第32話 説明

「……異世界?」


 どうしよう。やっぱりリナさんは混乱しているのだろうか。

 落ち着かせるために、何か違う手を考えた方が良いのだろうか。それとも、強引にでもミウちゃんの様子を見に行くべき? いや、一旦は信じている事にして、話を最後まで聞くべきか?

 すぐには答えを出せず、頭の中でぐるぐると考えを巡らせていると、


「優ちゃんが困惑しているのは良く分かる。最初はウチも同じやったもん。ウチらが生きる世界に『日本』なんて国は無いし、黒髪の人間も見た事が無かったし」


 リナさんが再び訳の分からない話を始める。

 今、リナさんが居るのは日本だし、僕も明日香も髪の毛は黒だ。それどころか、先日公園へ行った時だけでも、一体何人の黒い髪の日本人とすれ違った事か。

 僕は相変わらず何も応えていないけれど、リナさんはそのまま話を続ける。


「でもな。だからこそ、ウチは知ってるねん。相手の世界に無い物を見せるのが、信じて貰うのに一番手っ取り早いって」

「リナさん? 何を、する気なんですか!?」

「優ちゃん。その場で良いから、両手で水をすくうみたいに、手を合わせてみてくれへん?」


 リナさんが何をする気なのかは分からないけれど、これで話が進むのであればと、洗面所で顔を洗う時みたいに両手を揃える。

 すると、リナさんが口を開き、


「コール・ウォーター」


 どこかで聞いた事があるような謎の言葉を告げた。

 その直後、チョロチョロと僕の手に水がかかり、水道から水を出したかのように、揃えた両手の中に水が溜まる。


「リ、リナさん? これは?」

「水を生み出す魔法やで。かなり弱めにしたけど、本気を出したら、ちょっとした滝が作れるくらいの水を出せるで」

「……いや、いきなり魔法って言われても、何とも言えないんですが」


 部屋が薄暗いからハッキリ見えなかったけど、実はリナさんが隠し持っていたペットボトルの水を注いだだけではないだろうか。

 ふと、そんな事が脳裏を過る。おそらく普通に考えれば、これが常識的な思考なのだろう。

 だけど思い返してみると、これまでにリナさんの周りで不思議な事がいくつかあった。

 びしょ濡れの服があっという間に乾いていた事や、お風呂場で湯気が止まらなくなった事、僕の目の前でかき消えたオムツとか。

 いや、でも……やっぱり魔法なんて有り得ない話だ。リナさんには悪いけれど、早々鵜呑みには出来ない。


「そっか。じゃあ時間もあんまり無いし……優ちゃん。ウチの話、魔法や異世界について信じてくれたらすぐに言ってな」


 そう言って、リナさんがニッコリと笑みを浮かべながら、部屋の窓を開ける。

 それから、リナさんが僕の手に触れると先程の水が消えて無くなり、


「じゃあ、行くでっ! でも優ちゃん。あんまり暴れんとしてな」


 そう言うや否や、問答無用で押し倒された。

 今度は何をする気なのかと思った直後、ふわりと身体が浮いたような気がする。

 そのまま謎の浮遊感は残り続け、ゆっくりと天井が近くなり、それから窓のサッシが見えたかと思うと、薄暗い朝焼けの空が視界に映った。

 これは、まさか……と、恐る恐る首を回すと、


――ッ!? 何の冗談だよっ!


 眼下に僕の家の屋根が見える。

 それどころか町を一望出来るし、かなり広い伏見稲荷大社の敷地が見渡せていた。

 つまり、これは、


「リナさん! もしかして、僕たち空を飛んで居るの!?」

「うん、せやで。希望があれば、優ちゃんの示す方向へ移動するけど?」


 まさかと思う質問を投げかけると、リナさんがいとも簡単に肯定し、それどころかリクエストにまで応えてくれるという。

 だけど、僕としてはそれどころではない。リナさん自身が浮いているのだとしたら、僕を支えているのはリナさんの細い両腕のみ。万が一、この高さから落ちたりしたら、即死は免れないだろう。


「ううん、大丈夫。大丈夫だから、早く戻って! 流石にこれは、怖いよっ!」

「あはは。まぁそう言うと思って……って、ちょっと優ちゃん。今は魔法を制御しているから、そんなトコ触ったらアカンって! 後でいくらでも触って良いから、今は……んぅっ!」


 変な声を出すリナさんに必死でしがみつき、ようやく僕の部屋の中へと戻って来た。

 無事に帰ってこれて、本当に良かった。


「ふふっ、優ちゃん。空を飛んだ時のリアクションが、ウチの夫と殆ど一緒やわ」


 僕は生身で空を飛ぶという恐怖を体験し、未だ身体がすくみあがっている。

 だけどその一方で、ミウちゃんの事で頭が一杯だったであろうリナさんに、ほんの少しだけ笑顔が戻ったのだった。

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