ゆめみる貨物列車
のん/禾森 硝子
朝とホーム
同じクラスのあの子と、一度だけ喋ったことがある。
名前はなんていったか覚えていない、多分当時、同じクラスだった時すらきちんと覚えていなかったと思う。ただ、昼休みに一人でパン(多分コンビニのじゃなくて、ちゃんとしたパン屋さんの)をぱくぱくと、意外にも豪快なしぐさで食べながら読んでいた『ガラスの動物園』という薄い文庫本のタイトルが、彼女の儚げで不思議な感じに似合っているな、と思って、だから彼女のことはガラスの動物園さん、と覚えている。
そんなあの子と、私はある日訳のわからない旅に出たんだ。
それは特になんでもない、小テストも課題も何にもない、普通でありきたりで平和なはずの火曜日の朝だった。ガタンゴトン、いつも通りスマホで適当に暇を潰しながら、そして自分も大量の人に潰されながら、私は学校に向かっていた。普通の日。代わり映えのしない、日常。鈍く光る電車に揺られて、私はそこに辿り着くはずだった。
だけど。
私は見つけてしまったんだ。日常から飛び出す人影を。
それは同じクラスのあの子だった。ガラスの動物園の子。彼女は学校からは程遠い、誰も降りやしないド田舎の駅で、何かに突き動かされるかのように電車から飛び降りた。なんで? 若気の至りとか、ちょっとした冒険とか、そういうタイプには全然見えない。まだここで一人こっそり死ぬつもりです、とか言われた方が納得出来るくらいだ。だから、ただのクラスが同じってだけの、一回も喋ったことない女の子の、そんな訳分かんない行動に惑わされるべきじゃなかったんだろう。あの子が日常からはみ出したって私には、私達には何にも関係ありませんよ、みたいな顔をして、電車の他の乗客と一緒にいっぱいいっぱいの電車に詰め込まれたまま学校に行くべきだったんだろう。―でも、私は。
私は、ドアが閉まるぎりぎり、柄にもなく「降ります、降ります!」なんて大声まで上げて、電車から飛び出した。なんで!? 正直自分でも意味不明だ。なんで飛び降りた? なんでただのクラスの女の子なんかのために、私まで日常からはみ出してしまったんだ?
混乱する私の目の前には、だけど、もっと混乱した様子のガラスの動物園の子がうずくまっていた。元々白い肌から血の気がすっかり無くなって、本当に陶器の人形みたいだった。
「ね、ねぇ……大丈夫?」
声を掛けると、彼女はゆっくりこっちを見た。ふわって動く子だなと思った。
「大丈夫じゃ、ない」
顔色が悪い割にはよく通る声で、彼女はそう返事をした。……意思の疎通、出来る。普通の人間だ。なんて、変なことを思った。
「えっと、なんかして欲しいこととか、ある……?」
恐る恐る聞いてみる。なんでこんな風になっているのかは分かんないけど、喋れるなら聞いた方が早い。と、その時は思っていた。
「してくれるの」
「え?」
「して欲しいこと。言ったら、してくれる?」
「え、うん、私に出来ることなら、するよ」
返って来た返事は、意思の疎通とか、そういうのをぽーんと飛び越えたものだった。
「……じゃあ、逃げて。私と、どこまでも、次くる電車に乗って、変な所でも素敵な所でも、どこか知らない所に着くまで。一緒に、逃げて」
「は?」
こっちをひたと見つめるその目は、なんか妙に鋭かった。してくれるっていったじゃん。そう言ってた。
「私、だめなの。普通のこと、普通に出来ない。どこかに逃げたくなっちゃう。これ、ビョーキなの。私の」
うずくまったまま、私をじっと見ながら、ガラスの動物園の子は喋る。
「あなたは違うの? そうなの? 降りてきたの、なんで? 私と一緒に行ってくれる?」
「え、えぇっと……」
たじたじになった私に、あの子は一瞬、すごく傷ついたみたいな顔をした……気がした。つられてこっちの胸までつきんと痛くなるような表情。どうしてそんな、心を全部剥き出しにしたような顔を、今日初めて話した私に見せられるんだろう。
「そうじゃないなら、行けばいいよ。日常。今なら遅刻すらしないんだから。学校に行ったら、いいよ」
「あ……」
確かにその通りだ。この子がどれだけ日常からはみ出したって、どんなに遠くに逃げたって、私には関係ない。この子の言う通り、帰ればいいんだ。……だけど。ここで、別れてしまったら、もう二度と会えないような、そんな、気がした。
だから。
「ぃい、一緒に逃げるよ! 私も!」
そう、言ってしまったんだ。
彼女は私の手を取った。
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