第12話

「はい、そこのバイクの運転手さん。左に寄って停車してください」


 後方についていた白バイが、達也のバイクに停車を命じた。白バイは達也のバイクの目の前で、滑るように停止し、ハンドルを左に切ってエンジンを止める。そして、サイドスタンドを上げ、長い脚をはらってバイクから降り、手袋を外して、メットのバイザーを上げる。

 この一連の動作を古来の舞のように優雅に繋げる白バイ隊員を見て、達也は感心せざるを得なかった。

 しかし、白バイ隊員が、故意と思えるほどの大きな足音を長靴から出して近づいて来るに従い、それら一連の動作は、実は庶民に官の威圧感を与えるための所作なのだと、やがて達也も気付いた。


「お仕事ですか?」


 白バイ隊員が意味不明な笑顔を顔に浮かべて達也に話しかけてきた。達也は違反をしていないはずだと自分に言い聞かせたが、なぜか声が震える。


「いえ…」

「ドライブですか…今日のような天気のいい日は、バイクでドライブは最高ですね…」


 免許証を確認することが目的なのに、最初は親しそうにたわいもない話しを切りだす。官の常とう手段だ。


「ちょっと免許証を拝見できますか?」


 達也は白バイ隊員の求めに応じて、財布から自分の免許証を取り出した。


「2輪の免許交付が最近ですね…」


 免許証と達也を交互に見ながら白バイ隊員がつぶやく。


「ええ、大型2輪の免許を先週取得しました」


 今度は白バイ隊員が、達也のバイクを眺めはじめた。


「ペケジェー(XJ)ですか…。渋いバイク乗ってますねぇ」


 達也は白バイ隊員が言っている意味がわからなかった。


「ペケジェー?」

「このバイクのことですよ」

「そうですか…実はさっきバイク屋から納車されたばかりで…」

「へぇー…。以前は普通2輪(400cc以下)を乗られていたんですか?」

「いえ、これが初めてのバイクです」

「えっ、初バイクでペケジェーのリッターですか?」


 白バイ隊員が小さく吹き出したのを達也は見逃さなかった。


「何か問題でも…」

「いえ別に…。しかしこれで、先程のあなたの走行の理由がわかりましたよ」


 白バイ隊員は免許を達也に返した。


「あなたの意気込みは認めますが、周りの安全を考えたら、やはり小さいバイクから始めた方がよろしいんじゃないですか…」


 親切なアドバイスであるはずのその言葉に、達也は強烈な侮辱を受けた気分になった。


「それでは、安全走行でお願いいたします」


 白バイ隊員が軽い敬礼をする。白いヘルメットの額に指を添える彼のグローブに、『交差する雷に小さな梅』の小さなワッペンが縫い込まれていることに達也は気付いた。白バイ隊員は止まった時と同じように澱みの無い動作で白バイにまたがると、一陣の埃を舞わせて走り去っていった。


 しばらくの間、屈辱に耐えながら白バイ隊員の後ろ姿を見送っていた達也も、気を取り直してバイクにまたがった。

 バイクの隠し置き場まで、緊張のドライブが再開されると、さきほど受けた劣等感など味わっている余裕などない。その後なんとか転倒は避けられたものの、バイク置き場でセンタースタンドを苦労して上げた時には、もう達也は身も心もクタクタになっていた。

 バイクから解放されて、改めて自分を見ると、オイルが飛び散って、ズボン左裾が真黒だ。オイル漏れ?…。なんとみじめな初航海だ。こんなドライビングは全然面白くない。きっとこれは自分のせいだけではないはずだ。そうだ、この中古バイクに変な癖があるからなんだ。やはり新しいバイクじゃなければだめだ。

 しばらくズボンの汚れを眺めていた達也はそう結論付けた。字が汚いのを筆のせいにする。やはり、人間というものはどうしようもなく身勝手な生き物なのである。

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