風希がここにいる意味、風希が持つ優しさの意味
「風希ちゃん」
桔実は哀れみの瞳で風希本人を見ていた。
「何よ、こんなこと言ってあなたたち腹が立ったでしょ? さぞかし私に幻滅したでしょ」
「風希ちゃんは辛い思いをしたんだね」
「は?」
まるで言っている意味がわからない、そんな顔を風希本人はしていた。
はっきり言えば人というのはそんなに優しくない。自分が蔑まれれば、自分の立場を危うくしようとわかれば、そうそう反抗する手段を取らないわけがない。
傍から聞いていた波来。もしクラスメイトに窮地に立たすような行動を仕掛けられたら、と彼自身が想像をすると、堪忍袋の緒が切れないほうがおかしかった。
「僕もその気持ちわかるよ」
「あなたの意見なんて聞いてない」
「そう? じゃあ適当に聞き流してよ、僕は勝手に喋ってるだけだから」
「はいはいはい」
波来は軽い語り口で話し始める。軽いほうが彼女も耳を傾けてくれると思ったからだ。真面目過ぎるのは堅苦しい。風希本人が嫌がらないよう配慮しているつもりである。
「僕はね、優しい風希が好きだよ。いま君の目の前にいる風希が僕に優しくしてくれたように、そんな風希が僕は好きなんだ」
「気持ち悪い」
嫌悪感を伴いながら、風希本人は眼光をぎらつかせて桔実と波来と、そして明確な敵意を込めて風希をにらみかえす。
「なんでみんなそんなに私にうやうやしくするの? 気持ち悪いったらありゃしない」
「違うよ風希ちゃん、これがわたしたちの優しさなんだよ」
「嘘よ! 私を騙そうとしてるんでしょ! そうに違いないわ!」
風希本人は明らかに取り乱していた。はじめて触れる感覚なのかもしれない。
いや、むしろ久方触れておらず、彼女自身にはしばらく見えていなかった感覚だろう。
風希本人は心を開くのを頑なに拒否している。
確かにそれは抵抗がある。
「じゃあ言い直すよ、風希ちゃん。これはわたしたちが持ってる優しさだって認めて欲しい。わたしたちはそう思ってるんだよ?」
「キッちん……?」
「わたしたちの優しさを、認めて欲しいな。風希ちゃん」
そして気づいて欲しい。これが優しさの意味なのだということを。
別に見返りなど求めない。見返りがあったとしても、ギブアンドテイクでもない。優しさとは与えたときにしかるべきのち与えられるものではない。
それが優しさなんだということを波来と桔実は知っていた。そして、風希本人の目の前で微笑んでいる風希が何よりそれを証明し続けていた。
「おかえり、ここがあなたの場所だよ、伊原木風希ちゃん」
隣でただ見ているだけしかなかった風希がようやく口を開いたその瞬間、風希本人は青ざめた表情になった。
衝動に身体が押さえらなかったのか、風希は頭を抱えだした。
それから激しく身体を揺さぶって、苦しみもがく。
いきなり過ぎてこの話の流れについていけなかったのだと波来は悟った。
彼女が唸り声をあげながら、目を閉じたところで、二人は彼女をビーチの隅にあったベンチへと運んだ。
「ごめん桔実ちゃん、やり方が悪かったかもしれない」
「謝ることないです。わたしこそ強引過ぎたと反省してます」
そう言いながら、ベンチで横たわってる風希本人を見ながら、二人の瞳には彼女が哀れに映った。
「それが君たちの望むことかね?」
ツカサ? 振り向くと、そこに彼と風希が左右に並んで、そこにいた。
ここにどうしているのか問おうとしたが、そんなことは馬鹿らしいと波来には思えた。
旅行をする経緯はかねがね伝えている。ツカサがその仔細を聞いているのだから、ここにいても何も不思議ではない。それに彼自身、風希のことを気にかけている。風希本人のことはゴミ同然のようにしか思っていないが。
「ツカサさん」
警戒した顔で桔実は彼の眼を見る。
「これからどうするのかね?」
「風希が風希と向き合うために、まず風希の優しい部分に気づかせようとした。風希のいいところを風希にもっともっと気づかせてあげるつもりだよ」
「それは結構なことだ、だがそのためにこの子は消えるのだぞ?」
ツカサの隣に居合わす風希は、申し訳なさそうに視線を横に流し、波来と桔実には決して目を合わせづらい様子だった。
「ツカサ、君の目的はなんだ?」
「目的? そんなものはない。俺は俺ができることをしている。そう、ただ警告しているだけだ。あいつがこの風希という人間性を取り戻せば、風希は消える。それでもいいのか?」
それは絶対に言葉にできなかった。まして、風希の目前でそれを言葉にするのは憚られる。
「風希くん、君は怖いだろう?」
それを言われて隣で風希はびくっと身体を震わせた。
「卑怯だよ、ツカサ」
「それは君たちのほうだ。俺は真実をあるがままに伝えているだけだ」
「ツカサ……」
「決して君たちの行動を鈍らせることなどしない。だが、俺の言葉を卑怯と言うのなら御門違いも甚だしい。だからはっきりと言っておく、桔実くんも波来くんも、やろうとしていることはこの風希をこの世から消そうとすることと同義だ」
だからそれは卑怯なことではないと固く知らしめられた。
彼が事実だけを述べている。自分たちがやろうとしていることにその意味を教えられているだけ。
「そのことを肝に銘じたまえ」
そうしてツカサはその場から去って行った。
「風希……」
彼女のそばに歩み寄り、波来は彼女の手を握った。
風希自身はどう思っているだろう。そんな彼女の気持ちを知らずに、いや、本当は何も考えずに行動に移すだけで、この風希は置いてきぼりに加えて引きずり回されてる。
これほどまでに矛盾し理不尽なことはない。
卑怯なのは波来たちのほうなのだ。
「本当にごめん」
風希の手は小刻みに震えていた。それなのに、ただごめんとしか言えない。
ごめんという言葉だけで目の前の風希が救われるわけがないのに。波来は自分の無力さを自ら曝け出すだけだった。
暗がりの中で、風希はかよわい笑顔で、波来を見つめた。
「波来くんも桔実ちゃんも、優しすぎるよ」
優しすぎるという言葉に、波来はなぜだかわからないのに、また「ごめん」という言葉が口から零れた。
どうしてそんな言葉しか言えないのか、波来は自分が情けなくなる。
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