CASE.2-10

 (無茶な依頼だ…)

 人に羨まれることや恨まれることはあっても誰かに危害を加えたことはない。他人を殴ったことどころか暴言で人を傷つけたことすらない。

 立花は席に着くと頭を抱えてパソコンの画面を見た。画面は電源が入っていないので真っ暗である。代わりに反射した自分の顔が映し出されていた。幾分かここ数カ月で老けた印象だった。

 (こんな俺に人を殺せだと?)

 改めて反芻しても人を殺せという命令に実感が湧かない。

 デスクの隅に立てた写真を一目見た。他の会社の人間はまさか自分が妻の写真をデスクに配置しているとは思っていないだろう。写真立ては普段他人からは見えない位置にある。資料ファイルと専門書の奥にひっそりと埋もれていた。写真立てのアクリル面はすっかり汚れており、普段気にかけていないことがまるわかりだ。

 (よりによって俺に会長を殺せだと…)

 立花は心の中で笑った。

 写真の中の彼女は目を細めて満面の笑顔だった。

 「カスミ」

 写真の彼女に呼び掛けた。返事などあるはずもないのに。

 正面のデスクの若田が不審そうにして立花を見ていた。

 (聞かれていた?)と焦って苦笑いを浮かべた。

 若田は依然不審な様子で立花を見ていた。

 立花の周囲は完全に孤立している。人事異動が想像以上に激しく、地方や子会社に飛ばされた仲間がほとんどだった。一年前とはすっかり様変わりしている。悲しいことにこの現状に向き合うことになるとはだれも想像していなかった。会社の財政状況を危惧していた立花ですら想像していなかった。

 正面の席の若田とはほとんど面識がない。隣の先の笹江や小久保ともそうだ。部長のチャーリーに至っては言葉が交わせていない。

 なぜ日本語が離せない人物を部長職にあてがったのか、上層部の人事判断が理解できない。経理にはコミュニケーションが必要ないとでも思っているのだろう。

 様変わりした中でも立花は居座った。人財を宝とも思っていないこんな会社など早急に見捨ててしまうべきだったろう、いまだに上層部第一を貫く古臭い体質を蹴飛ばし逃げ出すべきだったのだろう、切り捨てられた子会社を思うと無念で仕方がなかった。

 だが、立花はサカキを立ち去るという選択肢は選ばなかった。世間体やお金のためではない。ある約束。

 立花はこの写真を見るといつも胸を締め付けられた。最後に見た彼女の苦しむ表情を思い出すのだ。この写真は彼女がなくなる2か月前だ。最後の旅行になった。おなかには待望の赤ちゃんが宿っている。


 「立花さん、これってオリンピックの時の?」

 立花は後ろを振り返った。急いで手許の写真を資料ファイルに押し入れた。

 「別に」

 「どうしてそんな」

 島村は急いで隠す立花の奇妙な焦りを言いたかったようだ。

 心臓が思いのほか激しく鼓動を打っていた。立花にとってこの写真がこれほど神経質で危ういものであるということに初めて自覚した瞬間だった。

 「プライバシー」

 「俺もオリンピック行ったんですよ。柔道。懐かしいな」

 「へ~」

 立花は興味なさげに返事した。

 「柔道ですか?」と島村の話に大友が食いついた。

 「俺、言ったことなかったんですけど実は柔道オリンピック出場者のある人と友達だったんですよ」

 「誰だ?教えてくれ~」

 「仕事しろ!」立花は怒鳴った。

 スポーツなど全く興味がなかった。まして柔道選手が誰なんてこと、全然自分の脳内メモリーには存在しない。

 「まじか~」大友に名前を教えてもらった島村は楽しそうにした。

 立花は二人のキャキャしている様子に(馬鹿だな~こいつら)と眺めていた。


 騒がしかった思い出もこの写真から思い起こされた。この写真は異なる思い出が混ざり合った不思議な宝物なのだ。

 島村の訃報を聞いたときは膝を落として落胆した。

 この日から1週間前の5月下旬のことである。

 会社を去ってから定期連絡は取っていた。と言っても一方的なもので、島村からの連絡がほとんどであった。

 果敢に飛び出した島村は新たな就職口にありつけ、人生を新たに希望をもって仕事に励んでいるようで、立花も安心していた。

 こちらからの連絡ごとと言えば、主に経理部の変動や会社への不満だった。月並みな愚痴というやつだ。

 いつものように日常をこなしていた立花のもとに、いつものような島村の番号から着信があった。電話口の相手は島村ではなかった。いや、正確には島村正志ではなかった。母親が出たのだ。

 立花は戸惑った。戸惑いのままに訃報を耳にしたのだ。

 「この番号にはよくかけていたみたいだから伝えようと思ったの」

 電話先の女性はしおれていた。子を失った母の気持ちは想像を絶するものだろう。

 「うちの子、どうやら仕事で悩んでいたようなんだけど、何か聞いていないかしら?」

 立花は耳を疑った。そのような節は一度も感じたことがなかった。前述のとおり、島村は新しい会社で希望に満ちた新生活を送っていると聞いていたのだから。

 立花は島村の母親に式の日程を聞いて、直接会って話したいと電話を切った。

 すぐに大友にも一報をメールした。

 メールを打っている指が震えて止まらない。勇敢に会社を去った姿が思い起こされた。できるだけ声を抑えて涙した。今の会社の人間に島村の死を悼んでくれる人物はいない。悲しみを共感してくれる人物は一人もいないのだ。この場所が窮屈で仕方ない。

 この日、仕事に十分の支障をきたしたのは言うまでもない。

 お葬式は予想に反して弔問客はたくさん来ていた。島村の人柄の良さが好かれていた甲斐であろう。それには立花も納得している。ただ、予想に反していたのは会社の人間が大勢いたことだ。母親の話では仕事に悩んでいたと聞いていたから生前努めていた会社から人が来ないと勝手に想像していたのだ。

 「先日はどうも…」と母親に挨拶した。

 母親は穏やかに努めて一礼で返した。

 「立花と言います。電話いただいた…」

 母親は合点がいったように「ああ~」とうなずくとまた一礼した。

 母親は想像よりも老けていた。島村から母親は若くして自分を育ててくれたと教えられていたから50代くらいだろうと思っていたが、見た目は70くらいだろうか。だが、これが間違っていることに後から気が付いた。母親の同級生だろう人物が息子の死を悼んで駆け付けてきていたが皆、50ぐらいで違いないなさそうだった。母親はそれだけ老け込んでいたのだ。

 「サカキで一応正志君の上司をしていたのですが、で彼が大友です」

 横の大友は立花以上に顔中がくしゃくしゃになっていた。

 「僕にとっては先輩でした」と何とか話せた具合だった。

 「これはこれは…」と再三に礼を重ねると母親は伏し目がちに教えてくれた。

 「実は聞いておりました。立花さんの名前は。電話のあとから思い出しました。それというのも突然会社を辞めたときに言っていたのです。立花さんの働きっぷりに感動して自分も一肌脱ぎたいとか、自分も革命を起こせるような人間になるため一からやり直すなんて言っていました」

 立花は思わず涙をこらえた。嘘かもしれない、過大評価かもしれない。だがそう思っていてくれたと思うと切なさがさらにこみあげてくる。

 「こちらこそ、正志君にはいろいろと助けてもらったこともあり、いつも感謝していたんですが、彼が仕事で悩んでいたとは気づきませんでした」

 「そのことなのですが…後でお話しできませんでしょうか」

 この提案に返事をする間もなく、後から駆け付けた同級生らしき女性に会話が分断されてしまった。立花は軽く会釈をしてその場を離れた。

 島村正志は穏やかに眠っていた。遺体からは彼に何があったのかを読み取ることはできない。その穏やかさは立花が知っている島村のどの瞬間よりも静かで、無口だ。

 「島村、なんで相談してくれなかった?」

 立花はもう覚ますことのない一人の若者に声をかけた。大友も隣で肩を震わせていた。

 式の後、親戚が会する席に呼ばれた立花は恐縮してちびちびと酒を嗜んでいた。大友は翌日の仕事のため渋々その場を後にしており、心もとない。

 「すみません、なんだか無理を言ってしまったみたいで…。立花さんもお仕事があるんじゃありませんか?」

 島村の母親がお酒を注いでくれた。

 「いいんですよ。明日は会社を休みますから。それにお話しできておりませんし…」

 会社を休むなんて話は嘘だった。正確にはいきたくなかった。仮病でも何でもいい、亡き部下を偲ぶほうが四面楚歌の組織に行くよりよっぽど大事だという考えが正しいように思えた。社会人だろうが、常識人だろうが、もはや判断はつかないかった。線引きすることに意味はない気がした。

 「わざわざすみません。サカキは有休企業ですものね」

 「まあ」

 立花はあいまいに返答した。一流企業のレッテルを張る有休企業とはもう昔の話だ。財政破綻している今となっては社員は休日返上でこき使われている。そうならないようにして苦戦し我々は敗北、最終的に息子さんにしわ寄せが向かったとは口が裂けても言えなかった。

 「奥様にご連絡は?」

 指輪を見て思ったのだろう。島村の母親は思いのほか遠慮がないようだった。そこは息子が似たのだろう。親子ともども立花のプライベートに首を突っ込んで来る。

 「いや、妻は6年前に亡くなっておりますので…」

 「それは、まあ。失礼しました」

 立ち入りすぎたと思ったのだろう。気まずそうに手を下で合わせた。

 「それよりも、先ほどおっしゃっていた相談と言いますと?」

 「ええ、まあ…ここではちょっと」

 島村の母親は辺りを見回した。彼女の両親や親戚が一堂に会していた。父方の親戚が見当たらないところから、島村には父親がいないのだろう。そういえば父親の話は聞いたことがなかった。祖父だろうか、亡くなった孫に酒で悼んでいた。

 立花は母親に導かれるまま外へと移った。7時過ぎだというのにほんのり明るい。日中の気温は25度を上回って観測されていたが、爽やかな空気が昔の今頃を思い出さしてくれた。

 「息子の死因を聞いていないでしょう?」

 「自殺ですよね」

 具体的に本人に何があったとはだれの口からも聞いていない。電話口や弔問客の様子から立花はそう察していた。

 「自殺。うちの子に限ってあり得ない」

 母親の顔が豹変したようだった。闇の中から影が濃く、彼女の表面に陰影を浮かび上がらせた。

 「自殺ではないと?」

 立花は酔いがさめた気分だった。

 「そう、あの子は自殺じゃない。遺書もでたらめよ」

 「警察は?」

 「完全に自殺だって。疑いようもない、非の打ちどころもなく、明らかで、間違いなく、誰がどう見たって仕事を苦にした自殺だそうよ」

くどい言い方は実際耳にした単語を並べているようだった。警察がそう言ったのだろう。

 「島村さんは信じていないと?」

 「当然。前日の会話や、サカキをやめたときの生き生きとした姿、母親ならわかります」

 「誰かにその話は?」

 母親は辺りをもう一度見回した。親戚らほかの弔問客の姿はない。宴会に夢中なのだろう。そうしているうちに夜がだんだんと下りてきている。

 「いいえ」

 「なんで私に?」単なる疑問だった。

 「それも見たからわかります。あなたは息子を本当に悼んでくれている。息子の御前で泣いてくれた。あなたなら真剣に聞いてくれるのではないかと思いまして…」

 この女性は弔問客を値踏みをしていたのだ。立花は目の前の老婆(見た目だけ)に恐れ入っていた。

 「それに息子の死にはサカキが絡んでいるように思えたのです。立花さんが適任だと直感しました」

 「うちの会社に?それはいったいどんな?」

 「なくなる数日前にサカキからコンタクトがあったと電話で言っていたのを思い出したのです」

 「なぜそんな話をお母様に?」

 「たまたまですよ。ホント。サカキをやめるなんてもったいないと言った時、あの子、まだサカキとつながりがあるとかで、最近も連絡があるって言っていたわ」

 「それって、私のことじゃないのだろうか?私も会社の人間ですからそういう言い方もできますからね」

 「違うわ。立花さんだったらそう言っているはずだもの。母親の勘だけど」

 その言葉にやけに胸を張っているようだった。女手一つで育てた自負があるのだ、息子との絆はそこら辺の親子とは違うということを言いたいのだろう。

 「しかし、ほかに根拠がないと…」

 「絶対です。正志は自殺していない」

 断言する母親を糾弾する気は全くなかった。立花は頭をかいて考えた。

 「誰かが正志君を殺したとなると犯人は?」

 「犯人?」顔を青ざめた。

 母親は自殺を否定していたが、それは他殺の可能性があるということを認識していなかった様子だった。現実的な話、死亡したとなると手を下したものがいるのは当然だ。

 「私に何を?」

 「それは…そう、サカキの上役に当たってみてよ。きっと心当たりがあるはずだから」

 どういう根拠かわからない。どこから上役の話になるのだろうか?

 立花はそう反論しようとしたが、

 「カヤコ~遺影選びだとよ」と先ほどしみじみ酒を飲んでいた島村の祖父らしき人物が彼女を呼んだ。母親の名前はカヤコというらしい。

 「はいはい」とさっきまでの彼女の表情で戻っていった。立花に考える余地は全くなかった。

 立花は頭を下げるとそのままの足取りで帰路に就いた。

 頭の中を駆け巡る疑惑や憶測に何度も吐きそうになりながらも千鳥足で家にたどり着けたことは奇跡と言っていいだろう。


 それからほどなく島村の自殺は殺人だと知ることとなった。

 犯人は流れからもうわかるだろうか?

 東郷会長らしい。と言っても本人に人を殺せるほどの筋力も体力もない。指示した張本人が会長ということで、実行犯は他にいるらしい。

 立花はそれを福田から聞いた。例の会長の取り巻きの一人である。

 立花があまりにもわかりやすく会長の周りを嗅ぎまわるものだから、彼ら取り巻きに捕まり、あっさりと理由を説明した立花に対して、これまたあっさりと福田が教えてくれたのだ。実行犯についてまでは言わなかったが、立花は知りたくもなかった。

 言い分としては島村はサカキの敵になったことが会長の逆鱗に触れたということなのだ。サカキをやめた島村は生前勤務していた大橋産業自動車新興商事の産業スパイとして暗躍していたそうだ。サカキに利益になる情報を相手から盗み取り外側から会社に貢献する。そういったことをさせていたのだと。

 (そんなこと知ったものか!)

 福田は会長が人殺しに関与していると言っているのだ。このまま黙っているわけにはいかない。たとえ相手があの人であっても、それは聞き捨てならない話だった。

 立花の気持ちを見透かしたように福田はくぎを打った。

 「警察に相談してももう手遅れです。証拠が一切ありません。あなたが何を主張したところでもう、自殺以上の結果は期待できないことでしょう」

 福田の機械的な声は威圧的だった。そして警察にもすでに手をまわしていると暗に示しているようでもあった。

 「あなたは心が痛まないのか?一人の若者を消したんだぞ」

 「痛まないはずはない。遺族の方にはまことに申し訳ないと思っている」

 「それならなおさらだ。せめて真実を伝えるべきだ」

 「それはできない」

 福田の目が鋭く光った。

 「遺族の方には十分な謝礼金が渡るように手配している。変に勘繰られては困るのだ」

 「何が困るだ!金だけ渡して済ませるなんて卑怯なやり口、会長の指示かよ!」

 立花は怒鳴り上げた。役員室は窓が閉めきられており、妙に声が反射した。

 「すべて会社と社員を守るための犠牲です。裏工作なしに生きていけないことは会長からの指示なのです」

 「社員を守るだと?辞めさせられた人間ばかりではないか!」

 「違います。解雇した者たちの大半は彼のような裏工作で生計を保証されているのです」と福田は島村のファイルを示していった。

 (落ちたものだ)

 立花は蔑んだ。

 「いいですか、世界基準で見ると彼らの存在は必要不可欠なのです。かつての日本企業は標的にされるばかりで損失ばかりを生んでいた。彼らは汚れ仕事であることを十分わかったうえでわが社のために暗躍してくれることを誓ってくれている。ここで、一人の男のミスを公にされては他の者たちに余計な被害が及ぶことになりかねない。それだけは会社としては避けるべきなのだ」

 (それこそ知れたものか)

 立花は淡々と己を正当化している福田を蔑んで見ていた。

 (不正を正当化してまで会社が大事なのか?)

 鬱蒼とした肺胞をスモッグが満たした気分だった。しかし会社の不正行為の違法性を言い争う気にはなれなかった。

 「彼には本当に済まないことをしたと思っています。彼を選任してしまった我々に責任があったと言っても良いでしょう。彼は正義感がありすぎた。スパイ行為をやめたいと言ったんだ」

 立花の頭でようやく理解がおさまった。島村は決して誰かの怒りを買うような人間ではない。不正には無縁な男だと信じていた。

 「島村は俺よりも勇気があったわけだ」枯れたはずの目に涙がにじむ。

 (せめてこれは伝えたい)ふと頭をよぎった。

 「無理です。絶対に公表しないでください」

 福田は立花の気持ちを先にくみ取った。表情一つ変えない冷淡さに相乗して不気味だった。

 島村のファイルを手に福田は立ち上がると背面の一番上の扉を開け、ファイルを元の位置にしまい込んだ。同じようなファイルが揃っている。察するに産業スパイ社員は一人ひとり管理されているようだった。

 「私はどうすれば?」

 「何?」

 立花はゆっくり深呼吸してもう一度訊いた。

 「不正を知ってしまった一般人はどうなる?」

 「あなたには無理だ。不正を暴いたところで会社はよくならないのはわかっているはず。ほとんどの社員が辞めていく中であなたは愚かにも会社に残った。どうせ会社と心中する気などないのでしょう」

 「私を甘く見すぎだ。いざとなったらこんな会社…」

 福田が突然立花の目の前に駆け寄ると小声で言った。

 「すべて会長の匙加減だ。お前が秘密を知ったことは悪いが報告させてもらう」

 「冗談を、会長が私のことなど目にかけるとでも」

 「大いにありうる。島村君を死なせてしまったことは本当につらいんだ。すべて会長の鶴の一声で決まること。私たちの口を出す余地などないのだ」

 立花はしつこく押し付ける福田を振り切った。

 「いざとなったら私が説得して見せるさ」

 「セッティングならしてやろう。ただし、命の保証はできかねない。会長の殺害 命令を止めるのはあんたかもしれない」

  「何言っているのです?私はただ説得してみようと…」

 立花の提案を福田はただ単に大げさに理解したわけではなかった。

 「いいえ、会長を殺すのはあんたかもしれない」

 「ふざけないでください。どうしてそんな話になるのです」

 立花は思わず腰を抜かして床にしりもちをついた。依然変わらない福田の無表情は冗談を言っているような感じではない。

 「うんざりなんです。伝わっていないようなので、もう一度言いますが、島村君の死は本当にショックなのです。嘘偽りなく、無念で仕方がない。本当は親族にもお伝えしたかった。彼の死を。あんな恐ろしいことはもう御免だ。あのようなことがまた何度となく続くのかと思うと気が気ではいられない。会長は一線を越えた」

 福田の中では怒りが沸々と湧いている。表情が少しばかり荒く見えた。

 「私はこれで失礼します」

 立花は急いで扉に向かった。靴がソファーに引っかかったがこの際だから気にならない。

 「私があなたをサポートします。どうか会長を」

 「遠慮します。私にはそのようなことは。言ったでしょう。私を愚かな一社員だと。さっきのは撤回します。私はただの甘ったれです」

 この場から一目散に逃げたかった。これ以上の接触は危険だと本能が語っている。

 「やるかやられるかだ。報告だけはさせてもらう。もう引き返せない。刺客はお前を逃がさないからな」

 立花は部屋を飛び出した。心臓が張り裂けそうだった。必死に胸の前で手を組んで階段をおりた。寒さにこらえるような格好に見えただろう。

 そして立花はぼーっと思い出の写真を見ているのだった。

 (俺はこの会社でやるべきことがある。カスミとの約束を果たさなければ)

 立花は写真立ての汚れをティッシュで拭き取り、元の位置より少し高い位置に置いた。そこはもうファイルの陰でなければ書籍の裏でもない。立花のシンボルと言ってもよい位置だった。立花は椅子から立ち上がり共同ごみ箱に丸めたティッシュを投げ捨てた。

 (結局は会長に会わないとな)

 立花はその少し離れた位置から写真を見つめ、できない約束を受け入れた。


 秘密事項を大友に話した。他言無用という言いつけを勝手な例外を付け加えたのだ。大友だけには知ってほしかったのだ。自分がこれからやる大博打とともに。

 計画は単純ではない。綿密な計画のもとに行われることとなる。

 場所は第二恒産ビルが良かった。病院が近い、広い場所があり、大友の会社がテナントに入っている。もっとも最後の条件が大きい。

 そして会長取り巻き連中を利用する必要があった。

 だが立花は彼らを全く信頼していない。彼らは計画のほんの表面だけを知っていれば十分だった。

 準備は余念なく行われた。来る決行日に合わせてすべてをセッティングし、会長をコロス。

 殺してあげるのだ。福田のためでなければ島村のためでもない。まして自分のためでもない。他でもないカスミのために。

 そして立花は決行した。

 だが、立花には想像していなかった存在が後の人生を大きく狂わせた。

 忍び寄る刺客はすぐそこまで来ていたのだった。

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