第26話

 哲平は、バイクの白いボディを指で叩きながら、イラついていた。


 交差点での違反車監視の職務についている彼ではあるが、翔子のことが頭から離れない。翔子が男と付き合っていた。しかも、あろうことか相手はペケジェーである。


 生前、団長と飲んでる席で、もし俺になんかあったら翔子を頼むとまで言われた哲平が、今まで翔子にそれを言いださなかったのは訳がある。団長が言っていた『翔子の彼氏になる男は、翔子を守れる強い男でなければだめだ。』の言葉を忠実に守り、彼は警察官となって、彼女を守れる男として精進することを優先した。

 一人前の白バイ隊員になったあかつきには、団長から頼まれたことを翔子に告げようと考えていたのだ。それが、いきなり現れた男に翔子をかっさらわれてしまった。百歩譲っても、あいつは、翔子を守れるような男じゃない。あんな男と翔子が付き合うことを許したら、あの世で団長に合わす顔がない。


 いきなり、大きなタイヤの摩擦音がしたかと思うと、大胆にも一台のセダンの高級車が右折ラインに並ぶ車を尻目に、直進ラインから急に右折展開した。指定区分通行違反。よりによって機嫌の悪い哲平の目の前で違反するとは不運な車だ。


『このやろう、ナメやがって…』


 哲平はサイドスタンドを蹴りあげ、ミサイルが打ち出されたように飛び出すと、サイレンの音もけたたましくその車を追った。彼はアクセルグリップを絞りながら、できればあの車に、いじめがいのあるチンピラが乗ってたらいいと願った。

 そうすれば存分に憂さをはらせる。違反車は、サイレンの音にもスピードを緩めることが無かったが、彼のライディングテクニックを持ってすれば、追いつくのはたやすい。難なく違反車の後ろに着くと、左によって制止することを指示した。


「ちょっと乱暴な運転ですね」


 車のパワーウィンドが緩やかに降りると、顔を出してきたのは、紫がかったサングラスをかけた女性だった。チンピラじゃなくてがっかりだ。ブランドで固めた身なりは、どことなく生来の品を感じさせる。どうも水商売と言うよりは、どこかの金持ちの奥様といったところだろうか。哲平が一番苦手とするタイプの人種だ。

 つんと上げた顎が、高飛車な性格を想わせるが、今哲平を見上げる表情がどことなく焦っていて不自然だ。哲平はこの車に麻薬か何か隠されているのではないかと警戒した。


「さっきの交差点で直進レーンから右折されましたね。免許証を拝見できますか」

「助けてください…」


 消え入るような声で助けを求める女性に、異常性を感じた哲平は思わず警棒に手を添えた。


「どうしたんです?」

「幼稚園に子どもを迎えに行ったら、急に胸を押さえて苦しがって…」


 警棒から手を外し、見ると助手席にうずくまって呻く男の子が見えた。小さな手で胸を押さえて苦しそうに息をしている。唇が青かった。


「救急車をなぜ呼ばないんですか?」

「帰りの車の中で苦しみ始めたから、もう自分が運んだ方が早いと思って…」


 確かに子どもの様子を見るとその苦しみようと顔の青さが、一分の無駄も許すべきではないことを物語っている。


「…で、どこに運ぶつもりなんです?」

「上田総合病院にこの子の主治医がいて…」

「病院まで結構ありますよね。そこまで、そんな運転で行くつもりですか」

「でも…苦しそうなこの子を見ると、少しでも早く連れて行ってあげないと」

「ここで切符切っても意味なさそうですね。お子さんを寄こしなさい」


 女性は突然の申し入れに躊躇するも、哲平に再度促されて、不安そうに子どもを渡す。哲平は、プロテクターベストを緩めると自分の腹の前に子どもを抱え入れ、ベストのベルトを子どもの背中にまわしてロックした。赤ちゃんをかかえる抱っこひもの要領だ。


「自分がお子さんを病院に連れて行きます。お母さんは病院に電話して受入体制を要請してください。それから、安全運転でゆっくり来るんですよ」


 哲平は子どもを抱えたまま自らの白バイに飛び乗り、サイレンを鳴らして、またミサイルのように飛び出していった。


 明らかに職務規定違反である。理由はどうあれ、白バイに傷病の子どもを同乗させて、サイレンを鳴らして疾走するなんて前代未聞だ。始末書と1カ月乗務停止は免れない。しかし、哲平はアクセルを緩めなかった。理屈ではない。彼の直感が子どもを一刻も早く病院へ届けるべきだと告げていたのだ。

 サイレンが前方の車たちを左右に履き出して、一本の道を作る。哲平の白バイはその真中を疾走した。交差点では、信号の状況、車の状況、それらを一瞬で見極めて、大きなバイクを左右に傾けてすり抜ける。それは判断ではなく、彼が若い頃無謀な走りで培った反射神経であった。


「迫るー、ショッカー、地獄の軍団。我らをねらう黒い影。世界の平和を守るため~」


 哲平がライディングでゾーンに入ると、必ず無意識に口から出て来る歌だ。

 子どもは、息の苦しさにもだえながらも、哲平の胸から伝わるこのヒーローの主題歌を聞いていた。


「苦しいか、ボウズ。もうすぐ病院だ。我慢できるよな。幼稚園に帰ったらみんなに自慢しろよ。白バイに乗って走ったなんてボウズだけだからな」


 哲平は、彼の胸の中でこどもが小さくうなずくのを感じた。

 サイレンと哲平のライディングテクニックで、驚くほどの短時間で白バイは上田総合病院の救急入口へ着いた。見ると、医師と看護師がストレッチャーを出して待機している。


「ご苦労様です」


 医師が子どもを受け取ろうとすると、子どもは苦しいにもかかわらず哲平のベストを掴んで離そうとしない。


「俺が役にたてるのはここ迄だ。あとは先生に任せないと…」


 しかしこどもはその手を、一向に離そうとしない。

 哲平は優しくこどもの手を解き、医師に委ねた。こどもはストレッチャーで運ばれながらも、いつまでも白バイにまたがる哲平を見つめていた。

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