第107話 再会(ニ)

 日差しが地に人馬一体の影を落とした。

 木立の合間から勢いよく飛び出したのは、みごとな青鹿毛の馬だ。

 馬は危なげなく着地すると、夏凛と村人たちのあいだを遮るように棹立ちになる。

 馬上にあって村人たちを睥睨するのは、枯草色の外套をまとった騎手であった。

 幾重にも巻かれた布に顔を覆い隠されているため、一見しただけでは年齢はおろか、性別さえも判然としない。


「なんだ、貴様は――」


 がなり立てたのは、村人のなかでもひときわ図体の大きな男だ。

 右手に携えているのは、持ち手に布を巻いただけの無骨な鉈である。

 ふだんは野良仕事に用いられる農具も、ひとたび明確な殺意を持って振るわれたなら、おそるべき威力を秘めた凶器に変わる。

 男はこれ見よがしに鉈を突き出しながら、騎手へとにじり寄る。


「まさか、俺たちの邪魔をしようってのか?」

「……」

「そいつらは神使しんしさまを殺した罰当たりな連中だ。曲山里きょくざんりの大事な祭りを台無しにしてくれた落とし前はつけさせてもらう。どこの誰か知らないが、余計な手出しはやめてもらおうか」


 騎手は依然として沈黙を保ったまま、鞍上から男を見下ろしている。

 その背後では、夏凛はむろん、怜と司馬準もまるで氷漬けになったみたいに動きを止めている。

 突然の闖入者が敵か味方か判断しかねて、この場の誰もが動きあぐねているのだ。


「黙ってないで、なんとか言ったらどうだ――」


 しびれを切らしたように叫んだ男に向かって、騎手は革の弓懸グローブに覆われた指先を突き出した。

 止まれ、と言外に命じているのだ。

 

「おまえたちの話は承知した」


 覆面の騎手が発したのは、意外にも若い男の声であった。

 大人の男にしてはいささか重みに欠ける声色から、どうやらまだ少年であるらしい。

 鉈男はその返答に満足したように頷くと、とばかりに空いた左手を振る。


「承知したってんなら、いますぐそこをどいてもらおうか。これは里の人間の問題だ」

「それは出来ない」

「なにい!?」

「私は承知したとは言ったが、見過ごすと言った覚えはない」


 言い終わるが早いか、騎手の右手が動いた。

 村人たちが気づいたときには、騎手はいつでも弓矢を放つ態勢を整えていた。

 短弓は鞍の脇に懸架していたものだ。右手で短弓を掴むのと並行して、左手は同じく鞍に下げた矢筒からすばやく矢を抜き取り、弦につがえたのである。

 一連の動作が完了するまでには三秒とかかっていない。

 まさしく電閃のごとき早業であった。

 

「退け、曲山里の者ども。これ以上一歩でも近づいたならつ」


 あどけなさを残した声で告げたのは、あくまで冷徹な警告だ。

 その声を耳にしたとたん、夏凛は何かに気づいたように両目を見開いていた。


「退けだとぉ? しゃらくせえ!! 余所者に指図される覚えはねえ!!」


 騎手の言葉がよほど癇に障ったらしい。

 大男は激情に駆られるまま鉈を振り上げると、猛然と人馬めがけて突進する。

 射程では弓に分があるとはいえ、接近されてはその優位も崩れ去る。

 いまこの瞬間も、男と騎手を隔てる距離は急速に縮まりつつある。

 男が雄叫びとともに鉈を振り下ろし、あわれな騎手は鮮血を吹き上げて落馬する――。

 誰もが脳裏に描いた酸鼻きわまる光景は、まもなく現実のものとなるはずであった。


「――――!!」


 刹那、森のなかに響いたのは、金属が金属を打つ甲高い音だった。

 大男は愕然と自分の右手を見やる。

 耳の先まで憤怒に染め上げられた顔がみるみる青ざめていったのも当然だ。

 ほんの一瞬前までたしかにそこにあったはずの愛用の鉈は、いずこかへ消え失せていた。

 目にも留まらぬ疾さで放たれた矢が、男の手から鉈を弾き飛ばしたのだ。

 あっけなく持ち主の手を離れ、くるくると回転しながらあらぬ方向に飛翔した鉈は、そのまま近くの木の幹に突き立った。

 倏忽しゅっこつのあいだに何が起こったのか、村人たちはむろん知る由もない。

 事の一部始終を完全に把握することが出来たのは、騎手のほかには怜と司馬準だけであった。


「これで脅しではないことが分かったはずだ」

「ふ……ふざけやがって!!」

「神の御使いを殺された怒りは分かるが、どうか聞き分けてくれないか。私もを傷つけることは本意ではない――」


 と、村人たちの背後から近づいてくる足音がある。

 山道を息せき切って駆け上がってきたのは、白衣の神官であった。

 村の顔役ということもあり、先ほどまで息巻いていた荒くれ男もそそくさと道を譲る。

 やがて神官は騎手の前に進み出ると、うやうやしく頭を垂れた。


「御曹司!! おひとりで勝手なことをされては困ります!!」

「すまない。しかし、どうしても胸騒ぎがしてならなかったのだ」

「まったく……もしあなた様の身に何事かあれば、私どもはお父上にどのように申し開きをすればよいやら……」


 神官はあっけに取られたように立ち尽くす村人たちをひと睨みすると、威儀を正して宣言する。


「よく聞け皆の衆! こちらにおわす御方は、領主様が御子息――昌輝しょうき様である! 本日は伝統の祭りの視察するために、郡都よりわが曲山里の村にお越しいただいたのだ!」


 騎手はいかにもきまりが悪そうに周囲を見渡すと、顔を覆っていた布を躊躇なく取り去る。

 あらわになった素顔は、はたして夏凛が予想していたとおりだった。

 あれほどあざやかに弓を操ることが出来る人間は、夏凛の知るかぎりたったひとりしかいない。

 

鷹徳ようとく――――」

「お久しぶりです、凛どの。お変わりないようで安心いたしました」


 鷹徳は照れくさそうにはにかむと、馬を降りて夏凛のもとへと駆け寄っていった。


***


「……にしてもよ、天の助けってのはこのことだぜ」


 怜は心底から安堵した風に言って、長いため息をついた。

 あたりは早くも夕闇の色が濃くなっている。

 馬車と騎馬は足並みをそろえ、川沿いの道を一路東へと進んでいく。

 御者台で手綱を取る怜は、馬上の鷹徳をちらと流し見る。


「あのまま怒り狂った村人どもに囲まれてたら、今頃どうなってたか分からねえ。今回ばかりは鷹徳くんに礼を言わなきゃな」

「本当に感謝してるなら、その呼び方はやめてもらえないか」

「ん? 本名の昌輝くんのほうがよかったか?」

「名前ではなく、のことだ! なんだかバカにされてるような気がする!」


 鷹徳は憮然とした面持ちで怜を見やる。

 あえて不服げな表情を作っているのは、内心まんざらでもないことを悟られまいとしているのだ。


 あのあと――。

 夏凛たちの一行は、鷹徳の取りなしによって曲山里の集落を無事に通り抜けることが出来た。

 華昌国王家の一員であり、当地を治める領主の息子である鷹徳が仲裁に入ったなら、いかに頑固な村人でも遺恨を水に流すほかないのである。

 司馬準が倒した白虎はことにされ、祭りは何事もなかったかのように催されるとのことであった。

 鷹徳はといえば、視察もそこそこに、夏凛たちとともに封寧ほうねい城へと出立したのだった。

 

「それにしても、まさかこんなところで凛どのと再会することになるとは……」

「なんだ、アイツに会えたのが嬉しくて飛び上がりそうってか? 顔に出てるぜ、鷹徳くんよ」

「う、うるさい! 恩人にむかって無礼だぞ!!」


 売り言葉に買い言葉の、他愛もない口喧嘩。

 どちらにとってもこうして言葉を交わす一時がひどく懐かしく、そして愛おしく感じられる。

 五剣峰の峠口で別れたときには、今生の別れになることも覚悟したのだ。わずか三ヶ月とはいえ、感慨を抱かせるには充分だった。

 と、そんな二人のやり取りが聞こえたのか、馬車の車窓がふいに開け放たれた。

 夏凛は顔を出すと、鷹徳にむかって微笑みかける。


「私からもお礼を言わせて、鷹徳」

「とんでもない。凛どのの力になれたなら、これ以上の光栄はありません!」

「じつは私たち、鷹徳のところに行こうと思っていたの。こんなに早く会えるとは思ってなかったけど――」


 そこまで言って、夏凛はいったん言葉を切る。

 柄にもなく緊張しているのも当然だ。

 いまから鷹徳に話すことは、たんなる友人同士の話とは訳がちがう。

 沙蘭国と華昌国の同盟――その成否に関わる重大な依頼にほかならない。


「じつは、私たちは沙蘭国さらんこくの使節として華昌国に来てるの」

「使節……ですか」

「そう。それで、国王陛下に親書を渡さなきゃいけないんだけど、その取次を鷹徳にお願いしようと思って。突然のことで迷惑なのは分かってるけど、私たちに力を貸してほしい」


 重い沈黙が場を支配した。

 夏凛も怜も、鷹徳の返答を待ちわびているのだ。

 国王への仲介を承諾するならよし。だが、もし拒絶された場合は、交渉の難度はおおきくはね上がる。

 やがて、鷹徳は意を決したように口を開いた。


「申し訳ありません、凛どの。僕の一存ではお答え出来かねます」

「ごめんなさい……私、無理なお願いを……」

「ですが、僕の父上に話を持ち込めば、きっと国王陛下に働きかけてくれるはずです。もちろん僕も出来るかぎりの協力はするつもりです」


 断言こそ避けているものの、前向きな鷹徳の返答に、夏凛の表情がぱっと明るくなった。

 と、怜は何かに気づいたように手を打っていた。


「ところで鷹徳くんよ、おまえ結婚の話はどうなったんだ?」

「それは……」

「とぼけてんじゃねえよ、とっくに約束の期限は来てるはずだぜ。どうせ毎日年上の嫁さんとよろしくヤッてんだろ。羨ましい野郎だな」

「僕は断じてそんなことはしていない!!」


 おもわず声を荒げた鷹徳に、夏凛と怜は顔を見合わせていた。


「おい、ちょっと待て。そりゃいったいどういうことだ? 鷹徳、おまえまだ童貞――」

「凛どのの前で下品な話をするのはやめろーーー!!」


 からかうように言った怜に、鷹徳は顔を紅潮させながら吠え立てる。

 ほとんど鞍からすべり落ちそうになりながら、鷹徳はどうにか落ち着きを取り戻したようだった。

 

昌蓉しょうよう姫と僕はまだ正式な夫婦めおとにはなっていないだけだ」

「だから、いったいなんでなんだよ? 華昌国王はお前らにさっさと子供作ってもらいたいんだろ」

「理由を話せば長くなる。……いろいろと込み入った事情があるんだ」


 しばらく進むと、ふいに前方の闇が和らいだ。

 空中にぼんやりと浮かんだ灯りは、城壁に掲げられた篝火だ。

 華昌国の国境を守る郡都・封寧城である。

 城市まちの四方を囲繞いにょうする堅牢な城壁からは、夜どおし灯りが絶えることはない。

 一行が進む川沿いの道は、重厚な鉄扉を備えた城門へとまっすぐに吸い込まれている。


「凛どの、長旅でさぞお疲れでしょう。華都かとに向かうまえに、ぜひわが一族の居城にお立ち寄りになってください」


 言って、鷹徳は馬に鞭を入れる。

 闇のなかを駆け出した騎馬の後ろ姿は、みるみる遠ざかっていった。

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