第48話 襲撃(四)

「怜、無事だったのね――」


 欣然と駆け寄ってきた夏凛に、怜は厳しい視線を向ける。

 いまだ死闘の熱気冷めやらぬ青い瞳に見据えられ、夏凛はびくりと肩を震わせた。


「逃げろと言ったはずだぞ。なんで戻ってきた!?」

「それは……」

「遊びでやってんじゃねえんだ。おまえ、自分が狙われてるという自覚はあるのか」


 語気強く叱責する怜から夏凛を遠ざけるように、鷹徳は二人のあいだに身体を割り込ませる。


「凛殿はあなたのことを心配して来たのだ。そんな言い方はないだろう!!」

「俺はこいつと話をしているんだ。てめえはすっこんでろ」

「断る!!」


 敵を退けたことに安堵する間もなく、険悪な空気が場を覆い始めた。

 ややあって、重い沈黙を破るように口を開いたのは夏凛だった。


「いいの――鷹徳。怜の言うとおり、敵がいるかもしれないのに戻ってきたのは不用心だったわ」

「しかし、凛殿……」

「それでも、私たちだけで逃げることは、どうしても出来なかった」


 言って、夏凛はふたたび怜に向き合う。


「だから、改めて言わせてちょうだい。無事でよかった」

「この俺があんな連中にやられるかよ」

「顔の傷は平気? 血はほとんど止まってるみたいだけど」

「こんなかすり傷、ツバでもつけときゃ治るさ」


 怜はふんと鼻を鳴らすと、ぱっくりと開いた頬の傷口に触れる。

 わずかに片眉を吊り上げたのは、痛みのためではない。

 ような傷をつけられたことが悔しいのだ。


「剣はしばらく借りとくぞ。まだ敵が潜んでいるかもしれねえ」

「それはべつに構わないけど……」

「いい剣だ。元々の作りもいいが、日頃からよく手入れしてなけりゃこうはならん」


 革巻きの剣柄を長い指でなぞりながら、怜は独りごちるように言った。


「おまえの剣じゃあるまい」

「え?」

「この剣の本来の持ち主は大人の男……それもかなりの使い手だったはずだ。いまはおまえのそばにはいない。さっき襲ってきた連中とも無関係じゃないはずだ」


 怜は瞼を閉じたまま、責めるでもなく坦々と言葉を継いでいく。


「べつに力ずくで聞き出そうなんてつもりはねえよ。だんまり決め込むってんなら、それもいいだろう。話すも話さないもおまえの自由だ」

「そんなつもりじゃない……けど……」

「無理しなくていいぜ。その場しのぎの適当なウソを吐かれるくらいなら、黙ってたほうがずっとマシだからな」


 突き放したような怜の言葉に、夏凛は強く唇を噛む。

 鷹徳は何かを言おうとして、困惑したように二人の顔を交互に見つめるばかりだった。

 わずかな沈黙が流れたあと、夏凛は重い塊を吐き出すようにぽつりぽつりと語り始めた。


「……私の家族は、ある男に殺された。さっきの連中は、その男が私を殺すために送り込んできた刺客よ」

「なるほどな――つまり、おまえが沙蘭国を目指してたのは、そいつの手から逃れるためってわけだ」

「そう思ってくれて構わないわ」


 夏凛はそれだけ言うと、怜の視線から逃れるようにうつむいた。

 会話を打ち切ろうとした訳ではない。それ以上はどうしても言葉を続けることが出来なかったのだ。

 朱鉄によって家族を奪われ、王宮を追われたのは、もう二年も前のことなのに。

 分かりきっていたはずの事実を言葉にするのがこんなにも辛いとは、自分でも意外なほどだった。

 周囲の闇はいつのまにかやわらぎ、視界は水を含ませた紙みたいにくしゃくしゃに歪んでいる。

 ひとすじ、ふたすじと、涙は止めどもなく溢れては頬を滴り落ちていく。


「その剣の持ち主――ずっと私を守ってくれた人も、いまはもういない」

「それもおまえの家族を殺した男とやらの仕業か」


 冷えた声で問うた怜に、夏凛はこくりとうなずく。


「いま話せるのはそれだけ……本当のことを隠してたのは悪いと思ってるわ。ここで別れるなら、それもいい。私のせいで二人を危険な目に遭わせる訳にはいかないもの」

「凛殿……」


 わずかな逡巡を経て、鷹徳は決然と夏凛に向き合う。


「僕は国境までご一緒すると約束しました。男子たる者、たとえどのような事情があろうと、一度口にした約束を違える訳にはまいりません」

「私と一緒にいたら、また敵に襲われるかもしれない」

「そのときは僕が戦います。この生命あるかぎり、あなたには指一本触れさせはしません」


 夏凛は「ありがとう」と絞り出すように言って、怜に視線を向ける。


「あなたは? 怜?」

「もともと割に合わねえ話だったが、いまの話を聞いてますます割に合わなくなった」

「それじゃ、ここで……」

「誰がそんなことを言った?」


 怜は夏凛の額に人差し指を当てると、つんと軽く小突いてみせる。

 突然のことに目を白黒させる夏凛にむかって、怜はにやりと笑みを浮かべる。


「早とちりするんじゃねえよ。乗りかかった舟だ、最後まで付き合ってやるさ」

「怜――」

「だいたいおまえ、案内人なしで五剣峰ごけんほうを生きて越えられると思ってるなら甘すぎるぜ。それに、おまえには俺の生命より大事なものを預けてるからな。返してもらうまで死なれちゃ困るんだよ」


 それだけ言って、怜はちらと鷹徳を見やる。


「また敵が襲ってきても、俺は鷹徳そいつよりは頼りになるだろうからな」

「失礼な。あなたは知らないだろうが、僕は二人も敵を倒したんだぞ」

「俺は三人斬ったうえに、一番強ええ奴の片腕を落としたぜ」


 得意げに言った鷹徳の顔にさっと赤みが差した。

 初めて敵を倒した興奮を、口惜しさが塗りつぶしていく。


「たまたまこちらに来た敵が少なかっただけだ!!」

「俺が連中の相手を引き受けてやったおかげだろ。感謝しろよな、鷹徳くん?」

「言わせておけば、あなたという男は!!」


 気色ばむ鷹徳をなだめつつ、怜は何かに気づいたみたいに怪訝な表情を浮かべた。


「……ちょっと待て、倒したのはと言ったか?」

「そうだが、それがどうかしたのか?」

「敵は七人いたはずだ。――まだ一人残っているぞ」


 室内に気配が生じたのはそのときだった。

 黒い影が音もなく闇を駆ける。

 仲間がことごとく倒され、指揮官である蔡破さいはが逃げ去っても、最後の刺客はじっと息を潜めて機会を伺い続けていたのだ。


「凛、おまえは隠れてろ!! 奴は俺たちが仕留める!!」

「気をつけて、怜、鷹徳!!」

「分かってるさ」


 刹那、するどい音が闇をつんざいた。

 矢であった。それも、いしゆみから発射されたものだ。

 発条ばね仕掛けの弩は、通常の弓のように短い間隔で連射することは出来ない。戦場で弩兵が部隊単位で運用されるのは、一射ごとに時間がかかるという欠点を補うためなのだ。

 そのかわり、弓の使用に適さない場面――屋内や市街地での戦闘では、無類の威力を発揮する。

 建物内での接近戦は、敵にとってまさしくおあつらえ向きの状況といえた。

 怜と鷹徳は物陰に身を隠しながら、敵の出方を窺っている。


「鷹徳、狙えるか!?」

「やってみる……が、この暗闇のなかで上手く当てられるかどうか――」

「無理そうならその辺に隠れててもいいんだぜ」

「僕をバカにするな!! 一矢で仕留めてやる!!」


 鷹徳が物陰から身を乗り出したのと、顔のすれすれを矢が通過していったのは、ほとんど同時だった。


「だから無理をするなと言ったんだ」

「このくらい、どうということは……」

「足が震えてるぞ」


 怜はからかうように言って、鷹徳の背中を強く叩いた。


「俺が囮になる。奴が姿を見せたら、おまえの出番だ」

「危険すぎる。上手く行かなかったらどうするつもりだ」

「そのときはそのときだ。このままじっとしてても埒が開かねえ」


 怜は長剣を抜き放つと、疾走の準備に入る。

 全身の筋肉が緊張に強張る。すこしでも多くの酸素を体内に取り入れるべく、呼吸は次第に深くなる。


「おまえの弓の腕前を信じて生命預けると言っているんだ」

「怜……」

「頼んだぜ、鷹徳――」


 言い終わるが早いか、怜は風を巻いて駆け出していた。

 その動きに追随するように、敵も動く。

 長い残響の尾を引いて数条の銀光が飛んだ。

 敵が弩を小脇に抱えたまま、片手で短剣を投擲したのだ。

 怜は長剣を振るい、次々に飛来する短剣を叩き落としていく。

 どうやら蔡破に次ぐ技量の持ち主らしい。最後まで戦いに加わらなかったのは、仕損じた場合に備えて温存されていたのだろう。

 一気に間合いを詰める怜の顔に、もはや余裕の色はなかった。

 暗闇に火花が散る。敵は怜が繰り出した長剣を短剣で受け止め、返す刀で回し蹴りを仕掛ける。

 するどい蹴りが夜気を灼く。

 まともに喰らえば、内臓破裂による即死は免れないだろう。

 息つく暇もない攻撃をすんでのところで捌きながら、怜は猫足立ちで後退する。


「鷹徳っ!! いまだ!!」


 怜の叫びに呼応して、鷹徳は弓を構えて進み出る。

 弦に矢をつがえ、いつでも発射出来る体勢を保っていることは言うまでもない。

 鷹徳はめいっぱい足を踏ん張ると、限界まで弓弦を引き絞る。

 渾身の力を込めて放たれた矢は、闇を貫いて飛翔する。

 断末魔にも似た風切り音が廃墟を領した。

 敵の身体がに折れたのを確かめて、鷹徳は安堵の息をついた。


「これで敵は全員倒し――」

「バカ、油断するな!! そいつはまだ生きてやがるぞ!!」


 次の瞬間、倒れていた敵は人間とも思えない動きで身体を起こし、怜と鷹徳の傍らを駆け抜けていった。

 行く先は分かりきっている。

 そして、敵の弩にはまだ矢が装填されたままなのだ。

 夏凛の生命を奪うには、ただ一矢で事足りる。本来の標的を葬り去ることが出来れば、敵は目的を成し遂げることが出来る。


「くそったれが!!」


 怜は吐き捨てるように言って、だんと床を蹴る。

 金糸の髪をなびかせ、青年は必死に敵に追いすがろうとする。

 遠ざかる背を、まだかろうじて息づく心臓を貫かんと、長剣が伸びる。

 そうするあいだにも、敵は物陰に隠れている夏凛を見つけ出したようだった。

 闇中で二つの身体が交差する。

 寂蒔たる廃墟に響きわたったのは、発条仕掛けの発射音だった。

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