第五節 滅びを呼ぶ甘露

「やはりか。 その色と特徴から、もしやとは思ったが」

「私も驚きですよ。 まさかこのようなものを錬金術師でもなさそうな貴方が知っているとはね」

 アイディンから怪訝な目で見られながらジンが頷いていると、たまりかねたように横から声がかかった。


「なぁ、なんだその鉛糖サパって?」

「いいか、ミールザ。

 これは人類における負の叡智の一つだ。

 聞くなといっても納得できないだろうから教えてやるが、出来ればすぐに忘れろ」

 そう前置きをして、ジンは低い声でボソボソと語りだした。


「俺も話しに聞いただけだが、それは砂糖ほどではないが甘みのある代物でな。

 鉛を張った鍋の中に酸味の強い葡萄の汁やワインハムルを入れて、それを煮つめることで作る事ができる。

 古い時代にとある西の国で流行った飲み物らしい。

 安く作ることが出来て、しかも食べ物の腐敗を防ぐ効果があるということで、それを作り出した国では大きくもてはやされた」

「なんだよ、それのどこが悪いんだ?」

 そう、それだけなら良いことづくめなのである。

 だが……


「その国が滅びた原因の一つがその飲み物だったからだよ。

 飲むと寿命が縮む上に、性格までおかしくなる」


 知能の低下と性格の豹変は、鉛中毒の大きな特徴である。

 それ以外の倦怠感や頭痛、腹痛なども全て鉛中毒と一致する症状だ。

 短絡的に結びつけるわけにはゆかないが、聞くところによるとローマの暴君として知られるネロは鉛中毒であったらしい。


「……うげ」

 ミールザは腐ったパンでも齧ったような顔をして言葉を失った。


「しかも、すぐには症状が出ないンですよ。

 忍び寄る蜘蛛のようにゆっくりと体の中に巣を張り、主に脳と腎臓を壊すンです。

 しかも、毒を取り除いても傷ついた脳や腎臓は元に戻らない場合が多いのですよ!

 あぁ、おぞましイ!!」


 知性を誇りとするアイディンにとっては、その存在自体が到底許せるものではないだろう。

 この部分こそ、ジンがアイディンの関与を否定した一番大きな理由だった。


「こ、これ……今、下町や貧民外で流行っているんだよな?」

「そうだな。 早いところ手を打たないと大変なことになる」

 だが、それをするのは警察の仕事であり、ジンの役目ではない。

 さらにその論拠がこの怪人の証言では相手にもしてもらえない可能性も高いだろう。


「お、俺、女王様のところに行って来る!」

 だが、そう上手く事が運ぶかな?

 慌てて店を飛び出して行くミールザの背中を見つめながら、ジンは生ぬるい視線を送るのだった。


***


 結果が出たのはわずか3日後。

 予想よりもかなり早いといえるだろう。

 だが、ジンはその結果に満足していなかった。


「で、誰が作っているかまでは突き止めたが、それが毒であることの証明が出来ないから逮捕は出来ないと」

「……面目ない」

 自分の店のカウンターに立ち、ジンは警察の責任者をジロリと睨んだ。

 ――まぁ、こいつを睨んでも仕方がないんだけどな。

 と、彼は力なく肩を落とす。


「まぁ、そう責めないでやってください。

 相手さえわかればあとはいくらでもやりようはあるんですから」

 そして、その警察の担当者の横から話しかけてきたのはサイードだった。


「つまりそっちのほうはしっかり裏が取れたということか」

「はい。 数字は嘘をつけませんので」

 一見して人の良い笑顔を浮かべるサイードだが、その腹のうちは毒蜘蛛も降参するような毒に満ちている。

 毒をもって毒を制すではないが、このような事態を想定したジンはこの老人に一人の頼みごとをしていたのだ。


 だが、ここで疑問をはさむ者がいた。

「なぁ、なんでこの腹黒い爺さんがここにいるんだ? これって警察の問題だろ」

「あぁ、それかミールザ。 それはな、警察が動けないというこの展開を俺がある程度予想していたからだよ」

 そう。 最初からジンも、鉛糖が有害であることを証明できる保障は無いと考えていた。

 だとしたら、ほかにどんな手を打てば良いのか?

 考えた挙句に話を持っていったのがサイードの城である経理部である。

 と言うのも……


「考えてみろ、毒物をバラまいて悪どく稼いだ奴が、ほかの悪事に手を染めないと思うか?」

「あ、納得だわ」

 そして財務省の調査が始まったのだが……ここで妙なことが判明した。

 なんと、問題となった鉛糖の材料が隣の国から運ばれてきていたのである。

 ずいぶんときな臭い話だ。


 なお、問題の飲み物自体は禁食ハラームの可能性があるという旨をシェヘラザードに出してもらうことにより、すでに国民の口に入らないようにしてある。

 しかも全くの嘘では無い。

 理由は、その材料として禁食ハラームであるワインハムルを使っている可能性が強いからだ。


 まぁ、それでも手を出す馬鹿はいるだろうから、この問題は元から断つ必要があるだろう。

 そんな馬鹿の面倒まで考えてやらなければならないとは、本当に王族と言うのは損な役回りだと、ジンはしみじみ考えた。


「まぁ飲み物のほうはじっくり対処するとして、いちばん心配なのはアイディンの報復だな」

「やはり怒ってらっしゃいましたか」

 サイードの声に、若干の恐怖がにじむ。


「そりゃもう、いますぐ街ごと焼き払いかねないぐらいはな」

 なぜそんな展開になっているのかというと、この禁食ハラームである飲み物を造ったのが、いつの間にか彼だという噂になってしまっているからだ。


 外交上の問題で、まさか隣国の陰謀であると公表するわけにもゆかず、この悪評は一人歩きを始めてしまい、今では街の住人のほとんどが知るところとなってしまっている。

 それを知ったアイディンがおとなしく謂われ無い汚名を受け入れるはずも無く、昨夜会ったときは酷く荒れていた。

 今頃は何らかの報復を考えていることだろう。


 そしてその懸念が現実となったのは、次の日の昼の事だった。

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