(7-2) 微かな希望と絶望
殆ど徹夜だったのもあってか、それから後の事は殆ど何も覚えていない。
目を覚ましたのは次の日の昼も随分と過ぎた頃合いで、電池の殆ど残っていない携帯電話を開いてみたら舞花から何件かメールが入っていた。見る気も起きなくて重い体を引きずりつつ遅い朝食兼昼食をグラノーラで済ませる。母さんの部屋は空いていて、どうやら病院らしい。
本当に、休みのない人だ。
面白くもないテレビ番組を流し見しつつ胃袋に物を入れているとまた携帯が震えた。開かなくたって分かる。何してるとか、元気なの、とか。そういう余計なお節介だ。きっと。そう思って開いてみれば案の定「起きてるなら返事しなさいよ!」と何やらご立腹な文章で表示されていた。何処かで見ているわけでもあるまいに。気持ち悪い。
「うるさいな。日曜なんだよ」って自分でも良く分からないけど取り合えず構って欲しくなかったので適当に返事を返して未開封のメールが一件、通知に残っていることに気が付いた。受験日当日、冬華さんが送り、そして消したつもりでいたあのメールだ。
寝起きで頭が回っていなかったといえば言い訳になる。
ただ、原稿の上でつづられた言葉じゃない、冬華さんの言葉を求めていたのかもしれない。
何を思うことなくそれを開き――、……言葉を失った。
綴られていたのは冬華さんからの謝罪とこれまでの感謝の気持ち。
最初から君にかかわらなければ良かったと言う僕への気遣いと、それでも君に出会えてよかっただなんて、気恥ずかしい、告白。
原稿に手書きでつづられたものとは違い、そられは随分と無機質だ。それなのに、否、だからこそ、冬華さんの気持ちがそのまま浮き彫りにされているような感覚があって。少しだけ長いその手紙を読み終えた後、しばらく言葉が出てこなかった。
感覚が麻痺している。まだ、冬華さんは手の届かないところに行ってしまったわけではないのに。僕はもう、後悔している。
それはあまりにも滑稽で、馬鹿らしい。たった数日、たった一度、体調が悪くなっただけで僕は彼女の事を諦めようとしていた。それは避けられない未来なのだと、分かりきったようなつもりで抵抗すらせずに受け入れて。
僕は、冬華さんにとっての何者でもないけれど、それでも冬華さんは僕にとって大切な存在なのはもう否定できない事実だ。恥ずかしいけれど認めるしかない。
この気持ちに恋だとか、執着だとか、いろんな呼び名をつけることは出来るのだろうけど、僕にとってはそんなことはどうでもよくて。ただ、諦めたくないハズなのに既に諦めている自分がいる。そのことが許せないし、そういうところが子供なんだと気持ちが荒立った。
父さんの事を、僕は傍で見ていることしか出来なくて。父さんに構って欲しかったのに、そんなことも言えなくて。
一人ではまともに泣く事すらできなかったあの頃から、僕はちっとも変ってない。
手元にはもう、冬華さんの原稿はない。病室に行けば続きを読むことは出来るけれどその前に昨日読み進めた分の感想を書き留めておこうと自室に戻ってパソコンを開く。父は、あまりパソコンを使わなかった。手書きの方が性に合っていると言って、いくつかの原稿を書き上げた後はもう手書きでしか書かなかった。冬華さんもそうだけど僕には理解できない。書いたり消したりをする以上、デジタルの方がやりやすいだろうに。
とはいっても、デスクトップに並んでいる完成していない原稿達が手段は特に重要ではないことを示していた。
父さんの真似をしようとして、一時期、自分にも何か書けるんじゃないだろうかと筆を取ったことがある。その結果がこれだ。幼い頃に祖母と遊んだ物語りとは全く違う作業のように思えた。
僕にはその才能はない。それを楽しいと思える才能も。
日々、原稿用紙を無駄にしながらも文字を綴る冬華さんを羨ましいと思ったことはなく、僕も、こんな風に書けるようになれたら、なんて、驚くほど、思わなかった。物語を生み出していく様子を眺める事こそが、僕に与えられた役割のような気もした。
だから、感想を書き並べることは出来ても、この想いをうまく言葉に変換することが僕にはどうにも難しい。
あんな風に自分の想いを、その想い以上の形にして打ち出せる冬華さんの事を凄いと思った。きっと直接言葉を交わす以上に物語を通して冬華さんの気持ちを受け取ることが出来ていた。
原稿を、読む前と読んだあとじゃ、冬華さんを見る目が、完全に変わってしまっている。
主人公の設定が冬華さんに似ているからっていうのもあるけれど、それほどまでに、そこに綴られていた想いは、彼女の人生そのものだった。
うろ覚えになっていた点は幾つかあるけれど、気になった点や、感じたことを物語の流れに合わせて書き並べた「読書感想文以下の覚え書き」は冬華さんの書いた文章とは全く違う。悲しい程に機械的で、味気ない。比べるつもりはないけれど、こんなものでよかったのかと今更になって不安になる。冬華さんの手に渡る前に回収してきてしまおうか――、そんな考えすら過るが恥ずかしいのはお互い様なんだと自分を言い聞かせる。綺麗に形どったところで、自分の思った事をそのまま打ち出し、相手に見せるなんて、余程の自信家でない限りは恥ずかしくて耐えられない。のに、見せてくれる気になったのは何故なのか。仲直りの印、というにはあまりにも軽すぎる。自分の身体の事は自分が一番分かっているというけれど、後ろ向きな考えから来るものだとしたらどうにも遣る瀬無い。ただ、僕以上に真摯に、「死」と向き合ってきたのは冬華さん以外の誰でもなく。また、僕はいまだに冬華さんのそれを受け止めきれていなかった。
キーボードに無理やり言葉を打ち込んでいく。
僕にできるのは、僕が冬華さんにしてあげられることは、これぐらいしか思い浮かばないから。
「駄目だ、頭ン中ぐちゃぐちゃ」
背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。
元々ぐちぐち考えるのは好きじゃない。悩むのも、苦手だ。
誰かさんのように一直線に走れるわけでもなく、どっかの馬鹿親のように気楽に構えられるわけでもない。
こんなのは僕らしくない。らしくないと思いつつも、いつものように投げ捨てる事なんてできないと抱えてしまうあたり、もはや重症だった。
「なにしてんのさ、はーっる」
「お邪魔しますの一言すら無くなったのかよ、お前は」
「インターホン鳴らしたし。後、お邪魔しますも言った」
「そだっけ」
言われてみればなんか聞こえたような気もする。――駄目だ、本格的に頭が回ってない。
部屋に入ってくるなり開きっぱなしになっていたノートパソコンを覗き込む舞花からそれを遮るように画面を閉じた。
だが、ちゃっかりと僕がテキストファイルを開いていたことは見られていたらしい。
「珍しいじゃん。それも冬華さんの影響?」
「それもって、なんだよそれ」
「別にー」
不満そう頬を膨らませながらベットに腰かける。
玄関のカギを開けていた僕の落ち度ではあるけれど、いくら幼馴染だからって好き勝手しすぎだ。まぁ、いつものことだけど。
「つか、なんだよ。暇なのか?」
「そういうんじゃないよ。私だってそこまで無神経じゃないし」
意味不明だ。気遣いが出来るっていうならもっと他にあるだろう。こう、なんていうか、……あるだろう。
ただ、舞花も舞花で冬華さんの事を心配しているのは僕にも分かる。何件も携帯に送られてきて来たメッセージはそれ関連の物だろうし、うちにやってきたのだってきっとその返事がなかったからだと思う。
かといって、僕も詳しい話を聞けていない以上、気休めにもならない事しか言えない。
「冬華さんなら心配しなくても平気だと思うよ。また面会できるようになるって母さんも言ってたし」
「そうなんだ。……それなら、いいけど……」
と、どうにも歯切れの悪い舞花が気持ち悪く思える。らしくない、といえばそれまでなのだが、いつもの舞花ならこんな時でも「病は気からっていうじゃん!」とかいって無駄に明るく振舞う癖に今のところ落ち着いて見えるのが妙に不気味だった。
「なんか責任感じてるんなら、それ、違うと思うよ。別に舞花がどうしようが冬華さんは倒れてたと思うし、どうにもできなかったって」
一応、僕なりの気遣いだったのだけれど、察しの悪い舞花はそのままベットに倒れこむと背中を向けて無言の圧力だ。何かを言ってくるわけでも何かするわけでもない。ゴロン、と転がったまま黙り込む。
上着も着たまんまだし。なんなんだよ、こいつ。
後ろから見るともこもこに膨らんだ毛糸のお化けみたいな姿になっている。間抜けにもほどがある。
「はぁ……」と流石に付き合い切れないのでため息ついでに何か温かいものでも淹れてやろうと立ち上がると、なにか独り言のような言葉が聞こえた。
「なんだって?」
聞き返す。すると少しだけこちらを伺う素振りは見せたものの転がったまま舞花はこぼした。
「……けど、葉流は気にしてんじゃん……。冬華さんの事、心配してんじゃん……だったら私、葉流に申し訳ないなって思って」
「いつも以上に訳分かんないんだけど」
「実はあの日、冬華さんとちょっと喧嘩した。……葉流のお父さんの事とか、色々引き合いに出して、どういうつもりなんですかって、問い詰めたんだよね。……だから屋上、連れてったの私の方」
最初は病室で話してたけれど、冬華さんがいつまでたっても煮え切らない態度だったのでカッとなって外に連れ出したのだと舞花は補足する。補足されても尚、意味が分からなかった。
それで連れ出される冬華さんもだし、なによりも、そんなことをする舞花の意図が理解できない。
気になるっていうから紹介してやったのに、何考えてんだ。
「馬鹿なの?」
思ったことをそのまま口にしたら舞花は不貞腐れながらもこっちに顔を向けた。転がったままなのはせめてもの抵抗だろうか。
「葉流はああいう綺麗な人が好きなんだ。年上の、大人っぽい女の人が好きなんだ」
「……ぁあ……、」
そこまで言われて分からない程、僕も鈍くない。ていうか、え、冗談だろ。正直そっちの方が理解できなかった。
「あぁとかいうな!」
ばすんっていい音を立てて枕が僕の顔に張り付いた。
剥がれ落ちた枕の向こう側に顔を真っ赤にさせた舞花が睨んでる。照れ隠しとか、ツンデレってキャラじゃないだろ。お前。
「確かに、……冬華さんは綺麗な人だし、一緒にいて面白いとは思うけど。……たぶん、舞花が思ってるようなんじゃないよ。きっと」
「……!! きっととか、たぶんとか!! 葉流ってホント馬鹿じゃん!!」
て言われても本当に正直なところ分かんないし。別に冬華さんがどうとか、舞花がどうだとか、寝不足じゃなくても僕にはよくわからない。
恋を知らないと言われてばそれまでなのかもしれないけど、この気持ちを恋なのだと認めてしまったら益々僕は冬華さんに会うことが怖くなるような気がした。それに、そういう、異性に対する感情とはまた違うような気もするのだ。僕は、言い訳にしかならないのだけれど。
「はー……、これじゃ馬鹿なのはホントだよ……」
ため息交じりにこれでは舞花の言い分ももっともだと自虐する。かといって舞花に対して「お前の事の方が大事に思ってるよ」だなんて歯が浮くようなセリフを言えるわけもない。そもそも舞花に対する感情と冬華さんに抱いているそれとはまた種類が違うのは確かだった。長年一緒に過ごした幼馴染とここ半年ぐらいの付き合いの人を比べることなんてできやしない。
とまぁ、こんな感じの事を舞花に話したところで「やっぱ分かってないし! 馬鹿じゃん!」と言い返された。言っておいてなんだけど僕もやっぱりそうおもう。
「好きなの?! 嫌いなの! どっち!!」
「いや、その質問はおかしい」
ヤケになって詰め寄ってきた舞花を軽くいなす。
なんだこれは。寝ぼけておかしな夢を見ている気分だ。しかし涙目の舞花は残念ながら現実で、面倒なことになってるのも事実だった。
「お前は、……一旦落ち着けよ。僕が言うのもなんだけど……」
かといって冷静に考えれば考える程なんとも気恥ずかしいやり取りだ。核心に触れたくないのは僕も舞花も同じらしい。肝心な部分は曖昧にして冬華さんに関する部分だけを掬い取る。
「舞花が、……冬華さんに対して何したとかはあの人の体調に関係ないと思うから。気負いしなくていいと思うよ。そんな寒いとこにいたからどうのって病気じゃないし……」
積もり積もって無理が祟った。言っちゃなんだが、ただそれだけの話だ。舞花はタイミングが悪かったとしか言いようがない。
「そうかもだけど、葉流は怒るじゃん……余計な事するなって……」
「そりゃまぁ……そうかもだけど……」
なんとも不毛な話だ。解決策は分かってはいるけれどそうはしてやれない僕も悪い。舞花は舞花で、僕にとってそれなりに大事な存在なんだとここにきて思い知る。こんな風に詰め寄られて、邪険に扱うことも、どうにかすることも、僕には出来なかった。
永遠とこんなやり取りを繰り返した挙句、なあなあで話が終わりそうだと思っていた頃。舞花の携帯が着信を告げた。
はじめは出るかどうか悩んだ舞花だったが、鳴りやまない着信音に渋々画面を開き、そこに表示された名前に通話ボタンを押す。
「……もしもし? ママ……?」
どうやらおばさんからだったらしい。
「え……? あ、うん? いま葉流ンとこ……、……テレビ……?」
電話で話しながら舞花は僕についてくるように手招きするとまた勝手にテレビの原電を入れる。
そこに映し出されたのは「速報」と銘打たれたニュース番組だ。緊急記者会見と下には帯が敷かれており、外人のおじさんがマイクに向かって何かを話していた。同時通訳で重ねられる言葉は小難しく、歯切れも悪いが、徐々にその会見の内容が伝わってくる。
「”我々は、この未曽有の危機を打破する所存です”」
これまで何度か告げられていた「希望を捨てないで頂きたい」という内容の通達ではなく、「その見通しが立った」というお知らせ。
続いて登壇したのは見るからに会見慣れしてなさそうなおじさんで、どうやら彗星を爆破、軌道を修正し地球を救おうというハリウッド映画さながらの計画だという。
会場からは幾つもの質問が飛び交うが、それらに対して「これは映画(フィクション)ではなく現実の作戦です」と重ねて強調する。
隣で、舞花が裾を引っ張った。言いたいことは分かる。「成功するの?」だ。
「……分かんないよ、流石に……」
何処かで彗星なんて落ちてこないと思っていた。何かの間違いで近づいているだけで、明日も明後日も、そして一年後も。変わらず世界は回り続けているし、そこに僕たちもいるものだと、思っていた。
けれど、その裏で確実に彗星は近づいて来ていて。もしかすると死んでしまうんじゃないか。そんな予感が少しずつ広がって来ていた時にこれだ。
僕たちは死ぬかもしれないけど、助かるのかもしれない。
曖昧なままだった現実に無理やりピントを合わせられて、だけど、これは、……喜ぶべきなんじゃないのか……?
気が付いたら手が震えていた。それに気づいた舞花が手を握る。
僕は、助かるかもしれないという未来を目の当たりにして少なからずショックを受けていた。
何処かで、人類が滅亡するなんて未来は来ないのだと思いながらも、それを望んでいる自分がいた。どうしようもならない。きっと、救いようのない病に連れていかれてしまうあの人を一人では逝かせない為に。病気で死ななくたって、どうせみんな一緒に消えてなくなるんだと、諦めを求めていた。
「ごめん、舞花……、ちょっと座る」
「ぁ……、うん……?」
ソファーに腰を下ろし、浮かんだ冬華さんの顔を振り払う。
あの人は分かっていた。気付いていたんだ。自分だけが僕らを置いて逝ってしまうことを。直感で気付いていた。
頭が酷く傷んだ。ズキズキと、考えすぎで頭が痛い。ここ数日、生活リズムが無茶苦茶だから自律神経もおかしなことになってるんだと頭を押さえる。そんなことをしてたって、何にもならない。現実は何も変わらない。
「冬華さんの事は、……うまくいえないんだけど、……そういうんじゃないんだ……」
酷く、掠れた声だった。
それが僕が吐いた弱音だとは初め気が付かなかった。
「ただ、もう嫌なんだ、誰かがいなくなるのって……」
零れ落ちそうになる涙を押さえつけるようにして顔を手で覆い、抱き寄せられたのをいいことに甘える。
ぐちゃぐちゃなままの頭の中をそのまま吐き出す。言葉にならない泣き言を繰り返し、気持ちを言葉というよりも呪詛として吐き出し続けた。それに何の意味なんてない。なんの解決策にもなっちゃいない。そんなこと、分かったうえでそうせざる得ない程に、僕は疲れ果てていたのだ。押し殺し続けた感情は、もう、元の形もとどめていなくて。これが何なのか、僕自身にも分からないけれど。
そうやって吐き出すことで少しだけ、ほんの少しずつではあるけれど、気持ちが楽になっていくのが分かった。
そのまま子供のように泣きじゃくり、泣きつかれて、気が付いた時にはすっかり夕暮れ時になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます