第42話

「くそっ、どうして師匠のラインで曲がれないんですか?」


 達也は地面を叩いた。


「倒しが甘い?アクセルの開け方が悪い?突入スピードが間違っている?師匠いったい何が悪いんです。教えてくださいよ」


 悔しがる達也を翔子は黙って見ていたが、小さくため息をつくと達也に手を差し伸べる。


「結構走ったし…見晴らしもいいからここで昼食にしましょう」

「えっ?でもコンビニ行かないと食べるものが…」

「いいから、バイク起こしてあの見晴らし台のベンチへ来て」


 そう言い残してさっさと行ってしまう翔子。仕方なく達也は、KLEに戻り、バイクを起こすとエンジンチェックをした。カウルにはひびが入って、フットブレーキのレバーが少し湾曲したが、エンジンは問題ない。この先走るのに支障はないようだ。自分のメットをハンドルバーに引っ掛けて、達也は翔子の待つ見晴らし台のベンチへ向かった。


 ベンチでは翔子が自分のライダースーツの上半身をはだけ、Tシャツ姿で涼を取っていた。スーツの気密性で体温がこもり、Tシャツはかなり汗を吸っている。しかし、不潔感はなかった。引き締まった翔子の身体は、病院にやってくる患者さんを見なれた達也には、眩しいほどの健康美だった。ただ、Tシャツの上から翔子の着けている下着のラインがはっきりと見えるのが困りもんで、達也はどこに視線を置いたらいいのか、かなり戸惑った。


 とにかく、できるだけ翔子を見ないように、彼女の横に座ると達也もスーツの上半身をはだけた。達也のTシャツも汗で濡れていたが、そこから透けて見える肉体の何と貧弱なことか…。確かにこんなショッカーでは副長に勝てるわけが無い。


「バイク起こすの、だいぶ上手くなったわね」

「そうですか…それでも精一杯ですよ。もっと力つけなくちゃ…」


 達也は両腕に力瘤を作って左右見比べた。


「力じゃないの、コツなのよ。誰だって200キロのバーベルは持ち上がらないでしょ。でも小さな動を作り出すことができれば、バイクの自重を利用しながらコテの原理で200キロのバイクも立たせることができるの」


 翔子の言葉に、達也はふと以前出会った華奢なライダーのことを想い出した。彼は半円を描くように身体を動かして、重たいリッターバイクを立ち上げた。その時は奇跡を見たような気持ちになったっけ。


「お腹空いたでしょ。食べなさい」


 翔子はどこから持ってきたのか、デイパックから、アルミホイルに包まれたおにぎりを取り出して達也に差し出した。


「朝早い出発だったのに、おにぎり作ってきてくれたんですか。感激だー」


 達也は翔子の手から奪うようにおにぎりを引ったくると、ホイルをむくのももどかしく頬ばった。


「少し塩をきつくしてるからね」

「おいしいです」

「中身何だった」

「しゃけみたいです」

「ああ、当たりね。何も入っていないスカもあるから…」


 一気に頬張り過ぎたのか、達也がしゃくりをしながら苦しそうに胸を叩く。翔子は首を横に振りながら、デイバックからミネラルウオーターを取り出して達也に渡した。


「達也…そんなにお腹空いてたの?」

「ええ、朝抜きだし…それにバイクのライディングってやたらお腹すきますね」


 達也の答えに頬笑みながら、翔子は街の上に広がる空に視線を移した。


「ところでね。昨日副長が病院に来て…」


 おにぎりを頬張りながら、達也が昨日のコッペイの病室の出来ごとを、楽しそうに話し始めた。


「副長もいいとこありますよね」

「そう…確かに、あいつ乱暴だけど結構、優しい所あんのよ。特に男にね。目下のメンバー皆に兄貴として慕われていたわ」

「へー、そうなんですか…」


 翔子は空から視線を戻し、達也をじっと見つめた。


「ねえ、聞いてもいいかしら?」


「なんでしょうか」

「この前家に来て、お父さんの言う通りに医者になったって言ってたじゃない」

「ええ、まあ…」

「そんなにお父さんが怖いの?」

「そうストレートに聞かれると、ファザコンみたいで抵抗あるけど…確かに苦手ではありますね」

「怖いのと苦手なのと、どう違うの?」

「ううむ…」

「あなたのコーナリングを見ればよくわかるわ」

「また、禅問答ですか?」

「いえ、簡単なことよ。バイクってね、不思議なもんで、ライダーが見ている方向に走っていくものなの。曲がる時にね、フェンスにぶつかりそうで怖いと思って、そのフェンス見てしまうと、なぜかフェンスに向って走ってしまう。だけどね、自分が行きたい先を見つめると、自然にその方向にバイクは向かってくれるのよ」


 達也は翔子の言っている事を必死に理解しようと、おにぎりをかむのを忘れて翔子の次の言葉を待った。


「さっき、自分の何処が悪いんだって言っていたじゃない。倒し方だの、ブレーキだのと技術的なことばかり言っていたけど、答えは簡単。抜けていきたい先を見てないから曲がれないのよ」

「見ていない?」

「そう、フェンスが怖いから、つい怖いものを見てしまう。だからそっちの方向へ行ってしまうの。今度は、どんなにフェンスが怖くても、自分が行きたい先を見続けなさい」


 達也はしばらく黙って翔子を見続けた。そして、視線を空に向けると、手に持ったおにぎりを全部口の中に入れて翔子の言葉を咀嚼する。


「ひきたい…さふぃ…を…みすずける…」


 するといきなり思いついたように、口の中のおにぎりを飲み込み、むせりながらも翔子に尋ねた。


「で、でも、それと、さっきの父の話しは何の関係があるんですか」


 翔子は笑いながら、達也の口に付いたご飯粒を手でつまんで自分の口に入れた。


「それは帰ってから、ひとりでじっくり考えなさい。ぼくちゃん」

「ちょっと、子ども扱いはやめてください…」

「行くわよ」


 翔子はベンチから立ち上がった。

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