第13話

 達也が夜間当直の日。のどが渇いたので外来ロビーにある自動販売機に飲みものを買いに出た。


 アイスコーヒーの紙パックにストローを差し込み、チュウチュウ吸い込みながら廊下を歩いていると、一枚のポスターが達也の目にとまった。


『国境なき医師団の医療援助活動にご協力を』


 特定非営利活動法人国境なき医師団が海外での活動支援を呼び掛けている。

 もともと国境なき医師団は、貧困や紛争などで命の危機に直面している人々に医療を届けるため、1971年に、フランスの医師とジャーナリストにより設立された。

 現在では世界28カ国(2012年現在)に事務局をもつ国際的な組織だ。日本からは89人の海外派遣スタッフが24カ国で計122回の援助活動に従事している(2011年実績)。

 こんな高尚な活動に従事する医師ってどんな人たちなんだろう。

 達也は思いを巡らせた。派遣の費用や現地での食住の手当てはあったとしても、月々14万7千円の給料で、劣悪な環境での激務に参加したいと思う人はそう多くないはずだ。医師になるための多大な金額と労力の投資の行きつく先がそこだとしたら到底見合わない。ならば、投資に見合う行きつく先はどこなのだろか。そう思うと、達也もはたと考え込んでしまった。

 そもそも自分はなんで医師になろうとしたのだろう。医師になれと、父から言われるがままに、必死に勉強した。しかし、めでたく医師になってみると、そこで何をしたいのかなどとまったく頭に浮かばない。

 きっと国境なき医師団の活動に参加する医師は、いのちに対して確固たる信念を持っているのだろう。自分には無理だ。だいたい参加を希望しても父が許すはずもない。


「あのぅ、すみません」


 ポスターに見入る白衣の達也に問い掛ける声があった。


「薬剤部はどちらでしょうか?」


 達也が振り返ると。小さな箱を持ったバイク便のライダーが立っていた。


「夜間入口で守衛の方にお聞きしたんですが、迷ってしまって…」


 バイク便のライダーは女性だ。そしてその顔を見て驚いた。赤いゴムで髪を後ろに束ねているが、見間違えるわけない。あの情熱的なブラウンの瞳、潤んだ唇、柔らかな顎の線。まぎれもなく目の前に立っていたのは、あの朝のトリニティだったのだ。達也の胸の鼓動がなぜか早くなった。


「こ、この通路をまっすぐ行って、突き当たりを…ああ、自分が案内します」

「そんな…お忙しいところすみません」


 実は薬剤部までは、そんな難しい順路ではなかったのだが、達也はトリニティと話をしてみたい衝動にかられ、あえて連れだって歩くことにしたのだ。

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