CASE.2-19

 真鍋金治は智沙が何となく手渡した情報『寺浜龍悟』の名前からどうして逮捕に直接結びつけることになったのかを智沙は頭の中でずっと考え巡らせていた。

 あの時、寺浜の名前は捜査線上に一切出ていない。写真画像すらなかった。あるのは役職と情報提供に関してだけ。

 つまり考えられるのはそれ以上に真鍋の手元に何かしらの情報があったということだろう。現場に出ていないはずの真鍋が手にできた情報源と言えば大友宗介ぐらいだろう。

 渕上が過去から引っ張ってきた大友宗介という人物が何かしらの情報を持ち、真鍋に証言したということなのだ。

 「弁護士を呼ぶと言ったはずだ」

 幸いなことに過去に介入した影響がないようだった。智沙と渕上を見て真っ先に弁護士の話を口にするのは過去を裏付ける確かな証拠だった。

 「あなたには助けてもらいましたけど、俺はこれ以上何かを口にする気はありませんから」と渕上をにらみつけた。

 「弁護士が来る前にどうしても聞きたいことがあったんだ」

 「いやです。何を聞かれても俺はこれ以上話さない」

 「大友さん、あなた昨日うちの真鍋に何か話しましたよね」

 大友は知らん顔を決め込んだ。

 「きっとある人物の名前を言った」

 「…」あくびまで掻いて大友は無視を貫こうとした。

 「寺浜龍悟。サカキカーホールディングス警護担当の男」

 大友は眉毛をピクリと動かした。それでも無言だった。

 「端的に言います。立花景興さんと共謀し東郷会長を殺す計画を立てましたね」

 「どうしてそれを…」思わずといったように大友は反応した。

 「それもきっと裏の計画。立花さんは東郷会長を殺すためではなく、裏の計画、それは会長を守るために死を偽装して会長を匿う計画だったのでしょう」

 生唾を飲み込んだ大友は震える声でついに話し始めた。

 「初めは島村って先輩のためだったんだ。島村さんの無念を晴らすためなら殺人だって手伝ってもいいと思っていた。あの時は本当におかしかったよ。酒のせいか変に頭に熱がこみあげてきて。あとから立花さんから話題をもう一度振られたときは冗談だと思ったんです。でも違った。殺人っていうのも違った。憎いはずの会長を救おうって話で立花さんは計画を立てていたんだ。なぜかと聞いたとき初めて立花さんと東郷は親子関係だって聞かされたよ。人助けならって俺も手を貸したんだ。だから俺にも立花さんにも悪意はない。事故だったはずだ」

 それについては智沙たちの知るところである。結果的に事故ではなく自殺となったが証言できる人物は智沙を置いて何処にもいない。

 大友は鼻水を垂らしながら懐に手を突っ込んだ。

 「ティッシュなら」と智沙はポケットティッシュを差し出したが、大友は懐の手をまさぐり続けた。

 やっとのことで大友は懐の奥から封書を取り出した。中で折れ曲がって引っかかっていたのだろう、取り出した時にはすでにくちゃくちゃになっていた。

 大友は封書をテーブルの上に置き、開くようジェスチャーをして見せた。

 一度ひっこめたポケットティッシュを再び大友に差し出すと、智沙は封筒の端を指でつまみ渕上に渡した。

 渕上はことさらに嫌な顔を向けたが、智沙の無言の圧力に負け渋々と言ったように中身を拝見する。

 「これは?」智沙は大友に問うた。

 大友は鼻をかみ終えると、目を赤くして答えた。

 「東郷会長から託されました。遺言でしょう」

 渕上はくしゃくしゃになったその髪をテーブルの面で広げると、食い入るように読み始めた。

 「いつこれを?」

 「2日前の夜。会長が亡くなるちょと前です。会長は俺が上で待機していることを知っていました。立花さんと会う前に僕にこの遺書を手渡したのです」

 「なぜすぐにこれを出さなかったの?」

 「俺もこんなもの渡されても迷惑だからことが終わってから立花さんに渡そうとしたんです。せめて計画通りに会長の身を保護出来てからにしようって待っていたんです。だから連絡を待っていたんですが、なかなか連絡がないもんで、不安になって下に降りてみると寺浜さんが書類は何処かと怒鳴っているのが聞こえたんです。中ではものすごい乱闘騒ぎを繰り広げていたようで、そのまま引き返したってことなんです」

 横で聞いていた渕上は顔のあざを撫でた。

 「立花さんが殺されたと聞いたものだから保身のためにとっておいたんです」

 大友が黙秘した理由も、渕上に助けを求めた理由も、2日前にあった寺浜と渕上の乱闘騒ぎが原因だったというのだ。すべては3度目の過去移動行為をなしていた自分たちに原因が由来していることに智沙は落胆した。

 「すみません。そう少し待っていてください。身の安全が確保でき次第釈放いたしますから…」

 大友は顔を上げて驚いた顔で二人を見た。

 「何か不便なことがありましたら職員に言ってください」

 「いえ、終わりですか?殺人未遂罪とかは?」

 大友はすべてを話した始めた時から覚悟していたのだ。罪の懺悔を果たした男の表情が少しだけ明るくなったことがストレスの大きさを物語っている。

 「できれば寺浜龍悟を逮捕するまではここにいていただけますと我々も安心です」

 「はい」大友は何も考えずそう答えると再び鼻をかみ静かに肩の力を落とした。


 智沙はため息とともにデスクについた。

 「犬養!」

 聞きなれた不快なはずのがなり声だが、無性に懐かしく感じられた。

 振り返ると真鍋が胸を張って威張り腐った姿で仁王立ちしていた。

 「…お元気そうで」

 「なに馬鹿なこと言っている。勝手に場を荒らすなと、さっき忠告したばかりだろ」

 考えてみれば少し的外れな返答だった。ことを知らない真鍋には責任云々の話はつい数時間前のことなのだから。

 「班長、寺浜が犯人だという確たる証言が手に入りました」

 渕上が間に割って入った。

 「何?本当か」

 「確かです。大友宗介が吐きました。それに証拠映像も」と渕上は電子ボードを手渡した。

 「これは?」真っ暗の画像にぼんやりと人影が映し出されていた。

 「事件当時の監視カメラの映像です。屋上は事件現場ではありませんでした。ほら、この人物、寺浜龍悟です。飛び降り自殺をして亡くなったとされた東郷平時の靴と遺書を設置しています」

 「つまり事件はこの男によって偽装されたものだと…」

 「そう、みたいだね」

 真鍋は歯ぎしりをして智沙を睨むと、

 「なぜボケっと座っている!」と一喝した。

 「気が早いのではありませんか?こんな映像だけでは事件に関与したという証拠にはなりません。少し決定打にかける気がしまして」

 智沙はどこかでむなしさを感じていた。殺人事件など存在していなかったということはもはやだれにも証明できない。結果的に東郷会長は自殺だったのだから。

 「事件の重要参考人だ。引っ張ることぐらいできる」

 真鍋は手にしていたカバン類を自らのデスクにたたきつけると、急いで手を動かした。

 「何でまくし立てるの?」と渕上に耳打ちした。

 「時間はなるべくして成る。この数日で学んだことだよ」

 「ちょっと来て」と智沙は渕上をつかんで部屋を移った。

 使われていない会議室に智沙は突き飛ばすようにして渕上を長テーブルに押し倒すと、胸に指を突き付けて詰問した。

 「ここでまた動いてごらんなさい。大友の話さっき聞いたでしょう。私たちが事件の発端を作っていたのよ。東郷は死に、立花も死んだ。大友は恐怖して証言を拒んだ。私たちが行動したことで事件関係者に裏目に出ているのよ。真鍋さんが殺されるのも私たちが関わっているかもしれないじゃない。それをどうして積極的に前回の出来事通りに誘導するのよ。過去の映像まで持ち出して…」

 「目的を忘れたの?僕らはなぜここにいる?なぜ遡ろうと思った?」

 「このまま寺浜を捕まえに行かせなければ未来は変えられる。そう思ったのよ。あれじゃあ、真鍋さんの運命にガソリンを注いでいるようなものじゃない」

 「それがいけないんだ。何もしない方法で過去を変える。今回は絶対にそんな方法は選んではいけない」

 渕上は起き上がるとホワイトボードに向かって図を描き始めた。平行な直線と簡単な矢印で説明した。

 「もし君の放置型を採用していたら現時点からこれからずっと2人は存在することになる。なぜか?放置しておいても真鍋さんは死なない。この時間上での僕らは過去に時間移動しようなど思いもしないことになる。つまり、僕ら二人はなぜこの時間帯に存在し、なぜ過去に戻ろうなど思ったのか、理論の根幹部分が破綻してしまう」

 平行線2本の間で線が引かれ、平行線の上一本目の線上細かく上下にペンでなぞるように覆い尽くす。

 「根幹が崩れ、存在意義をなくした僕らはたちまち姿を消すだろうね」

 渕上はペンをホワイトボードの淵において、確信を持って智沙に言った。

 「行動を起こすか、放置するか迷っているのはきっと真鍋班長を疑っているからだろう。本当に助けるべきか迷っているとかそんな次元の話ではなく、もっと上の次元の迷い。君はこの後の真鍋班長の行動にすら疑問を抱いている。そうだろ?」

 智沙は息をのんだ。渕上の的確な指摘で脳内の靄の正体が見出された気分だった。

 「時間の流れは待ってくれない。君が正しいと思う判断に任せるよ。その迷いもきっと時間の流れに必要なファクターかもしれない」

 「実際どうしたらいいのかわからないのよ。事件を未然に防げたとして、それで解決なの?真鍋さんを救ったところで、この時代の私たちは過去に戻ろうなんて考えもしないはず。私たちの目的は根幹部分を揺るがすことなのよ。私が命を落とす未来からの忠告がなければそもそも無理をしようなんて考えなかった。その部分から間違っているのよ」

 「君が死なず、時間軸も変えずに、過去を変えることができる方法はある。無理ではない。F&Sの応用、そう言っただろ」と再びペンを取るとホワイトボードの中心に文字を書き始めた。

 「ループの二重併合化?」


 智沙は走りまわった。これほどの速さで署内を走ったことは一度としてなかった。しかし肝心の真鍋はすでに何処にもいなかった。

 智沙は急いで装備課へ向かい、防弾チョッキを着用し、ついでにもう一つ男性用も借り受けた。そして拳銃の所持について脳裏をよぎった。

 「拳銃は持っていくな」という警告。渕上の仮説が正しいとすれば警告を聞くことは自殺行為。人命優先、捜査員の命がかかっている。

 智沙は目の前にあった拳銃をホルダーにしまい込み記録簿にサインした。そして勢いのまま正面門まで向かった女性捜査官の重装備に周りの目を引いただろうが構わなかった。

 今回警察車両は使えない。パトカーでは目立ってしまうのだ。

 「乗るかい?」渕上が運転席から頭だけを出して智沙に呼び掛けた。

 初めて見た渕上の愛車は嫌味なほど高級感を放っている。

 「まさかこの車」

 「副産物」

 智沙はすぐにでも渕上を締め上げたい衝動に駆られたが、そこをぐっとこらえてその高級車に乗り込んだ。

 「行先は寺浜の自宅だね」

 渕上は電子ボードの情報を確認した。だが、住所の情報は記載されていない。この日の朝に確認した情報以上に何も更新されていなかった。

 「まずい。寺浜の住所を調べておくべきだった」

 ここにきて準備のほころびが出た。この時はまだ寺浜は容疑者ではない。寺浜をマークしだすのは少なくとも真鍋が殺されるか、元サカキ社員の島村正志殺害が浮上した後のことである。

 「あなた、この日にサカキを聴取したんじゃないの?」

 「言ったけど、住所までは…」

 「こうなったらさやに聞こう。あの子なら几帳面だしメモぐらいは…」と智沙は早速携帯電話を操作して碓井の電話に繋げようとした。

 「危ない!」と渕上はおもむろにその携帯電話を取り上げ、すぐに電源を落とした。電話の呼び出しはワンコール目を終えたところだった。

 「ちょっと、前見てよ」

 目的地もわからず運転しているはずの車両はかなりのスピードが出ていた。

 「何度も言ったはずさ。今、携帯電話は不用意に使ってはいけないって」

 「覚えていたけど、緊急時よ。あんまり怒らないで」内心では忘れていたのだが、おくびにも出さず気丈を努めた。

 「もう、いいから。住所なんてわからなくてもいい。あの駐車場にいこう」

 「初めからそう言ってよね」

 一台の高級車がとんでもない速さで夕日に暮れつつある西日の中を駆けて行った。

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