(1-4) いつだって言葉は後からやってくる
結果から言えば、期末テストの成績はそれなりだった。
冬華さんに付き合って図書館と病院を往復していたのが足を引っ張ったとか、おばあちゃんの容体が急変したとか、そういうことは全くなくて、いつも通り。当たり障りのない追い込みの勉強期間を経てそれほど悪くもなく、良くもない。いつも通りの結果に収まっていた。
「ということはこれから存分に働いてくれるわけだね、葉流きゅんっ?」
「いやいや……年明けには受験だって言ってんでしょーよ、何考えてんですかね、この人は」
おばあちゃんの病室。冬華さんはベットの上で楽しそうに笑う。
少しだけ弾んだ声におばあちゃんの様子が気になり振り返ると寝息を立てて布団を上下させていた。
最近よく眠るようになったのは新しい薬のせいなのか、それとも冬の寒さがそうさせるのか。
僕自身、日に日に朝起きるのが辛くなっているので後者の可能性が高いけれど、気がかりなのは確かだった。
そんな僕の様子を察してか冬華さんはそのことにはあまり触れない。というよりも僕のいるところで二人が病状について話している場面を見たことがなかった。そうやって気を使われているのはどうにも面映ゆい。けれど、だからといって「気を使わなくていいよ」だなんて無神経にも程があるとまるで道化のように気付かないふりを続けている。
「高校は、自信あるんですかねぇ?」
「余計な邪魔されなきゃ余裕ですよ」
「んふふー、んじゃ頑張って『おうえんしなきゃ』ですねー?」
「はい、ソーデスネー」
雪こそ降る気配はないけれど外を吹く風は随分と冷たくなって来ていた。
少し前までは「おいしい空気を補充するため」だとかいって窓を開けていた冬華さんも流石に我慢している。
窓の外には灰色の雲が広がり景色を埋め尽くしている。雨が降る恐れはないけれどすっきり晴れることもない。微妙な天気だ。
--カリカリと、視線を彼女から外したことで指先は物語を綴り始めていた。
そっと気付かないふりをして椅子に腰かけ、窓辺で英単語帳を捲る。
そこまで躍起になって勉強するほどでもない。……けれど、まったく勉強しないで合格できるほど自分に自信はなかった。
とはいえ、勉強して高校に入ったところで彗星が落ちればすべて無駄だ。無駄になるかもしれないけれど万が一に何事もなく事が過ぎたとしたら、世間の盛り上がりとは反面、僕はきっと無駄に一年を過ごす羽目になる。明日の終わりが近づいているというのに世界がそれでもそのまま回り続けているのは、恐らく、大抵の人たちが同じようなことを考えているんだろう。
何事もなく、明日が続くかもしれない、と。何処かで何かの冗談だと、その事実を直視しようとはしない。
まぁ、それでも彗星をどうこうしようという動きは相変わらず続いているので取り乱すのはいざとなってからで遅くはない。……なんて、パラパラと覚えているのか覚えていないのか曖昧な単語の数々をなぞりながら頭の中では別のことを考えていた。
カリカリと、シャープペンシルの音とともに物語の続きは綴られていく。
僕らの世界が、何事もなく、時を重ねていくように。
彗星によって人類が滅びた後の広い宇宙。青い星。そこに広がる草原と、かつて誰かが住んでいたであろう古びた城。
吹き抜ける風に両手を広げ、全身でそれを味わう少女ーー。その少女は冬華さんだった。普段と変わらない笑顔のハズなのに、病室で見る彼女のそれとは違って見える。
書き綴られた文字の並びが、原稿の枚数を少しずつ増やしていった。手書きで書きなぐるものだから、書き直してごみ箱に放り棄てられた用紙はかなりのものだ。それらがどんな話なのか、どういった展開をなぞっているのかを僕は知らない。この狭い病室で、彼女は一体、何を夢見ているのか。気にならないと言えば嘘になるけど、気になります、といって見せてもらう程でもなかった。
それでも、自然と僕の視線は彼女の指先を追っている。
「そんなんじゃ合格は難しいかもねぇ」
「へ……、」
まるで僕の中身を見透かされたような言葉に思わず顔を上げた。
冬華さんはシャーペンの先を突き出し、意地の悪い笑みを浮かべている。
「浪人したらそれこそ奴隷としてこき使ってやるんだから」
「ああ……、それもう、絶対合格しますよ。これ以上冬華さんの我が儘に振り回されるのはごめんですもん」
「我がままなんていってませーん」
「それが我がままなんですよ」
本当に。なんでこんな人に付き合ってるんだろうと自分でも不思議に思う。おばあちゃんに会いに来るついでだったはずなのに、当の本人は静かな寝息を立てていた。
気持ちよさそうに眠っている、自分の祖母。
仕事の忙しい母の代わりに、自分に構ってくれなかった父の代理で、僕のことを育ててくれた親代わりーー。
ありがとう、とこれまでの感謝を告げるにはあまりにも恥ずかしくて、……けれど、好きにしたらいいと突っぱねるにはあんまりにも子供っぽくて。いまだにどうすればいいの分からなくてこうして足を運ぶしか出来ない自分はやっぱり幼いままだ。大人になればうまく折り合いをつけられるのかとも思う。母の、あの「大人らしくない態度」はもしかすると母なりの付き合い方なのかもしれない、とも。
「--でもまぁ、葉流くんは好きにしたらいいよ。なんにも縛られる必要ないんだから」
カリカリと、珍しく物語を綴りながら冬華さんは僕に向けてそんなことを言った。
あまりにも驚いてその顔を凝視してしまうけれど、彼女は原稿を隠すことなく。手を、止めることもなく。何かのついでに言っているだけなんだとでも言いたげに口を開く。
「好きにしなよ、葉流くん?」
その意味を僕は図りかね、そうしているうちに検診の時間になって母に僕は追い出されていった。
それが自分と僕との関係の事を指していったのか、それともそれから起きる事を予期していったのか。その時に尋ねていれば冬華さんは何と答えただろう。少なくとも、その時僕はそれほど重要な言葉としてはとらえていなかった。ただ何となく、時折作家風情の冬華さんが見せる、思わせぶりなセリフの一つだと思っていたから。だから、母から連絡があった時、少しだけ、ほんの少しだけ、冬華さんの言葉を思い出して、息詰まった。
祖母が帰らぬ人となったのは次の日の晩のことだった。
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