CASE.2-09

 まっすぐ区警本部へ向かうつもりであったが、智沙は急に真っ暗な空き地の前で車を路肩に止めた。

 「まさか、降りるの?」

 意図がわからない渕上は突然の停止に疑問を投げかけた。

 智沙は渕上の顔を見つめた。沈黙の中をラジオDJの声が新たな曲を紹介していた。

 映画BGMが流れた。数年前にヒットした映画のテーマソングらしい。しかし智沙はその映画を見たことがないので、その曲に思い入れは全くない。明るいテンポのその曲を智沙は躊躇なく切った。

 「この映画好きなんだけど」渕上は残念がった。

 沈黙は恋愛映画のようなムードが生まれた。智沙のいつもの無意識による熱視線が渕上の目を離さない。

 ただ、熱視線を向けられた渕上は普通の男たちと反応が違った。魅了されているが、何処か物足りない。ぎこちなさがない。

 「僕はさっきの曲を聴きながらのほうが楽しいと思うよ」とラジオのスイッチに手を伸ばした。

 無意識の熱視線はあくまでも無意識によるものだから、効果の弱化に気が付かない。

 渕上に顔を近づけ、無意識に呼吸が止まる。

 二人の顔の接近は口と口とが触れ合うようにも思えたが、距離10センチのところで渕上は苦しんだ。

 「どういうことか、しっかりと説明して。あの夜はなんだったわけ?」

 智沙は思いっきり渕上の胸倉をつかんで、問い詰めた。

 ロマンスなどあったものではない。

 「さっきの駐車料金、明らかに1日分。昼間に気を失ったと思ったら目の前は夜。またまた、目が覚めたら今度は夕方。一体、私はどうしたっていうの?」

 「何を言うのやら……意味が分からない」苦しそうに渕上は抵抗した。今にも気を失いそうに黒目を上下左右に震わせた。

 「まだ、言うか!渕上、あんたがあの体験をしていないなんて言わせない。私のタックルが怖いんでしょう」

 思わず手に力がこもる。

 渕上は智沙の細腕を何度も叩いた。ギブアップのしるしだ。

 智沙はその手を突き放してじっくりにらみつけた。

 「本当に君は何かわからないのか…」

 「言っておきますが、私はだれよりも自分を信じているんだ。当然さっきは信じられないとも思ったけどさ、この感覚だけは私は私を信じているの。あれが夢だったなんてやっぱり、どうしても理解できない」

 「本当のようだ…」渕上は首元を改めて整えたのち、腕を組んで考え込んだ。

 「さあ、話してちょうだい」

 「結論から言うと、僕はどうしたらいいかわからない。想像を超える突飛な話でも信じる?」

 「まさか。でもイメージは大事よ。想像力がないと、この仕事だって続かない」

 「じゃあ、2014年にタイムマシンが完成したことは?」

 想定外の唐突な話に頭がついていけなかった。突然、話の流れが変わったような、順調に流れていたはずの世界に放射能物質が投げ込まれたような、とにかくこの世界に出してはいけない禁断のワードが渕上から発せられたのだ。

 「これは話が飛びすぎだったね。忘れて」

 「重要なことじゃないの?」

 「いや、いいんだよ。ただ、そんなことがこの世界にはあるってことがわかってもらえれば十分だってことだから」

 渕上は相変わらずあっさりとした物言いをしている。後ろめたさや、ためらいというものがないかのようであった。

 「わかった。つまり私はタイムマシンに乗って昨日に戻ったってことだ」

 「正確には時間移動したといったところだよ。乗り物や機械は必要ない」

 以外にも少しも衝撃的ではなかった。あまりにも辻褄が合うのだ。だが、智沙はそのように非科学的にも受け入れてしまっている自分を不思議と少し誇らしく思った。

 ただ、性分であろう、相手の言葉を鵜呑みにできなかった。

 「時間移動なんて、私たちは日常で過ごしているじゃない。こうやって一秒ごとに時間を移動している。それと何が違うっていうのよ?」

 「面白いこと言うね。僕も人に説明するのは慣れていないから、もう少し言葉を選ぶべきだった」と言った渕上は何やらぶつぶつと言葉を探していた。

 「タイムスリップ、タイムリープ、タイムトラベル……」

 他にもタイムワープや時空転移など様々な言い方があるが、渕上は一つの言い方を選んだ。

 「ファクター&スペースタイム。通称F&S」

 「何それ?聞いたことないけど」

 「そう?僕も初めて聞いたとき『は?』って思ったけど、この用語がぴったりじゃないかって昔教えてくれたのを思い出したのさ」

 専門用語で調べてみてもおそらくどこの文献にも掲載されていないワード。『要因と時空』は2018年に公表された『時空の概念』から引用された当時の新語である。

 2014年のタイムマシンの完成は決して華々しいものではなかった。ひっそりと公表され、ひっそりと運用を開始されたのだ。だが、それも一般の実用にまでは及ばなかった。完成に尽力した研究員の失踪が主な原因で、実用にこぎつけるには相当なリスクを伴うとし、タイムマシンの完成以来、研究は打ち止めになったということになっている。これらすべて歴史の陰に埋もれ、ごく一部の科学雑誌にしか載っていない。

 そんな中でも研究員の一人が『時空の概念』を確立させた。それが赤枝慶吾著『要因と時空』である。歴史に埋もれた時空科学をけん引する最大の功績とも称賛されたが、周囲の認知は乏しかった。

 「とにかくだ。僕らはさっき時間に従うだけでなく、逆行してある地点にとどまった。それが昨日のあのビルの屋上」

 「でも一体どうして?不可能だわ」

 「そこなんだよ。どうして君まで時間移動できたのか。僕にはさっぱりわからない」

 渕上はまた考え込むように腕を組んでみせた。

 「変な言い方。まるで自分には容易にできるなんて言い方だわ」

 「もう、この際だ。すべて話そう」そういうと意を決したように渕上は車を降りた。

 「ちょっと」

 智沙も慌てて車を降りると渕上を引き留めるべく後を追った。目の前に広がる空き地は何もない。地面は土と砂利で乱され、雑草一つとして生えていない。この一角だけではない。辺りはいまだほとんどが買い手のつかない空き地である。都心事件の影響はいたるところにいまだ爪痕を残したままだ。

 「この場にはきっと家が建っていただろうね」

 渕上は足で小石をつつきながら、土に丸を書き込んだ。

 「さあ?そうかもしれないけど」

 「売り地の表示も出ていないみたいだから、きっと買い手がつかないいわくつきの土地なんだろうさ」

 智沙はあたりを見回した。渕上の言うように私有地や売地の表示看板が立っていない。隣や向かいの土地には古くなっているが、看板は立っている。

 「これから僕は6年前に戻ろうと思う」

 「え?6年前?それは…」

 「そうさ、都心事件の起きた年、2020年だよ」

 「時間移動?簡単に言うけどやっぱり信じられない。私は遠慮するわ」と冗談を笑い飛ばすように智沙は言った。

 「僕一人だよ。君は車の中で待っているんだ」

 「あなた一人って、やっぱり変よ。こんな会話をすることも、あんな体験をすることも、すべてがおかしい」

 「そういう君だって思ったはずだ。僕には何かがあるって、事件解決にずるをしたと。だがそれが何かわからない。いや、わかっていたのかも、君が信じていない何か得体のしれない要因があるって。だから君は僕を見張った。僕に大きくかかわった。そしてここまでたどり着いたんだ。違うかな?」

 渕上の言い分はもっともだった。智沙もどこかで未知の存在があることを疑っていた。

 この世の中はただありのままに生活している分には何の疑いもない次元に居座ることができる。だが、そうではない別次元があるのかもしれない。誰もが抱く世の中の超次元的世界、ファンタジー的世界、それこそが人工知能には到底たどり着けない人間の脳が作り出す想像の世界。人々はそれを欲していた。

 だが、現実が重たく人々の暮らしにのしかかった。人工知能はそれを助長させた。

 生活を豊かにするための質問にはより現実的な答えが返ってくる。

 希望的質問にはさらに現実的な返答であった。人工知能が語る答えには想像性がない。この世の中は現実的知能を信じ想像力を疑う世界になっていた。

 しかし考えてみたら科学の発展はまぎれもなく人の想像力を具現化したものだ。タイムマシンも時間移動もできて不思議ではないはずだ。

 「6年前に戻ったっていう証拠は?」

 「いつものように映像でも持ってくるよ」そういうと渕上はその場にしゃがみこんだ。

 屋上で見たことのある姿に智沙は立ち退いた。心臓が飛び跳ねていることが自覚できる。

 (またあれだ)

 すぐ後に視覚が一瞬失われた。音に表現したら《パツン》といったものだろう。

 この一瞬の間だけ視覚はゼロ、真っ暗となり、何も見えないのだ。そして不思議と風が渕上に向かって吹いていた。それは離れるほど風力を増していた。

 「これが、行き方なの?」

 智沙は独り言をつぶやいて渕上を見つめた。渕上は相変わらずその場にしゃがみこんでいて動かない。

 智沙は足元を注意して見た。

 (前回はこの後、足からモヤモヤが)

 観察するべく見ていたのだが、影が表れることはない。変化に乏しいように思えた。

 狐につままれた気分だったはず。普通なら相手の絵空事を信じてしまっている自分が愚かしく思っても不思議ではない。だが、智沙はかたずをのんで見守っていた。

 とても長いようでいて実はそれほど時間は経っていなかった。一度腕時計を確かめると時間にして1分程度しか経っていないようだった。

 巻き込む風はいつしか静まり行きかう車道を行きかう車は変わらず途絶えていない。

 智沙はふと自分の車が気になった。長いこと路肩に駐車していては不審がられるはずだ。それに渕上は社内で待機しろと言ったはずなのだ。

 振り返ってみると、車に人影があった。ガサガサと助手席に何かが蠢いていた。

 智沙ははっとした思いで車に近づいた。車のキーがいつの間にかポケットから消えていた。

 智沙はふと空き地を見た。車に戻ることは、しゃがみこんだままの渕上から目を離すことになってしまうからだ。

 「どこ?」

 口にした時にはすでに車のほうに近い。渕上の姿が見られない。

 「ここだよ」

 智沙は驚いて声のしたほうを反射的に見た。

 その先は説明するまでもないだろう。渕上は助手席に腰掛けて、

 「車の中で待っていてって言っただろ」と顔をにんまりとして言った。

 智沙は一言のみだった。

 「一発殴っていい?」

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