CASE.3-23
「俺を捕まえたところで事件はとっくに時効のはずだが?」
「少しは責任を感じませんか?あなたのストーカー行為がなければ事件が起こることなく済んでいたかもしれないのですよ」
智沙は目の前に座る緒形巡査長をにらみつけた。
「なんで俺がストーカーなんて?」
「あなた、一時萌絵が消えた数か月後に辛峠町への赴任を希望したそうじゃない。敷島の話ではあなたが一時さんの遺体の処理を持ち出したそうじゃないの。きっとあなたにとってお金はただの口実だったんでしょうね。意図は分からないけど、遺体の処理を買って出るのは異常よ」
智沙は続けてストーカーに関する資料を電子ボードから机に投影させた。
「写真の件だってそうね。いくつもの写真を送りつけたのは、恐怖におびえた彼女が自分のところに助けを求めに来るのが愛おしいかったのでしょう?そのために何度も写真とメッセージを送りつけた。違う?」
智沙の問いかけに緒形はだんまりを決め込んでいた。
「それにまだあるわ。石原徹子さん。彼女が遺体で発見された際はあなたの担当地区が事件を担当したのよね。初動捜査の段階で証拠品がほとんど見つからなかった。それもそのはず担当したあなたがめぼしい証拠のすべてに手を加えたんでしょうね。そして事件は結局、他の二件の一連の誘拐事件に結び付けられてしまった。しかしその真相は人違い。それも身勝手な過度の愛情から生まれた醜い後処理ってところよね」
突然肩を動かしてひとしきり笑い出した緒形は前傾姿勢を保って話し始めた。
「犬養さん。俺は萌絵を守ったんだ。人違いするはずなんてないだろ。彼女は特別な存在だった。現に彼女は今も生きている。土に埋めたはずの彼女がだよ」
「いったい何をしたの?なぜ彼女は死なずに済んだの?」
「偶然が生んだ奇跡だろうな」緒形は腕を組んで話を続けた。
「生命の神秘とでも言うべきか。一種の仮死状態だったんだろう。俺と阿部は彼女を山に埋めたんだが、すぐに抜け出して助けを求めたようなんだ。2か月後訪ねた旅館で彼女を見た時はもう、何とも云い尽くせない奇跡に衝撃を受け思わず拝んだなぁ」
目を輝かせて語る男の姿はストーカー犯という俗悪な括りを超えた信者に近い。
「石原徹子の件を説明しなさい。なぜ彼女は死んだの」
「あれは…あの子が悪い。俺を誘惑したんだ。俺が萌絵が好きだと知ってわざと似せたような恰好しやがった。そうとしか思えなかったからあの子を誘拐して聞いたんだ。そしたら俺をキモいだの、犯罪者だの呼ばわりしたから思わず首を絞めた。あれは口の悪さに対するお仕置きのつもりだった」
「もういいわ。十分」
智沙は椅子から立ち上がり手招きで合図を送った。
合図からすぐに2人の強そうな男たちが取調室に入り緒形を後ろ手に拘束した。
「何の権利があって俺を拘束する。事件はすでに時効のはずだ!」
「いいえ、今回は一時俊久の殺害についてのものよ。理由はどうあれ、あなたは事件解決のための捜査を妨害した罪に問うことになったのよ」
「いつそんな!そんな嘘通るか!」
緒形は足を投げ出しながらも抵抗を繰り返していた。
「少なくとも汚職の事実は日本社会に大きな損失よ。時効なんかで免れようなんて虫のいい話は通用しないわ」
「ふざけるな!」
最後の捨て台詞は扉の音とともに締め出された。
智沙は頭を抱えて手元の電子ボードを眺めていた。覚悟はとっくにできているはずだが、気持ちの上でしり込みしてしまう。日本社会にもたらすであろう信用の失墜は自らの裁量にゆだねられている。さらにそれだけではない。
「次の人が来ます」
智沙は顔を上げた。扉から顔を覗かせたのは桑原だった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、まあ。真実ってこんなものなのかなって…」
身勝手な感情だったり振る舞いで、多くの人が犠牲になった。それなのに真実を突き止めたところで正当なる裁きが与えられないという事実に胸が苦しくなっていた。
気配を感じて顔を見たが目当ての被疑者ではなかった。
「どんな用件で?」
「事態の重要性は俺にだって伝わっているんだ。部外者のままではいられまい」
真鍋は智沙を椅子から追い払い、それに座った。
大人げない真鍋と争う気にはなれず智沙は黙って壁に体を寄せることにした。
すると二人の男に拘束されて敷島洋次が姿を現した。
敷島は着席して早々に智沙の顔をキッと見つめた。
「再三の聴取ありがとうございます。敷島さん」
「君たちは何度俺と話をすれば気が済むのだ。あの時の話はすでに済んだではないか」
「いや、それとはまた別件なんだ」と真鍋が口をはさんだ。自らとの対話に持ち込みたいのだ。
「と言うのは女児誘拐事件について詳しく聞きたい。お前が当時5歳の女の子を轢き殺した。間違いないか?」
「ああ、もう時効だ。なんだっていいだろう」
「それじゃあ困る。カメラに向かって、お前は1999年9月松鹿まなみちゃんを車で轢いた後、何もせずに逃げたとはっきりと証言してもらう」
備え付けのカメラは常時録画モードで回っている。
「これがなんだ?時効成立した話を蒸し返して何が望みだ?」
真鍋は椅子から立ち上がるとカメラのスイッチを切った。
「いいか、これは重要なんだ。お前がもし女の子を轢き殺したなんて発言してしまえば警察組織は終わる。少なくとも殺人に関わっていなかった受刑者が刑務所で亡くなったんだ。こんなことばれたらマスコミが黙っていない」
「ちょっと、話が違います。真実を捻じ曲げるつもりですか」
智沙はすかさずに止めにかかったが、真鍋はやめようとしなかった。
「もし、轢き逃げが事実だと公表すれば女の子の遺族や重い刑に処せられた受刑者の遺族が黙っていない。刑事責任は時効が成立していたとしても賠償金は高額なものになりかねない。ここはお互いのために事故はなかったとはっきり証言してもらわなければ困るところだ」
言うなれば真鍋は組織の回し者なのだ。波風立てない組織人。それは智沙が求めていた正義とは全くかけ離れていた。
「真実しか認めません。敷島、あなたはただあったことだけを淡々と語るだけでいいのです。あなただって不正を黙認することはしたくないでしょう?ボクシングで不正なんてあったら真っ先に口を突っ込む方だったではありませんか」
「悪いが、積み上げてきた功績はすべて賠償金に充てることになるだろう。あの立派なボクシングジムだって誰かに売り渡すことになるだろうさ」
「お金のことなら国にだって責任があるわ。全部じゃないだろうけど、国家が賄う金額は多分にあるはず。そのための法律だってあるのよ」
両者の意見が食い違う中で敷島はカメラに向かって指示を煽った。
智沙は急いでカメラの電源を元に戻し、録画モードを再開した。
「さあ、話して。本当は何があったの?」
智沙の問いかけに敷島は口を開いた。
「ちょっと!待って!」
智沙は真鍋を必死に追いかけた。
真鍋は智沙の言葉など聞こえていない。ただひたすらに留置場を目指した。
「おい、阿部はどこだ」
留置課の警官にも横柄な態度で問いかけた。
「阿部?ああ、阿部力男ですか…それならF房に」
答えを受ける間もなく真鍋は房に向かった。
そこには確かに筋肉隆々の阿部力男がベッドに腰を掛けていた。
「違う!こいつじゃない!」
男を見るや否やに喚き始めた。
でも確かに正面の男は阿部力男その人物である。
面と向かって皮肉を言われたと理解した阿部は鉄柵に近づき真鍋に鋭い視線を飛ばした。
「おい、もう一人の阿部だよ。ジジイのほうだ」
「あの老人のことですか?あの阿部は数時間前病院に移しましたが」
智沙はたどり着いて膝に手を当てて様子を伺い見た。
「どこの病院だ」
「ああ、そういえば病院から連絡があったようですので聞いてみます」職員の男は思い出したように壁の計画表から一枚の付箋を剥がし取り手元の電話機をつなげた。
「え?ああ、そうですか。いつ?そう…どうも失礼します」
ひとしきり話し終えると職員は受話器を下ろし、深刻な顔を真鍋に向けて続け た。
「2時間ほど前に亡くなったそうです」
「何だそれ!ついさっきじゃないか。病院に連れて行ったことなんで言わなかったんだ」
真鍋はすぐ横の鉄柵に八つ当たりした。そこには緒形秀昭が留置されており、捜査官たる身のこなしを繕う真鍋の存外な暴力的な言動に度肝を抜かれているようだった。
「お伝えしておりませんでしたか?急に体調を崩し、救急で運ばれていったんですけど」
確かに10時前である。敷島らを連れてきた直前に入れ替わりで救急車がサイレンを鳴らして来ては出て行ったのだ。
「何だよクソ!」
再び真鍋は同じ房に当たり、頭を掻きむしった。
「F房のカギをくれ」と今度は踵を返すように職員に手をかざし要求を始めた。
職員は言われるままにカギを手渡した。
「どうするのです?」と智沙が尋ねる。
「決まっているだろう」と智沙に顔を向けながら鍵穴を漁り「こいつを取り調べる」と言った。
「またかよ!」阿部はいやいやながらも真鍋に引きずり出された。
「何を聞くのです?」
智沙は横を通り過ぎていく真鍋の腕をつかんでそう問い質した。
「あのジジイと同じDNAの持ち主だ。無関係なはずはない」
それは智沙にもわかっている。すべては渕上の力によるところ。それは前知識のある彼女には当然に行きつく理論だ。だが、これをどう説明付けるのか、渕上の力の秘密の開示なしに答えの出口などない。見えない難題の行きつく先がまるで見通せない。
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