第8話 本音の一欠片
「……気を取り直してお話を始めましょうか」
篠沢さんは僕と星野さんの前に紅茶を出しながら言う。
「お気遣いすみません。ありがとうございます」
なんというか、もう完全に社会人モードで恐縮してしまっている。
これはこれで今度は自分の態度と外見の齟齬が気持ち悪い。
「リサちゃんお菓子ないの?」
「ありません」
まったく反省の態度が見られない星野さんに、篠沢さんは母親のようにぴしゃりと言った。
多分何かしらの理由で気心の知れた仲なんだろうけど、おかげでこの空間の上下関係の混沌に拍車がかかっている。
外見は女子高生だけど一番年上らしい僕。僕より若いけど校長先生の篠沢さん。そして一番年下で正真正銘の女子高生だけど一番堂々としている星野さん。
もう何がなんだか……。
僕はとりあえず一口紅茶を飲んで気持ちを落ち着けた。
僕が紅茶を嚥下するのを待ってから篠沢さんが口を開く。
「まず、入学意思の確認をさせてください。おそらく……というかほぼ確実に星野さんに強引に連れてこられたのだと思いますので、入学を拒否なさる場合は今この場ではっきりと……」
篠沢さんが言っている途中で、僕と星野さんは同時に右手の甲を篠沢さんに向けた。
そこには当然、昨日の契約のときに刻まれた主従の証がある。
その証紋を見た篠沢さんは、すべてを察したように口を半開きにした。
「Oh……」
なんかアメリカンな感じの同情のため息をいただいた。
「この構図、結婚会見で指輪見せてるときみたいですね!」
星野さんは楽しげに言って、肩でつんつんと小突いてくる。
「そうだね……」
世の中、奥さんの言うことを聞くしかない旦那さんがそれなりにいるだろうことを考えると、この不当な契約が結婚みたいだというのもあながち間違いじゃないかも。
星野さんの代わりに申し訳なさそうな顔をしてくれる篠沢さんの視線を受けた僕は、小さく首を横に振った。
「気にしないでください。僕は恋人もいませんし仕事もフリーターなので、立場としてはかなり身軽なんです。特にやりたいこともないので……変な言い方ですけど、僕自身は僕の人生をそんなに必要としてないんですよ」
例えばあるとき突然誰かに命を奪われたとしても、そこまで恨んだりしないと思う。
「だから必要とする人がいるならその人に貸すのも悪いことじゃないかな、なんて」
「佐田野さん……」
篠沢さんは僕の本心をはかりかねている風につぶやいて、やはりすまなそうに眉尻を下げた。
星野さんはそれとは対照的に、にへらと笑った。
「ね? いい人見つけたでしょ? えへへ」
言いながら僕の腕をとって抱きしめる。
「えっ……」
篠沢さんの驚きの声に羞恥心を煽られながら、無言でそっと星野さんの腕を剥がした。そのまま両手を行儀よく膝の上に置かせる。さらに抗議ついでに腰に軽くチョップを入れて、無理やり背筋を伸ばさせた。
「ほら、ね? こういうところもいいでしょ?」
強制的に優等生然とした姿勢になった星野さんだけど、当然中身はそのままだった。
篠沢さんは頭痛をこらえるように額に手をやる。
「……確認なんだけど、佐田野さんは本当に『候補』なんだよね?」
「うん、そうだよ」
問われた星野さんは即答してうなずいた。
『候補』? なんの話だろう。それが僕がここに連れてこられた理由と関係してるんだろうか。
困惑する僕をよそに、篠沢さんは追及するような目を星野さんに向ける。
「ただ一緒にいたいからそういうことにしてる、ってわけじゃないよね?」
「そんな嘘つかないよ。本当に私のレベル3見抜かれたんだから」
「いや、まあ……嘘じゃないなら仲がいいのはむしろプラス材料ではあるんだけど……そもそも2人はどういう関係なの?」
篠沢さんが僕と星野さんを見比べながら聞いてくる。
どんな関係……昨日会ったばかりの30歳男性と16歳女子高生? あと魔法使いの弟子と師匠? なんの説明にもなってないな、うん。
「ふふ、どういう関係だと思う?」
僕の内心のアンニュイなんて知らない星野さんは、楽しそうにクイズを出題していた。
篠沢さんは目を細めて少し考え込む。
「……星野さんの片思い?」
「なんでそうなるの!?」
星野さんは素っ頓狂な声を上げて立ち上がっていた。
篠沢さんは肩をすくめて首を傾げた。
「だってこんなに楽しそうな星野さんめったに見ないし……」
「待って! どう考えても需要と供給のバランス的に私が求められる方だよね!? 私女子高生だよ!? しかも結構可愛い! この人30歳のおじさんだよ!? しかも童貞!」
「――ぶっ!」
出し抜けに童貞を暴露された僕は思わず咳き込み吹き出した。
「でも星野さんも処女でしょ」
篠沢さんは動じず、僕の代わりにカウンターをお見舞いした。
星野さんはたじろぎながらも口をつぐむことはしない。
「女の子の未経験はステータスだよ!」
「じゃあ恋人できたことないって言いかえる?」
「――ぐはっ」
星野さんはボディーブローを食らったかのようにくの字に折れてそのままソファに沈んだ。これはKO勝ちかー?
「ぐぬぬ……できたことないんじゃないもん……作らなかっただけだもん……告白はいっぱいされてるもん……」
星野さんは恨みがましい目つきで篠沢さんをにらんだ。
篠沢さんは意に介さず見つめ返す。
「でも誰とも付き合わなかった」
「……うん」
「なのに今日は学校にハイテンションで男の人を連れてきた」
「……うん」
「いい人だって自慢げに私に紹介した」
「……うん」
「でも相手の男の人は至って平静」
星野さんが僕の様子を確認するようにこちらを向く。僕は頬をかきながら首を傾げた。
……平静かどうかはわからないけど、星野さんのぶっ飛びぶりにくらべれば大抵の人は冷静に見えると思う。
僕たちの両方に視線を配ってから、篠沢さんは目を伏せてゆっくりうなずいた。
「ね? 状況証拠的には片思いでしょ?」
篠沢さんのその指摘に、星野さんの顔がわずかに赤くなった。
そのまま見つめ合っていると、星野さんの頬がみるみる紅潮していく。
僕は気まずさとか照れとかで居心地が悪くなって、とりあえず何か言おうと口を開こうとする。
「ええと……」
「待って! 待ってください! 先攻は私です!」
そんな僕を星野さんは右手を突き出して静止した。
……いや、先攻って何。
「ムキになって否定すると逆に怪しまれると思うので、ここは冷静に行きます」
「そんな前置きしてる時点で冷静じゃなくない?」
「リサちゃんうるさい!」
篠沢さんの方は向かずに、ビシッと指を差して牽制する。それから1つ咳払いを挟んでからまっすぐに僕を見据える。
「まずはっきりと断言しておきますけど、私はあなたに片思いなんてしてません」
「うん、知ってる」
普通に考えてそんなことがあるわけがない。顔、能力、お金。僕にモテる要素が欠片もないことなんてわかりきっている。魔法だかなんだかで利用価値があるから必要としてるだけで、そのついでにからかってるんだろう。
僕が即答してうなずくと、星野さんはなぜかむっとしたように眉間にしわを寄せた。
「……知ってる? 私の何を知ってるっていうんですか」
思いの外真面目なトーンで抗議されて、僕は少し面食らう。
「いや、まあ……星野さんのことというより、世の中の常識的に?」
「私常識は嫌いです」
「僕も重んじるタイプではないけど」
逆に常識を尊ぶ人を軽んじたりもしない。僕は僕。他人は他人。それだけだ。
「じゃあ私の前では常識は捨ててください」
星野さんは静かな、しかしはっきりとした信念や意志の感じられる瞳で言う。
からかいや冗談の前振りではないと理解して、僕も真面目な顔でうなずいた。
「……わかった」
星野さんも僕の反応に納得したようにうなずいてから続ける。
「私はあなたに片思いはしてません。でも、その可能性がないとも、そんなのはあり得ないとも思ってません」
星野さんがゆっくりとまばたきする。長いまつげが蝶の羽のように揺れた。
「むしろ――これはからかってるわけでもなんでもないですが、好きか嫌いかでいえばあなたのことは好きです」
「好き」。単なるライクの意味だとわかっていても、可愛い女の子に面と向かってそんなことを言われると少し顔が熱くなる。
思わず目をそらしたくなっている僕と対照的に、星野さんは一瞬も視線を動かさない。
「一緒にいる時間が増えていくことで、特別な意味で好きになる可能性だって十分にあります。だから勝手に決めつけないでほしいです。勝手に私から可能性と選択肢を奪わないでください。世間の人にどんな目で見られようと――」
星野さんは一度言葉を切って、僕としっかり目が合うのを待った。
「――ちゃんと私のことを見てください」
僕はその純粋な圧に一瞬思わず固まったあとで、黙って一度首を縦に振った。
「わかった。軽率に決めつけてごめん」
素直に謝って首を傾けて小さく頭を下げる。
星野さんが僕に何を期待しているのかはまだわからないし、多分からかってやろうという気持ちも確かにあるんだと思う。
それでも僕という存在を、1人の人間として偏見なく見つめようとしてくれていることは、痛いほどに感じられた。
それなら僕も、これから何をさせられるにせよ、なあなあではなく自分自身の本音をもって向き合うべきだと思う。
「ふふ、頭なんて下げないでくださいよ」
忍び笑いの声に顔を上げると、星野さんはいつも通り愉快そうに笑っていた。
「なんか私がいじめてるみたいじゃないですか」
「だましうちで契約させるのはいじめより悪質だと思うけど?」
僕が早速本音で切り込むと、星野さんは少しばつ悪そうに片眉を上げた。
「まあ……それに関しては安心してください。最終的には絶対に後悔はさせませんので。超長期的観点から見て、事後承諾の体裁を取ることになる予定です」
「何その究極の結果オーライ論」
僕は思わずツッコミを入れながら脱力した。
それに超長期的視点って、一体どれだけ僕を拘束するつもりなんだろう……。
真剣に向き合おうと心に決めた矢先、僕は先行きの不安に苛まれるのであった。
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