モデリングサーガ
ふゆせ哲史
第 1話 そんな事よりプラモが作りたい
最初に男の目に付いたのは、石畳の上に転がっているランナーだった。
四角い枠に、足、手、頭、などのパーツが分割してくっついている。
灰色でいくつも重なり合ったそれはまるで遺骨のようにも見えて顔をしかめた。
冷たく固い石畳の感触に嫌気がさして身体を起こすと、なんだか頭がぼんやりする。
辺りを見回すと、ここはどこかの遺跡のような場所だった。
石造りの柱に石を切り出して積み上げたような壁、西洋の城や神殿を彷彿とさせる大きな広間で、壁にはボロボロになった布が掛けられている。
布は退色し、薄汚い茶色だが所々に色が残り綺麗な真紅が覗く。
飾りや紋章を刺繍した跡なども見られ、作られた時はさぞ立派な紋章旗だったのだと分かる。
そして男の視線は広間の奥、不気味なオブジェで止まった。
「……磔台? なんで?」
そこにはYの字の形の磔台が鎮座していた。
赤黒く艶があり、見る角度によっては青くも赤くも見える不思議な材質で作られている。表面は内臓のようにボコボコといびつに膨らみ、躍動しているかのようだ。
男がおっかなびっくり近づいてよく観察すると、凹凸に紛れるように直線のみで作られた文字のようなものが刻まれていた。
見たことあるような、ないような文字とも模様とも見える刻印。
「ロ・プ・ト?」
何故この字が読めたのか分からない。
だが自然にこれは、自分の名前だ、と感じた。
自分の名前は、ロプトだ、と。
じくり、と脳髄が痛むような感覚に襲われる。
男、ロプトは、小さく頭を振り、磔台を再び見た。
この磔台は異様だ。この広間の雰囲気からは甚だ浮いている。
まるでこれだけが突然現れたように、デザインの類似性も、素材の共通性もない。
磔台の下には割れた手枷と足枷が転がっていた。
ロプトにとって愉快な想像ではないが、どうやらここに磔にされていて、何らかの理由でそれが外れて床に転がっていたらしい。
「訳わかんねぇ、どこだよここは……。俺は――」
ロプトはどうしてこんな場所にいるのか記憶をさかのぼろうとして顔をしかめた。
目覚める前の事を思い出そうとすると頭を大きな針で刺したような痛みがはしる。
あまりの痛みに立っていることが出来ずにうずくまった。
何も思い出せない。自分が、ロプトという人間がどういう人間なのか分からない。
何故ここにいるのか?
どうして磔にされていたのか?
何で記憶がないのか?
疑問がぐるぐると頭の中に反響し、意識が混濁していく。
ぼやける視界の中、目に入ったのは床に散乱したプラモデルのランナーだ。
「ん? ランナー?」
ロプトがそれを見た瞬間、それがプラモデルのパーツのまわりに付いている枠で、成型の際に樹脂を流し込む経路、だと分かる。
更にははプラモデルが、プラスチック製の模型、あるいはそうした組立キットだという事も分かる。
すると頭を割るような痛みと共に脳内にいくつもの映像が浮かんできた。
両親と公園で遊ぶ幼い自分、小学校で友達と走り回る自分、中学校で部活動に打ち込む自分、高校生になって告白して振られる自分、大学生になって講義をサボって麻雀する自分、会社に入って新歓コンパで酔いつぶれる自分、仕事に明け暮れて疲れ果てた自分、日曜日に嬉しそうな顔で買ったプラモデルを持っている自分。
そういった映像が一瞬にして脳を貫き、消えた。
「……あのプラモ、まだ作ってなかったのに」
胸に湧いたのは、何よりもその後悔だった。
発売を楽しみにして待ち、唯一時間の作れる日曜日に作ろうと思っていた。
その後どうなったのか分からない、今のが自分の過去なのかも分からない。
ロプトは頭の痛みに顔をしかめながら、床に転がっているランナーを拾いあげた。
しげしげとパーツを見ていると、なんとなく生き物のプラモデルだと見当が付いた。
「……へぇ、かなりいい出来だな」
ロプトは自分の状況も忘れてじっくりとパーツを眺めながら、つぶやいた。
獣の毛皮のようなパーツはディテールがしっかり作り込まれていて、毛の一本一本を表現するように溝が彫られている。
ランナーが付いているということはこのモデルは射出成形キットのハズだ。
射出成型キットはパーツのカタチをした金型にプラスチックを注入することで成型するプラモデルだ。複数のパーツの金型に一気にプラスチックを注入するための経路としてランナーが存在している。金型に空いた小さな穴から注入されたプラスチックはランナーという通路を通って各パーツの金型に辿り着くのだ。
つまり、ディテールが細かいということは、元となる金型がしっかりと細かく作ってあり、かつ注入する圧力や速度が適正で型に隙間が生まれないという、事だ。なかなか簡単に出来る事ではない。
「ああ、くそっ! プラモ作りたくなってきた」
ロプトはランナーを眺めていると居てもたっても居られなくなる。
自分の記憶がない事への恐怖はどこかに吹き飛んでしまった。
沸きあがってきたのは、いますぐプラモデルを作りたい、という欲求だ。
「記憶喪失とか、訳わかんねぇ場所とか、どうでもいい。目の前にこんなにカッコイイプラモデルがあるんだ。これはもう作るしかねぇだろ!」
目が覚めて、最初にしたいと思ったことが『プラモデルを作りたい』だった。
ロプトはそんな自分に呆れてしまう。
だが、何よりも優先して『プラモデルが作りたい男』だと分かった。
そんなどうしようもないことがロプトには驚くほど心強かった。
「……とはいえ、ニッパーが無いとなぁ」
ロプトは拗ねるように呟いた。
プラモデルを作りたい熱は限界まで膨らんでいたが、さすがに道具が無くては作れない。
最初からパーツが切り出されたタイプのプラモデルも存在するが、これはそうではない。
ランナーとパーツが繋がっているゲートと言う部分は細く、手でパーツをぐるぐるとねじれば簡単にちぎることは出来る。だがそんな事をしたら出来上がるプラモデルはねじ切れたゲート跡が大量についた残念なものになってしまう。
せっかく作るのにそんな出来になるのは、さすがに嫌だ。
どうしようかと考えいてると、突然、空中に真っ黒い渦が現れた。
黒い渦はロプトの手のひらぐらいの大きさで、空中に浮かんでぐるぐる回っている。
そしてゴポリ、と何かが内側から吐き出されて、それがポトリと石畳に落ちた。
同時に渦は何事もなかったかのように消える。
ロプトが恐る恐る落ちたものを見ると、それはニッパーだった。しかもご丁寧に刃の部分にはカバーが付けられていて落としても刃が傷つかないようになっている。
しばらく様子を見ていたが、ニッパーが動いたり、しゃべったりすることはない。
おっかなびっくりそのニッパーを拾って、カバーを取ってみる。
「こいつは、薄刃ニッパーだな」
プラモデル用の薄刃ニッパーは、刃が薄く先の尖ったニッパーで、プラスチックにかかる負荷が最小限になるように切れ味鋭く出来ている。というのもプラスチックは常温で強い負荷をかけると白色に変色してしまうので、その変色範囲を最小限にするために鋭い刃が必要になるのだ。
つまりどういうことかと言えば、プラモデルを作るのに最適なニッパーが都合よく落ちてきた、ということだ。
ロプトは、おかしくて笑いがこみ上げてくる。
「ここまでお膳立てされたら、しょうがないよな?」
まるで神が自分にプラモデルを作れと言っているようではないか。
都合の良い妄想なのだが、プラモデルが作りたくてしょうがなくなっていたロプトには天啓のように感じられた。
ロプトは石畳に座り込んでランナーをかき集めた。
「よーし! プラモ、作るぞ!」
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