第六節 そして逢瀬は夜明けに溶ける
「ごめんなさいね。 家の者の目を盗んで会いに来るにはこの時間しかございませんでしたの。
待たせてしまいましたか?」
「なぁに、待つのも男の甲斐性だ」
やってきたのは、一人の女性……ジンがひたすら待ち続けていた人物である。
彼女は屋敷の者たちに邪魔されないようにするため、こんな時間になるまでジンを尋ねることが出来なかったのだ。
「あの料理、鳩の雛を焼いたものですね?」
「そうだ。 紅焼乳鳩と言う。
……うまかったか?」
「大変美味でした。 少々胸には辛い料理ではありましたが」
そう言いながら、その女性はそっと目を伏せる。
「そいつはお前さんが悪い」
「言葉もありません」
無礼以外の何者でも無いジンの言葉に、その女性……大后ハトゥは苦い笑みを浮かべるだけだった。
「しかし、料理にメッセージをこめるとは、なかなか小憎らしいことをなさいますね」
「それしか芸がないからな。 しかし、あんたの教養が高くて助かったよ」
そう言ってジンは少し疲れた声で苦笑する。
ちゃんと通じるか、近くの村の長老にも相談したが、なかなか怪しいかんじだったのだ。
なお、鳩は口から乳を吐き与えて子を育てる鳥であり、子への愛情の深さのたとえとなる生き物である。
つまりジンの作った料理の意味は、おまえの子供が地獄の火であぶられようとしているのに、母親である貴様は何をしているのだ……という意味だった。
なぜこんな回りくどいことをしたかと言えば、大后とまともに繋ぎを取ったところで、あれこれと理由をつけられてまともに話をする機会は与えられないだろうと踏んだからだ。
そもそも、屋敷の門番があそこまで頑ななのもおかしい。
ゆえにジンはこう考えたのだ。
実は大后ハトゥは、屋敷の者……しかも、アレーゾ夫人の息がかかった者の手によって密かに軟禁されているのでは無いか……と。
むろん力ずくで周りの邪魔を排除すれば手っ取り早かったのだが、それではシェヘラザードの二の舞となって本当に話をしてもらえなくなる可能性もある。
それでこんな回りくどくて判りにくい手を使ってみたのだが、よくもまぁあれだけのことでちゃんとメッセージが伝わったものだと、ジンは彼女の教養の高さに内心舌を巻いていた。
「それで、この私に何か出来ることがあるというのでしょうか?
母である資格もないこの私に」
そなに言葉に、ジンは思わず苦笑する。
……彼女にしかできない事がなければ、自分がこんな苦労をする必要は無い。
ジンは大きく一つ頷くと、ようやく本題を切り出した。
「あぁ。 あなたが死んだ旦那を口説いたという3つの門の話を俺に教えて欲しい。
アレーゾ夫人とサルタン王国の使節が、歓迎の式典でその話を聞きたいとシェヘラザード女王に無茶振りをしやがった」
「まぁ……あいかわらず姑息な手段を使いますのね」
大后ハトゥは軽蔑するような目をあらぬ方向に向ける。
聞けば、彼女もまたアレーゾ夫人とその息子である僭王ダウルマカーンの手によって、かつて奴隷にされるという辱めをうけた事があるのだとか。
おそらく相当に恨みを持っていることだろう。
「教えてくれるか?」
「それは構いませんが、貴方はそのことのためだけに、たった一人でここまで来たのですか?
しかも、聞けば近隣の村人たちのためにあの恐ろしいマスーラを撃退したと聞いております」
大后ハトゥの目が、ランプの明かりを照り返すジンの顔を覗き込んだ。
まるで物語の中の英雄を見ているようなその視線に、ジンは思わず苦笑をもらす。
……少々派手にやりすぎたようだ。
「まぁ、一人で来たのは俺が貴族でもなんでもないからだ。
怪物退治のほうは……成り行きだな」
その言葉には、欠片も嘘はない。
だが他人からすれば、それはただの謙遜にしか聞こえなかった。
「無茶な方ですね。 でも、そんなところがあの人によく似ております」
あの人というのが誰かなど聞くまでも無い。
大后ハトゥの亡き夫にして、女王シェヘラザードの父であるシャルカーン王子の事だ。
「前にサイードの奴にも言われたな。
見た目は大して似てないが、性格は良く似ているらしい」
前にそれで『ファザコンか』と思わずシェヘラザードの前で呟いてしまったことがあるが、その時はファザコンの意味をごまかすのにひどく苦労したものである。
「ところでジン様。
このようなことをお伺いするとはしたないと思われるかもしれませんが……奥方は何人いらっしゃるのでしょうか?」
「いや、俺は独り身ですよ」
ねっとりと絡みつくような声に、ジンは思わず1センチほど大后ハトゥから距離をとった。
不条理に亡くした夫に良く似た性格で、少なくとも見た目だけは若く、この世界においては絵に描いたかのような色男。
これで心動かすなと言うほうが無理である。
シェヘラザードの懸念は、ものの見事に命中したのであった。
「まぁ。 では……私が貴方に想いを寄せても?」
そう告げながら、大后ハトゥは10センチほどジンとの距離を詰めてくる。
実の娘に対してはひどく臆病なくせに、どうも色恋沙汰となると勇敢さを発揮するタイプのようであった。
「ははは、ここに来る前にアナタの娘さんに釘を刺されているんです。
あなたを恋人にする事は、絶対に許さない……と」
「……まぁ。 あの子ったら、父親に会ったことも無いのに殿方の好みが私と似ているのね。
本当に血は争えないわ」
大后の目にオレンジの光がちろりと揺らめいたのは、ランプの光を照り返したのか、それとも嫉妬の炎であったのか。
いずれにせよ、迂闊に触れれば火傷は避けられないということだけは間違いあるまい。
「仕方がないでしょう? シェヘラザードは貴女の娘なのだから。
ただ、貴女よりちょっと勇気があるだけでね」
「耳が痛いわ。 そこはたぶん父親に似たのでしょうね」
なるほど、この女性にジンの無鉄砲さが加われば、シェヘラザードとよく似た性格の子が生まれてもおかしくはないだろう。
だが、それを立証するつもりはさらさらなかった。
「では、改めて三つの門の一話をお聞かせしましょう。
心配しなくても、あれはそのような色気のある話ではございませんのよ?
鷲はただ、あの人のために王として知らなくてはならないことをお伝えしたのみ」
そしてジンは彼女から、この世界における最高の叡智の欠片を伝えられたのである。
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