第四章 風希が風希と向き合う
楽しい風希、苦痛のひとときの風希
晴れ上がった空はとても清々しかった。梅雨明けで今年これまでにないくらいからっとして日射しが熱い。
あの日から数週間経って、学校は終業式を迎え、夏休み初日となった。
本日、気持ちの整理がつかないまま、四人は海へと旅行しに行く。
波来が来たところで、桔実と風希の二人が待っていた。
「こんにちは、波来くん」
待ち合わせ場所の最寄り駅で、風希が笑顔で迎えてくれる。
「ああ、風希。悪い悪い、ちょっとばかり遅れたかな」
「大丈夫ですよ波来くん、わたしたちが早かっただけですから」
桔実もいつものテンションを保ったまま、波来に接してくる。
「さて、肝心の風希ちゃんが来ません」
やはり風希本人は決意がまだ甘いのか、それとも単にルーズなだけなのか。
そう考える波来はどうかというと、やはり風希が消えてしまうことに納得がいかないのだ。
ともすれば桔実も心の準備ができていないかもしれない。
このまま風希本人が現れてくれるなとさえ、波来は心の底で思っていた。
「もしかしてバックれたか?」
矛盾する感情で波来は悪態を吐く。
いっそのこと一生卑怯者呼ばわりできる事態がくればいいと、そう願っていた。
だが、約束の時間から五分遅れて、ようやく風希本人が現れた。
「風希ちゃーん」
「来たよ、キッちん」
表情がカチカチだった。なんとも仏頂面を構えて、対面をしてくるものだ。
「遅いよ、風希ちゃん」
「ふん」
ここに現れただけでも褒めてやるべきだろうか。だがそもそもそんなことをする義理はない。それにそんな褒め言葉をかけたところで、風希に「うるさい」と言われるだけだから、波来は口を噤んだままだった。
「じゃあ、電車に向かって出発進行だよー」
「お、おう」
テンションの上がりまくった桔実に、波来は少し引け気味になる。
もしや桔実は心の準備ができているのか、このテンションの上がりようは異常だった。
やけくそになっているのか、いやそれは桔実らしくないと波来は思う。
無論、桔実も無鉄砲にことを進めるタイプであるが。彼女だって頭が悪いほうではないから、何か心の奥に秘策を持っているのかもしれない。
切符を買ってホームで電車に乗り、空席のボックスシートに座って、波来と風希、桔実と風希本人が向かい合うように座る。
「こういうのって久しぶりだね、風希ちゃん。小学校の修学旅行こうやって過ごしたよね?」
「ふん」
風希本人はどうやら桔実のことを相変わらず無下にし、仕方なく付き合っているオーラがばんばんと滲み出ていた。
こういうとき何をしたらいいだろうか、空気の読めない波来には大きな問題だ。
大問題の解き方を教えてくれたら、進んでその案に乗るのに。
「風希、大丈夫? 酔ってない?」
「大丈夫だよ、私は乗り物酔いするタイプじゃないから」
そう言って風希は笑みを浮かべた。どうやらこの重い空気でどう会話を盛り上げるべく話を切り出すか、それがわかっていないようだ。わからないのは波来だけではない模様で。
そして、四人とも沈黙の空気のまま電車が三駅ほど通り過ぎ、トンネルを抜けてからのことだった。
「あ、海ですよ! 波来くん、風希ちゃん、見て見て」
丘陵地を走るこの電車だが、遠くにきらりと直線的に輝く水平線が確かに見えた。
「ほんとだ、海だ」
「綺麗だね、波来くん」
風希本人を除く三人が、沸き立つように騒ぐ。
「ふん」
ぶすっとした態度でふんぞり返る風希本人は、それに感動を覚えることなどしない。
お前ら子供かよと言いたげだった。
「本当の風希ちゃんなら、海を見ただけではしゃぐのにね」
「私のことを言ってるの? キッちん」
「そうだよ」
険悪な雰囲気を生じる。四人でせっかく盛り上がっていたのに、その心地いい雰囲気をぶち壊されそうで怖い。
「海なんて嫌いよ」
「そう? ごめんね、やっぱり山のほうがよかったかな」
「そういう問題じゃない」
口を曲げて、風希当人は不平をあれこれと言う。
「海も山も大嫌いよ、みんな大嫌い」
不満げというより本当に不満の感情を爆発させて、風希は眉をひそめていた。
「風希ちゃんの好きなものを探しにいこう」
どうにか話題をポジティブな方向に持っていく努力をする桔実を、波来は評価したかった。よくぞ言った桔実ちゃんと。
「そんなものないわ」
「あるよ、わたしがあるって言ったらあるの!」
「そういうのを傲慢って言うのよ」
風希と桔実、どちらが傲慢かと問われたら、それは一目瞭然なのだけれど。そこについて波来は茶々を入れないことにする。たぶん余計に激怒してくるから。
「そっか、傲慢だね。じゃあとびっきり好きなものを見つけないとね、風希ちゃん」
「ふん」
そんな怒り顔してたら楽しめるものも楽しくない。本当に彼女には手を焼かされる。だけど、主役はあくまでこの風希本人だ。
彼女が風希と向き合うこと、それが旅行の第一目的である。
風希は本当に風希と向き合えるのだろうか。
いや、向き合うことになってしまうのであろうか、と言うほうが波来の受け止め方に一番近かった。
正直、ドッペルゲンガーの風希とはまだこれからも付き合っていきたい。それが波来の本音だ。
もし消えてしまうのであれば、波来は何か風希にやってあげることはなかろうか。
たとえば、彼女は波来が好きで波来も風希が好きだ、という想いを確かめ合うとか。
それこそ覚めない夢のままでいて欲しい、そんなことを波来は考えている。
「風希には夢なんてないよね」
その言葉を波来が言った瞬間、周りの空気が凍りついた。
しまった、また空気の読めない言葉を言ってしまった。波来は懺悔をしたい気分になる。
「ないわよ」
やはり風希本人は怒っている。言ったことを後悔する羽目になる。
「いや、あるよ? 風希ちゃん」
桔実が助け船を送ってきた。
「ないわよ」
「風希ちゃんはピアノが弾きたいんだよね?」
「――っ!」
そう言われて、桔実の隣で風希が顔を真っ赤に染める。
「ピアノ? なんのことよ?」
「隠さなくたっていいよ、わたしにはわかるから」
耳まで真っ赤になった風希本人の顔を波来ははじめて目にしていた。
「恥ずかしい!」
「ほら、やっぱり風希ちゃんはそうだよ。ピアノが好きなんだよ」
「うるさい、違うわよ!」
電車は沿岸を走り始めた。
途中で電車が鉄橋を渡るとき、そこで窓を開けて三人がはしゃいだ。
正面だけでなく、鉄橋から下も海になったからだ。
「みんな子供」
そう楽しむべきところを踏まえていない風希本人は、波来よりも空気が読めていなかった。いや、空気に抵抗しているのかもしれない。
ドッペルゲンガーの風希も波来と同じく子供みたくはしゃいでいる。
はたして、これからどうなるのか。旅行のそもそもの目的を思い起こして波来は不安げになった。けれどいまこの楽しいひとときを楽しもうと思った。
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