第二十三話 「この家の者となれ、家庭教師よ」「断る!」

 数十分後、俺は再び惣一郎氏と対峙していた。



「お話があります」


「何だね? 言ってみたまえ」



 俺の険しい表情からも何かを察したのだろう。惣一郎氏は無駄な時間を費やすこともなく、ほぼ即答でそう応じる。俺は頷き、ゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。



「どうして俺に、凛音お嬢様の婚約話の件を隠していたんですか?」


「何も隠していた訳ではない。君は家庭教師だろう? この件については部外者だ」


「……そうですかね? 俺にとっては関係大アリですけど」



 ついつい感情的になってしまい、もはや喧嘩腰とも取れる俺の態度に、ふう、と溜息を吐いた惣一郎氏は、とん、とん、とソファーの肘掛を指で叩きながら居心地悪そうに姿勢を崩し、視線を反らすように頬杖をついた。



「そうかもしれん。だが、鞠小路家の未来について、何も一家庭教師の君が頭を悩ますことはないと思ったのだ。そもそも過去から強引に連れてきてしまったという負い目もあるしな。多田野君、君はただ、娘が一人前のオタクになれるよう尽力してくれれば良い」


「しかし、もし凛音お嬢様が『宅検』に合格できなければ……」


「それは君のせいではない。何も気に病むことはない。結果がいずれにせよ、君は立派に務めを果たし、晴れて過去に戻れる。それは鞠小路家の当主たる私が約束しよう」


「そんなつまらない心配をしてるんじゃありませんよ! 凛音お嬢様のことです!」



 つい、イラっとして口調が激しくなってしまう。

 だがそれでも、俺を見つめ直した惣一郎氏の厳めしい表情はわずかも緩まなかった。



「それも含めて、だ。もう皆、納得済みのことなのだ」


「……本当に、本当に納得しているんですか?」


「妻も娘もな。御子柴たち研究員もそうだ。新たな主人になるのだから」



 だが、俺は納得していない。

 そして――。



「……貴方自身はどうなんですか、惣一郎さん?」


「――とは?」


「そのままの意味ですよ。貴方自身は、可愛い可愛い一人娘の生涯の伴侶としてあの方を迎え入れることについて、本当に納得してます? 本当に心の底から納得できているんですか?」



 予想通り惣一郎氏はすぐには答えなかった。

 やがて、むっつりと顔をしかめて言い捨てる。



「納得している。高道君の『オタク・カルチャー』に関する知識と素養に関しては非の打ち所がないと思っている。そうだとも」


「そこじゃありませんよ。俺の聞きたいのは」


「何?」


「あいつ……ああ! もうこの際あいつで良いですよね? あいつがこの鞠小路家の当主になっちゃうんですよ? 貴方のことを『お義父さん』って呼ぶんですよ? 凛音お嬢様の身体中を舐め回したり、毎晩えっちなことしたりするんですよ? ふひふひ言いながら!!」


「え、ええい! や、やめろこの馬鹿者! 想像させるなあああああ!!」



 いきなり立ち上がった惣一郎氏に、むんず、と胸倉を掴み上げられながら、それでも視線を反らすことなく落ち着き払った口調で告げた。



「ほら、全っ然納得できてないじゃないっすか! 四大華族か名門たる鞠小路家か何か知りませんが、それより凛音お嬢様の方がずっと大切だと俺は思いますけど。違いますか?」


「わ、私だって……私だってそうは思っている! しかしだな……!」



 徐々に力の抜けていく惣一郎氏の手に触れ、そっと振りほどいた。どさり、とソファーに身体を預けた惣一郎氏はぐっと老け込んでしまったかのように見える。乱れたシルバーグレイの髪を整えることもなく、両手で顔を覆ってぽつりと呟いた。



「……私とて思いは同じだよ。だがね、多田野君? 私は鞠小路家の当主であり、その当主である以上、鞠小路家に関わる人間たち皆の未来をも守ってやらなければならない。それは責任であり、義務だ。私の一存だけで全てを投げ捨てることは許されない。許されないのだ」


「はぁ……思ったより面倒臭い立場なんですね。同情はしますよ」



 そんなに簡単な話ではないと思っていたけど。


 ただ惣一郎氏が、つまらない面子にこだわっているつまらない大人じゃないと知れて、少しは心が軽くなった気がした。おかげで考える余地も生まれていた。



「うーん……。他に良い方法、あると思うんすけどね……」


「おいおい。私たちだってこれでも考えに考え抜いた末に出した結論なのだぞ?」


「それは分かりますけど」



 どうしようかな……。

 あまり下手な約束はしたくないんだけど。


 しばらく考え直してみたものの、俺の思いつく最善の策とはそれしかなかった。



「こういうのはどうです?」


「言ってみたまえ」


「もし『宅検』に合格できなかったとしても、俺がこの世界に残って、凛音お嬢様の専属のアドバイザーになって補佐をする、ってことですよ。それなら『オタク・カルチャー』に弱い面を十分補えると思います」


「何と!」



 惣一郎氏は、ぽん、と手を打ち、見る間に相好を崩した。



「そうか……! 君という存在を抜きに今まで検討してきたのだが、そういう方法もなくはないな! ただ……根本的な解決ではないのだから、それまで君は元の時間に戻れなくなってしまうことになるのだろうが……」


「永久に、ってのは少し困りますけど。あいつよりマシな相手が見つかるまで、とか」



 多少時間はかかっても、今回が最後、なんていう厄介なタイムリミットさえなければ、凛音お嬢様だってそれなりに『オタク・カルチャー』に関する教養を身に着けることだって可能な筈だ。そうすれば、何もあんなキモオタと無理矢理政略結婚なんてしなくて済む。


 かっか、と豪胆な笑い声を上げた惣一郎氏は、そこで、はた、と何かをひらめいたようだった。



「待てよ……。うむ、こういうのもあると思うのだが?」


「言ってみてください」


「多田野君、君が娘の婚約者になる、というのはどうだね?」






 ……はい?

 一気に話の雲行きが怪しくなっちゃったぞ!






「うぇえっ!? お、俺ですか!?」


「貴様……不満があると言うのか!?」


「ふ、不満とかじゃなくて……手ぇ出したらコロス!とか言ってたじゃないっすかあああ!」


「も、もちろんだ! それは変わらん!」



 意味ないじゃん、その結婚!

 誰得なんだよ!



「何も相手が華族でなくとも構わんからな。うむ、その手があったぞ!」


「ないですないです! それ、ダメ、ゼッタイ!」



 可愛いけども!

 守ってあげたいけども!


 そういう対象じゃないんだってばあああ!



 何とかひとまず、千里小路家との婚約話は白紙にする、ということだけは確約してもらい、俺はうのていで惣一郎氏の部屋から逃げ出したのであった。




 ◆◆◆




【今日の一問】


 宮崎駿は日本を代表する映画監督でありアニメーターです。では次の中から、宮崎駿の監督名義でない作品を一つ選びなさい。


    (ア)パンダコパンダ

    (イ)未来少年コナン

    (ウ)ルパン三世 カリオストロの城


    (私立中学校入試問題より抜粋)




【凛音ちゃんの回答】

(ア)。

 確かこの作品は原案と脚本だけだった気がします。間違えていたら済みません。




【先生より】

 正解です。良く学習していますね。『監督名義』というポイントを見落とさなかったのは見事だと思います。代表作としてしばしば挙げられる『借りぐらしのアリエッティ』と『コクリコ坂から』は『脚本』だけ、『耳をすませば』も『脚本』と『絵コンテ』のみ担当となります。ここも引っかけ問題として頻出するので注意して覚えてくださいね。



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