CASE.2-12
「こんにちは、大友岱忖さん」
大男と言ってしまっても過言ではない肩が広く背が高い男が体を丸めて椅子に座っていた。憔悴した目元にはクマがあった。
既に真鍋の姿がない。他の職員によるとすでに飽きて帰ったのだとか。
智沙は向かいに座り大友の顔を覗き込んだ。
大友は警戒し、緊張感が明白に顔に出ている。
「すみません。長い間拘留させてしまいまして」
大友は無言でうなずきもしない。
智沙は電子ボードを操作した。事件捜査からそれほど立っていないが、すでに集められた情報はアップロードされ、多くの画像や文書があげられていた。
「大友さんの元上司、立花景興さんが亡くなられたことは聞いておりますか?」と電子ボードの写真をテーブルに投影して見せた。それは智沙が見た個人番号カードの証明写真である。
大友はあからさまに表情をこわばらせた。
「というのもなんですが、立花さんの自殺とは別にサカキグループ、SCH会長、東郷平時さんの自殺事件の不随事件だとみているのです。これにはどう思います?あなたの勤務先が自殺現場とされているのですが…」
大友は顔を上げた。正面に見据えて、何処か所在なさそうに瞬きを繰り返す。
智沙は黙って鏡に向かって合図した。
数秒後渕上が現れ、智沙の横に腰掛けた。
「あんた。いつまで待たせるつもりですか」
大友は渕上を見つけるなりそう言った。
「ごめん。つらかったろうね」
何やら二人にしかわからない話をしていた。
智沙は呆気に取られて、渕上をきっと睨みつけた。
「実は彼にはここにいてもらったんだ。命の危機を感じたそうで、ここが一番安全だと思って…」
「勘弁してください。できればもっとほかの場所が良かったですよ。あの刑事、俺を何度も怒鳴りつけるんですよ。あなた、なんで事情を説明しないんですか」
大友は真鍋のことを言っていた。容疑者を怒鳴り追い詰めるやり方は真鍋らしい、やり方である。それでうっぷんでも晴らしている気になっているのだ。
「いつからいるって言ってたっけ?」
「今朝、4時ぐらいかな?」
4時と言えばまだ事件以来連絡が来るずいぶん前だ。智沙の出勤時間が9時だから、その時にはすでに拘留されていたという計算である。渕上にも知りえない参考人がここに匿われていたということになる。
「あなたまさか、あの力で…」
渕上の能力以外にそのような芸当ができるはずはない。思い至った智沙はすぐにでも捕まえて問い詰めたかった。
それにあれほど過去に干渉しないことと言っていた本人があっさりと過去の人間の行動を変えてしまったのだ。
「それもこれも、君が勝手に行動したからだ。君が男を追って無茶しなければ彼に会うこともなかった」
智沙にはそれが何を意味しているのか分からなかったが、思い当たる節はあった。
渕上はさらに智沙の耳元でささやいた。
「僕が君を置き去りにして元の時間に帰っていたら彼には会わなかった」
「あの…力って」と怪訝そうに大友が訊いた。
智沙は渕上に頭をこくりとして見せた。
「こちらの話です。それよりもいったい何から命を狙われていると思っているのです?」
「別に…何でもありません」
「そうとはいかない。他の場所を確保だってできるのですよ。それともこのままここにいたい?」
「さあ、教えて。事情も聞かず匿ってあげたんだ」と渕上も説得に回った。
「僕は君を助けるために大きな犠牲を生んでしまったかもしれない。でも残念ながら、君を助けてしまったことで別の人が犠牲になっていたとしても、もはや比較できないのだが…」
大友は目を泳がせた。
「今のは忘れて。私情が絡んだ」と渕上はいつものように冗談めかしく訂正した。
「今のどういうことよ?」と智沙はすかさず耳打ちした。
「ごめん。君に打ち明けてから、どうも気が緩んでしまって。余計なことまで…」
渕上の弁解を遮るように大友が話し始めた。
「サカキの奴ら。俺たちを嵌めたんだ」
「奴らというと?誰です?」
そう聞いた智沙の顔をハッとするように大友は顔を上げた。その顔は血の気の引いたように真っ青であり、唇を一文字にぎゅっと結んでいた。
「サカキグループの方々ですか?」
大友はうなだれるように頭を下げ「弁護士をお願いします」とだけ言った。
「今日はもう遅いですし、弁護士の到着は明日になると思いますが…」
念を押す智沙の説得に大友は首だけで示した。
この日、大友はこれ以上何も話すことはなかった。
智沙はデスクについてお茶で一息ついた。時刻は9時過ぎ。既に周りには職員は一人もいない。暗い部屋の一か所にデスクの明かりがぼんやりと照らされていた。
電子ボードを充電しながら、大友の資料を漁った。
「帰らないの?」
智沙はドキッとして振り返った。
部屋の奥に渕上の姿があった。何やらモグモグ口を動かしていた。ゆっくり歩いてきた彼が口にしていたのはおにぎりだった。
「食べる?」と菓子パンを差し出した。
智沙は「いいわ」と手でも示して見せた。
「何か手伝おうか?」
「大丈夫、もう帰るわ。なんだか眼が冴えちゃって」
「ああ。君、寝ていたものね」
智沙はそうかと今更ながら気が付いた。体内時計がおかしいのはすべて時間移動の副作用によるものらしい。
「あなたは?あの力で疲れないの?」
「疲れたら、仮眠すればいい。時間なら過去にはたくさんあるから」
1日24時間の定義が渕上には通用しないのだ。渕上にとって時間とはただ未来に流れる一定の空間でしかないのだ。
「未来には行けないの?わかると思うけどこの場合はとび越えるって意味だからね」
「そこまで万能じゃない。僕は決まった過去に戻るだけ。それに未来に飛び越えるなんてこと不可能だって本で読んだことある」
これも『要因と時空』の著者赤枝慶吾の説である。
まず初めにそもそも『未来』とはもっとも短い間隔において少しずつ先に進んだものの全体または集合体と定義した。ここでのポイントは短い間隔ということに重きを置いている。どの辺までが短い間隔なのか、これはまた別の『ミクロタイム』の問題として議論が交わされているの。いずれにしても未来の定義により、超未来への移動は不可能という説に行きついた。
『超未来』とは、予測できない未来または不確定な未来のことであり、想像や推測であらわされる未来といった精神的世界とは違ったものと定義した。
赤枝慶吾はこれらを定義したうえで超未来は不確定な未来である故、現代から未来への跳躍的移動は不可能だと結論付けたのだった。
そのようなこと知る由もない智沙には新鮮に聞こえた。時間移動に関してはだれもが素人でしかない。
「未来に飛び出すってことは恐ろしいことだと思わない?将来には暗い未来しかないってわかってしまうのは耐えられないとおもうなあ。僕はそんな忍耐強くないからね」
渕上は飄々としてお茶をすすった。
「未来って必ず暗いものなの?」
「さあ、どうだろう?未来を予言する人って大体暗い予言しかしないから」
「恐怖洗脳みたいなものね」
「そうかも」
智沙は納得してデスクを片付けた。
確かに未来はいつだって暗いものとして描かれる。そういった悪い未来にならないために未来を知った人物たちが奮闘する話はありふれている。案に未来を知ってしまうよりも、現実を受け止めて現れた災いに対処する姿勢のほうがストレスは抱えないで済むのではないか。
こんな思考が智沙の脳を巡った。初めての感覚に静かな興奮が心地よかった。
「じゃあ、明日は碓井さんとサカキだ」
「そう、そして倉さんと桑原くんは立花周辺」
智沙はスケジュールを唱えた。自分が指示したことぐらいは覚えている認識はあったが、間違った認識を与えていないかや変なことを命令しているのではないかという若干の保険行為でもある。
「碓井さんかわいいものね」
「ちょっと変なことしないでよね」
夜も本番、街灯の明かりがポツンポツンと間隔をあけて灯っていた。国の節電政策は路上においても例外はない。本部建物の周辺はほとんど低層な建物が連ねている。都心事件以来、高層ビルの耐震性への危惧が注目を集め、土地を有効利用する方針に転換していった。上に向かうよりも横に広がるほうが安全という発想だ。
「碓井さんていくつかな」
「ちょっと、本気?あの子に手出ししたら私が承知しないわ」
「冗談。年を聞いただけだよ。それに見てよこれ」
渕上は手を差し出した。薬指の指輪を見せたかったのだ。
「そう、結婚していたんだったわね」
智沙の心に何かがポカリと空いた気分だった。
「正確にはしていた」
無邪気な渕上の表情に一瞬影を浮かび上がらせた。
「とにかく。さやには私のように安易に力のことを教えないこと」智沙は察したように話題を変えた。
「もちろん。君は例外。首を突っ込んできたのは君なんだから」
そういわれてしまっては仕方ない。だが、言い分はもちろんあった。
「だからって、うまい回避ができないあなたの落ち度よ。私にもなんだかんだうまい言い訳を並べてくれれば知ることはなかったはずよ」
「どうだか?僕を責め立てるに違いない。君、あきらめが悪そうだからさ」
もはや反論の余地なし。ここでさらに言い訳を述べたところで、それは自分があきらめが悪いことを証明することになる。ここでは沈黙は金である。
「あ!ほら、あそこ!」
智沙が突然指をさした。指の先は地理的表すと川が流れている。
「それってマジシャンの常套手段だよ」
渕上は呆れたように一人で先を歩いた。
「狸がいたのよ」
智沙の指先は更地の奥、距離にして500メートルのところ。ちょうど川と橋の手前である。暗い夜道のほとりに見えたのだそうだ。
「家こっちだから、じゃあ」と智沙に構わす渕上は先を行った。
智沙はポツンと車の後ろで遠くに目をやった。そこには何もいない。更地と点々とした民家ぐらいだ。
「いたんだもん」いつしか口調がかわいらしくなっていることに彼女は気が付いていないようだった。
振り返ると渕上はすでに遠くに見えた。その後ろ姿は物寂しさを背負って見えた。
奥さんと並々ならない出来事があったことはさっき見せた反応から容易に検討が付いた。
智沙はエンジンを入れて帰路についた。いつものように自宅に戻り、眠りまた朝を迎える。そのつもりだった。しかし、いつもより時間的に数時間長い一日はまだ終わっていなかった。
車を走らせた先の道の真ん中に人が倒れていたのだ。
智沙は一瞬自分を疑った。まさか、人をはねてしまったのではないかと戦慄したが、そんなはずはないことに改めて落ち着いた。
車を降りると急いでその人のもとへと駆け付けた。
「渕上?」
倒れていたのはさっき別れたばかりの渕上だった。顔中にあざがあり、口が切れたのだろう、吐血を伴っていた。だがそれ以上に違和感があった。
「う~」とうめき声をあげて必死に何かを伝えようとしていた。
智沙は急いで救急連絡を入れようと携帯電話を探した。いつもならジャケットの裏ポケットにあるはずだが、真夏の熱帯夜にジャケットはない。
「ちょっと待ってて」
渕上の耳元にそうつぶやくと急いで車へと向かった。社内のバッグにそれはある。智沙の頭はすぐにそう思い当たったのだ。
智沙は思わず舌打ちをした。携帯電話がないのだ。
また倒れている渕上のもとへと戻るととりあえず声掛けを始めた。
渕上は何かをつぶやいている。直感した智沙は耳を口元に向けた。
「連絡しないでくれ」
確かに渕上の口からそう聞こえた。
「え?無茶よ。すぐに病院に連れて行くわ」と智沙は力の限り渕上の体を持ち上げた。体力には一般成人女性より自信があると思っていたが、成人男性を抱えるほどの筋力はない。両脇に自らの腕を絡めて引きずった。
そのうち渕上はぐったりと意識を失った。緊張感のない体はより重く、自由が利かなかった。
後部座席に引きずり入れようと奮闘すること5分がかかった。
智沙は汗だくになりながらもエンジンを吹かした。車で10分のところに蝶の森林記念病院がある。カーナビなど操作している時間が惜しかった。智沙は記憶なのかのルートを頼りに目的地を目指した。
「頼む、病院には行かないでくれ」先ほどまで意識を失っていた渕上が呻きながらも必死に抵抗した。
「へ?」
「病院だけは…」
「ダメ、何を言っても病院に連れて行く」記憶の中では病院はもうすぐそこだ。たとえ今更引き返すように言われても従う気はない。
「君に伝えなければならないことがある。だから絶対病院にだけは…」
「わかったから、話なら病院で聞く。もう、しゃべらないで」
病院はもうこの先の一画、記憶通り周辺の地理風景は間違いなかった。智沙の中ではすでに病院が見えている。
「あと少し、だから落ち着いて」
そう言ったつかの間、智沙は落胆した。記憶の中の病院などそこにはなかった。蝶の森林記念病院どころか、建物も経っていない。だだっ広い更地が空間をもてあそんでいた。
(記憶違いなの?)
言葉を失った智沙は渕上に悟られまいと、気丈に「もう少し、必ず助けるから」とふるまってみせた。
(カーナビ!急がば回れってこと)
路肩に止め、面倒で操作していなかったカーナビを起動させた。画面上に『蝶の森林記念病院』の文字を入力したのだが、50音順に不慣れな智沙はそれだけでもかなりの時間のロスをヒシヒシを感じていた。
目的地指定し、設定の完了が確認でたが、なかなか反応を示さない。仕方なく車道に出ていつでも出発できる準備を整えた。
『目的地到着まで間もなくです』と音声が聞こえてきた。
思わず画面を見つめた智沙にはそれが誤作動にしか見えなかった。目的地ルートは明らかにすぐそこの更地を示しているのだ。
「まったく!」
智沙はカーナビに怒鳴りつけた。旧型のナビだから情報更新も古いらしい。この時ばかりは音声認識システムを羨んだ。
機転を利かせて目的地入力画面に戻って『蝶の森林記念』の文字を消去した。病院の場所で検索をかければ最寄りの医療機関が検出されるはずだ。
検索結果は三桁を超えた。周辺以外に半径数キロ先まで検出したらしく、余計に端末の動きが遅い。
(ここね)
現在地から5分の地点にある『大船常盤救急病院』の文字が智沙の目に飛び込んできた。『救急』の名があるぐらいだ、すぐに受け入れてくれるはずだとも思い立った。
「病院はいいから、聞いて」
渕上はますます顔色が悪い。本当に死んでしまうような鬼気迫るものがあった。
「とにかく、診てもらわないと」
智沙はさらにアクセルを踏んだ。法定速度を超える速さでエンジンがうなる。ついでにポータブルサイレンを屋根に載せ、緊急車両を装った。交通量が多い大通りでは特に目立っていたことだろう。
『目的地到着は間もなくです』
カーナビのお決まりの音声に智沙はまたも落胆した。病院などどこにもないのだ。あるのはまたもや更地。
智沙は思わずカーナピの画面を殴りつけたくなった。機械のもてあそばれているとしか思えないのだ。
「着かないだろう」
「まさか、何か知っているの?」自分でも思いがけない質問だった。渕上のけがと病院の経営とは何の因果関係もないはずなのだから。
「病院はあきらめて。どこか別の場所で…」
そう言ったっきり渕上は深い眠りについた。
そして思いついた先が彼女の部屋であった。
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