図書室奇譚

半社会人

逆さまになった本の謎


その日の朝も、いつものように慌ただしく過ぎた。


私は母に「いってきます」の挨拶をすると、玄関の戸を思いきりよく開ける。


途端に吹き付ける風が冷たい。


もう季節は秋を迎えていて、そろそろ冬が舞い降りようとしている頃だった。


通りの人影はまだまばらで、早朝の凛とした感じがあたりを包んでいる。


私はその中を駆け足で急いだ。


かじかむ手足に秋の訪れを実感する。


それでも自分のいつもの歩行ペースを保ちながら私は見慣れた道路を行く。


オシャレな外装のパン屋さん。


いつも暇そうな店員がいるコンビニ。


集客度ナンバー1のパチンコ店。


それぞれがいつもの朝を迎えようとしていた。


その中を進む私の心はしかしいつも通りとはいかない。


何しろ昨日あんなことがあったのだ。


今日もそういうことが起こらないとも限らない。


やがて見えてきたコンクリートの建物といかつい門。


私はそびえ立つ鉄の番をくぐると、一直線に靴箱へと向かう。


足元を室内モードにそろえると、出来るだけ音を立てないようにしながら階段を昇った。


早朝だというのに既に何人か生徒の影があり、あちこちで思い思いのひとときを過ごしている。


私は長い廊下を行った。


二つの棟からなる我が高校は、B棟が部活や課外活動に使われる施設になっている。


私は迷いなく、音楽室や理科の実験室を通りすぎた。


視界には一つの目的地しか見えていないのだ。


やがて。


たどり着いたそこの扉は閉まっていた。


コンコンとドアを叩く。


カラカラと見た目のわりに軽い音がして、それは開かれた。


「やあ、和戸さん」


「おはよう、神田くん」


私達は挨拶を交わす。


同じ図書委員として、彼とは長い付き合いだった。


「今日はどう?まさか、さすがに連続で続けてということはないわよね?」


一縷の望みをかけて彼に尋ねる。


しかし、彼は首を振った。


真剣な目で私を捉える。


「そのまさかなんだ。」


「そんな……」


「ほんとだよ。自分の目で確かめてみて」


私はそういう彼に促され、恐る恐る自分が通い慣れた図書室に足を踏み入れた。


鼻孔を刺激する本の独特な匂い。


その心地良さに安心を覚えながらも、私は視線をすぐにはそちらにやれないでいた。


「ほら、和戸さん」


優しく神田くんが呼びかける。


私は意を決した。


ぱっと視線をやる。


……やっぱり。


それはそこにあった。


我が図書室では毎月図書委員のおすすめセットとして、いくつか本をセレクトしては、移動式の書架に並べている。


POPを作ったり、表紙が見えるように配置したりと、微力ながら努力をしたつもりでいた。


それが、全部。


逆さまになっていた。


理路整然と整えられた図書たち。


その厚い背表紙をこちらに向けて、普段はおとなしく読み取られるのを待っている彼ら。


そんな彼等のうち、私達が選んだ本だけが、無残にも汚され、逆さまにされている。


それは少しばかり異様な光景だった。


「やっぱり……」


私は肩を落とす。


「ボクもまさか二日連続でこうなっているとは思わなかったんだけどね。ボクが来たときには、もうこうなっていたんだ」


神田くんが落胆したような声を出す。


「……とりあえず、片づけようか?」


「……ええ、そうね」


そうして私は本を元通りに戻しながらも、憤りを感じずにはいられなかった。


誰が、何の目的で?


逆さまになった本の謎。


私は朝からいやな重りをつけられたような気分だった。

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