(10-1) あとがきのない物語
― 10 —
心臓の活動が弱って来ていたとか、最後までドナーが見つからなかったとか、母さんも全力で手を尽くしたけれど手術は失敗に終わっただとか、そんなこと、覚悟していたから平気だったなんてことは全くなくて。
でも、だからと言って足を止めるには足りない。そんな、ギリギリの所で冬華さんの状態を受け入れることが出来た。
面会はしていない。
最後に言葉を交わしたとき、それが恐らく最後になるだろうって予感は確かにあって。だからこそ、それで僕はお別れを済ませたつもりでいた。――そんなのは嘘だ。
僕と冬華さんはこの日が来ることを分かっていて、「現実は
「馬鹿ですよね、ほんと」
奇跡は起きるんじゃないかと何処かで思っていた。
冬華さんの病気を治す方法は数パーセントにも満たない希望しかなくて、だけど、僕らの住む惑星地球号は天文学的な奇跡みたいな可能性の上で救われたんだから、冬華さんの命ぐらい、神様は救ってくれると思っていた。
なのに起きるはずのない奇跡は僕ら全員に降り注いできて、起きてもいいハズの確率は、引き当てることが出来なかった。
たかが数字の上での問題だ。救われたか救われなかったのか、拾えたのか拾い溢したのか。
僕の命は冗談みたいな訳の分からない奇跡で救ってくれたくせに、誰もが救おうと必死になった冬華さんの命は見捨てられた。
仕方がないんだ。神様なんていない。祈ったところで、怒りに身を任せたところで、現実は変わらない。
冬華さんは死んだ。
もう、話すことは出来ない。
「葉流? お母さん、先帰るからね」
「ああ、うん」
廊下の長椅子で沈んでいると母さんに話しかけられた。
不思議と悲しい気持ちは沸いてこない。母さんに対して怒りも込み上げては来なかった。
ただ出来たのは「お疲れ様」と、ただ声をかけ、頷く事だけだった。母さんの気持ちを汲み取って、支えになってあげられるほど、僕はまだ大人でもない。
母さんはしばらくそこにいたけれど、僕が「今日は早く休みなよ」って促してあげたらすっとそれに従った。
話したところで、慰めにしかならないのはお互い良く分かってる。
僕も、いつまでもこんなところで来るはずのない迎えを待っていても仕方がないとようやく重い腰を上げる。
分かりきってたことだ。覚悟は出来ていた。
そう、自分に言い聞かせて、冬華さんと過ごした最後の日々を無駄にしないように、歩き出す。
冬華さんのいない、明日へ向かって。
「……」
気持ちは、体を縛っていた。
腰を上げたと思った体は長椅子に腰かけたままだった。
「っ……、」
押し殺した。湧き上がってくる感情をぐっとこらえる。
覚悟は出来ていた。冬華さんを見送る覚悟をして僕は彼女との日々を過ごしていた。
なのに、いま僕は、かつての冬華さんのように彗星の訪れを願ってしまっていた。
どうしてあの人一人が死ななきゃいけなかったのか。どうせ見捨てるなら地球ごと見捨ててくれたらよかったのにといるはずもない神様に憤る。
八つ当たりでしかないことは分かってる。それが冬華さんと過ごした日々への裏切りでしかないことも。
なのに体は縛られた感情によって動かない。
「秋宮……葉流くん……、ですよね?」
ここに座って、随分と長い時間が経っていたから最初は看護師の誰かに声を掛けられたのかと思った。顔は知られているので母の仕事終わりを待っているのかと。だけど顔を上げるとそうじゃなかった。何処かで見たような顔の女性が戸惑いながらもそこに立っていた。
「娘がどうも、お世話になりました。……
「ああ……」
なるほど、そういえば一度、会ったことがある。それに入院してからは何度か冬華さんのお見舞いにやってきていたから声も聞き覚えがあった。顔つきも言われてみれば冬華さんにそっくりだし、少し考えれば分かりそうなものなのに。
どうにも頭の回転が鈍い。
「すみません、えっと……、……冬華さんの事は、その……」
「いいんですよ。私共は覚悟できてましたから」
ドナーは見つからない。手術は失敗する。
そういう最悪の状況を踏まえた上で娘と共に今日まで選択肢を選んできたつもりです、と冬華さんのお母さんは僕の良く知る笑顔で答える。気持ちを押し殺して、そうやって笑うしか笑うことのできない。冬華さんと同じ笑顔。
きっと、僕と同じだ。何を言われたところでどうしようもない現実をひっくり返すことは出来ないのだから。慰めは必要ない。寄り添う事も、救いにはならない。必要なのは時間と、彼女がいなくなった事で訪れる変化への適応。
小難しく考えて、感覚を誤魔化した。泣いて喚いて、神様を呪うのは無駄な事だから。冬華さんのいなくなった現実を、受け止めろ。
「これを、あの子から葉流くんに渡すように言われていたので」
そう言って差し出されたのは僕が贈った日記帳と父から貰ったお揃いのお守りだった。
「忘れないでね、あの子はきっと、幸せだったと思うから」
声が潤んでいた事には気付かないフリをしてそれらを預かった。
廊下の向こう側から「夏織」と呼ぶ声がする。ああ、そうか。あの人がお父さんなんだろうな。
僕は軽く会釈して、夫の元へと戻っていく後ろ姿を見送る。
きっともう出会うこともない。きっともう、話すことも出来ない。
残された冬華さんの日記帳を大事に抱え込みながらそれが妙に熱を持っていることに気が付いて、それだけあの人がこの本を大事にしていたのだという事実に思わず少しだけ涙がこぼれた。
『多分、これを君が読むころには私はもうこの世界にはいないのだと、私は思います。』
そんな風に書き出された日記帳には、おおよそ「日記」と呼ぶには似つかわしくない言葉が綴られていた。
原稿用紙を無駄にしなくなったと思ったらこんなところに書いていたのかと正直呆れるしかなかった。
珍しく書き直した跡のない冬華さんの文字はいつもよりも丁寧で、――だけど綴られるページが変わるたびにその線の質が徐々に変わっていって、最後の方はいつも通りの「ちょっと達筆すぎて読みずらいですね」って笑ってしまいそうなほど筆が走っていた。
それだけで冬華さんがどれぐらい「乗って」これを書いたのか分かったし、冬華さんらしいやって、思わず熱い息が胸から込み上げた。
『 この物語はフィクションです。だから安心して読んで、安心して楽しんでください。 』
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