第七節 優しい嘲り、そして醜悪なる財産
「くそっ、なんという失態だ!」
ハラム王子は側近たちを遠ざけると、寝室にこもって一人で敗北を噛みしめていた。
あれほどの恥は生まれて初めてのことである。
いったい、自分はなぜあんな事をしてしまったのか?
しばらくは誰にも会いたくは無い。
そんな主の気分を察してか、彼の従者たちも部屋には入ってこなかった。
だが、それからしばらくしてからである。
ドアの向こうで、従者が誰かと言い争いを始めたではないか。
「やかましい! 少し静かに……」
その騒がしさに耐えかねて、王子が騒がしい側近たちを怒鳴りつけようとしたその瞬間である。
ズバンと音を立てて、寝室のドアが乱暴に開かれた。
そして、そこにいた人物が誰かを確認し、ハラム王子は思わず言葉を失う。
「何の……つもりだ。 私を……私を笑いに来たのか! どこの誰とも知らぬ従僕の分際で!!」
ドアの向こうに立っていたのは、先ほど自分を赤子のように投げ飛ばした大男――ジンであった。
「いや、ただの説教をしにきただけだ」
野性味が強い顔を笑みの形にゆがめると、その男は遠慮なく寝室の中に踏み込んでくる。
その威圧感に、ハラム王子は思わずのけぞってベッドの上に座り込むような形になった。
「お前、なぜ女王に相手にされなかったのか、わかってるか?」
「わかっていたら何だというのだ! 馬鹿にするな!!」
どうでもいいから、もうほっといてくれ。
心の中でそんな言葉を叫ぶハラム王子に、ジンは料理の載った皿を突き出す。
「これを食ってみろ」
「……なぜ私がそんな事を」
「いいから食え」
その強い言葉に逆らいきれず、ハラム王子は銀のスプーンを手に取り、差し出された料理を一口食べる。
それは先ほど食べたものと同じ料理だったのだが、微妙に味付けが異なっていた。
「……美味い。 だが、味付けが甘ったるいぞ。
女子供ではあるまいし、私に出すならもう少し味を調整しろ。 さっきのほうがマシだったぞ」
「それはそうだろう。 これはシェヘラザードにあわせた味だからな」
「な、なぜそんなものを私に食わせる! そ、それが何だというのだ、ばかばかしい!!」
だが、その言葉とはうらはらに、ハラム王子はその料理から何かを感じていた。
その証拠に、彼の顔はこわばり、その視線はあらぬ場所をさまよっている。
「やっぱりお前、心のどこかではちゃんとわかってるんだな。
なぁ、お前は前日の盗賊退治の時に、何を思って行動した?」
「お前の甘言に乗せられて、女王の王配にふさわしい実績を作ろうとしただけだ。
当たり前だろう?」
ジンの言葉に、ハラム王子は
「つまり、お前は自分のことしか考えてなかった。 そうだな?」
「……何が言いたい」
「手柄を立てたところで、何だというのだ?
お前の行動には、心が伴っていない。
自分のことを愛してない男の、身勝手な行動を自慢げに語ったところで、女が何かを感じるとでも思ったか?
そんなものに魅力などあるはずも無い」
ジンの語る言葉は、的確にハラム王子の弱い部分を抉り取った。
「人から愛されたかったら、まず自分が何をしたいかではなく、その人が何を喜ぶかを考えなければならない。
それが愛だ。
お前はそんな当たり前のことですら考えた事もなかっただろう?
俺が勝って、お前が負ける。 当然だ。 泣いて悔しがるがいい」
「ぐっ……」
まさに、ぐぅの音しか出ない、完全な敗北である。
だが、不思議とジンの言葉からは優しさしか感じる事ができない。
「余談だがな、 俺の名前は故郷の言葉だと"人を思いやる優しさ"という意味になる。
お前が何に負けたのか、しかと心に刻め」
そう告げると、その獅子のような顔をした大男はハラム王子に与えられた部屋から立ち去た。
そしてジンが立ち去った後、ハラム王子は寝台に拳を叩きつけてあらん限りの怒りと共に吼える。
「くそっ、なんだあいつは! ふざけるな! 私の負けだと!?」
だが、負けではないとしたら、何なのだ? 何をもって勝ったと言えるのか?
そんな冷静な声が脳裏をかすめ、ハラム王子はガックリとうなだれた。
そしてジンの残した言葉の意味を噛みしめる。
「……そうだな。
人から愛されたいなら、まずは人を愛さなくてはならないのか。
その通りだ。
だが、こんなこと誰も教えてはくれなかったぞ」
いや、本当は誰かが同じようなことを言っていたかもしれない。
おそらく自分が完全に聞き逃していたのだ。
その考えにたどり着いたとき、彼は体が裂けてしまうのではないかと思うほどの衝撃を受けた。
「自分は今まで何を見て、何を聞いていたのだろう?
これでは何も聞こえていない、何も見えてないのと同じではないか」
自らの愚かさに心が軋む。
内なる痛みに耐えかねて顔を上げれば、鏡にひどく貧相な男が映っていることに気づいた。
――なんだ、自分の顔ではないか。
そもそも、この部屋に彼以外の誰もいないのだから当たり前だ。
「まったく……ひどい顔だな」
我が事しか見えぬ濁った瞳、忠告に耳を傾けぬ傲慢な耳、道理をわきまえず人を蔑む言葉を吐く貧しい口。
鏡に映った自分の顔を見て、泣き笑いのような顔でハラム王子はボソリと呟く。
なんと醜くて情けない顔だろうか。
だが、彼は鏡に映った自分に向かってさらに呟く。
「この顔を二度と忘れないでおこう」
今日という最悪の日を迎えてしまった戒めとして。
この醜い顔を心に刻むのだ。
たとえ見るたびに心が痛む代物であったとしても、これこそが自分が生まれ変わった、ようやく目が開いた記念なのだから。
――なるほど、あの男の言葉は確かに説教であったわ。
本来の説教とは、怒りや不満を罵声と共に浴びせるのではなく、教え導くことなのだ。
翌日、ハラム王子は王宮を出て、故国へと帰った。
もう一度、自分が見逃していたものを見て、聞き逃したものを尋ねるために。
やがて国に帰ったハラム王子は、いかなる運命の悪戯からか故国の王となることになり、仁君として長く慕われることとなる。
そして人からなぜ名君と呼ばれるようになれたのかと尋ねられたとき、彼は決まって自らの戒めである物語について語るのだった。
かつて彼が心に刻んだ、『醜悪な財産』についての話を。
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