトが少女の全身をねめつける。
健康的な褐色の肌にきわどいホットパンツがよく似合っていた。あどけない表情には不釣り合いなバストが身じろぎするほどに揺れ、しばしカブトを幻惑とさせる。
「残念。あなたのファンよ。チャンプ」
煽るような口調でそう言うと、少女はカブトの横を通り過ぎる。お目当ては後ろにあるエカのほうだった。片肩に担いだザックを床に下ろすと、少女はその可憐な指先で、元来兵器である無骨な鉄塊をなぞる。大きな瞳でエカを見上げた。
その横顔には憧憬と感動。そして幾ばくかの寂寥感がにじんでいる。
「そのチャンプってのは止めてくれ。昔の話だ、お嬢ちゃん」
つられてカブトもおのれの愛機を見上げた。胸元には彼のパーソナルマークであるサイクロプス、そしてグランドチャンプの証である王冠が描かれている。
「元傭兵『隻眼の鬼』ことカブト。『ロケットパンチャー』創設期プレイヤーのひとりにして初代統一王者。でも時代遅れのプレイスタイルのせいで、最近じゃ勝ち星とは無縁。そしてついさっき、専属のメカニックにまで逃げられた――ってとこかしら?」
少女はあっけらかんと言い放つ。
カブトは自嘲気味に眉根を寄せると、タオル片手に立ち上がった。
「ま、そんなところさ。そのマシンに興味があるなら気が済むまで見ていくといい。シャッターは開けておくから勝手に出て行ってくれ」
鉄さびとロケット燃料の匂いで満たされたピットの空気を、四十絡みの体臭がかき混ぜる。カブトは少女に背を向けて、ひとりシャワー室へと向かう。
すると少女は枯れかけた背中に向けて、張りのある声をぶつけた。
「私を雇わない?」
足を止めるカブト。閑散としたピットにブーツの音が響き渡る。
「は?」
「だーかーら。私をメカニックとして雇わないかって聞いてるの」
カブトはもう一度、少女の全身を上から下まで見つめ直すと訝るように隻眼を細めた。
「冗談だろ?」
「本気よ。こう見えても現場経験じゃその辺の奴には負けないわ。何ならライセンス見せましょうか?」
手渡されたライセンスカードと、本人を見比べる。写真は少し大人びていた。
少女の名前はユウミ。年齢は17歳となっていた。出身はかなり田舎のほうである。
カブトは「ふん」と鼻息をひとつ吐いて、カードをユウミへと返した。
「一応、偽造には見えないが、現場経験たってお前……」
「お前じゃなくてユウミ」
ユウミは口をとがらせた。
「じゃあ言わせてもらうがな、ユウミ。お前さんの経歴を疑うわけじゃないんだが、ここはプロの世界だぜ? その辺の野試合と一緒にされちゃ困る。確かに俺はここ数年、勝てていないが、それをメカのせいにするほどおちぶれちゃいねえよ」
「違うわ」
「あ?」
「メカのせいよ」
「おい……」
ユウミは眉間に深いしわを作り、エカを見上げている。
下唇を噛みしめ、どこか悔しそうに。
すると彼女は床に置いていたザックの中からタブレット端末を取り出し、呆然と立ち尽くしているカブトへと駆け寄った。「これ観て」とモニターを見せつけ、その身をカブトへとすり寄せる。
若い娘の無防備な行動に、汗まみれの自身を気にしてカブトは一瞬身を引いた。
頭二つ分は高い目線から見えるのは豊満な胸の谷間。
不可抗力とはいえ、鼻の下が伸びるのも無理からんこと。
「どこ見てんのよ」
「おっぱい」
「ばか!」
中年の下品なジョークに頬を染めるユウミだったが、それごときで怯むような性格ではなかった。
「観るのはこっち! アンタの試合の動画よ」
タブレットに映し出されていたのは大手動画サイトが配信をしている『ロケットパンチャー』の試合映像だった。戦っているのは六本腕の大型M3と、カブトのエカである。
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