第二十話 キャスティング・ボイス

「おはようございます、センセイ!」


「おはよう、凛音ちゃん。もうすっかり顔色も良いね。良かった!」



 通常運転に戻った笑顔とほがらかな声にそう言って笑い返すと、次の瞬間、凛音お嬢様の眉根が不思議そうにしかめられる。その視線は俺の背後に控えている面々に向けられていた。まあ無理もないだろう。



「き、今日は……何だか大人数なのですね?」


「そ。今日からは少し趣向を変えて学習していきますから。皆さんに集まってもらいました」



 軽く合図を送ると、早速みこみこさんを始めとした黒服エージェントの一団がそれぞれ担当の機器を手に一気に凛音お嬢様の部屋へと雪崩れ込んできた。忙しなく動き回る彼らの様子を凛音お嬢様はきょろきょろと落ち着かなげに見回して尋ねる。



「な――何が始まるのでしょうか?」


「前にさ。手塚治虫の漫画を学習した時のことって覚えてる?」


「ええと……もしかして、センセイが台詞を読み上げてくれたことでしょうか」


「ですです。アレのもっと大掛かりな奴をやろうと思うんです。今度は凛音ちゃんも一緒に」


「えええ!? 私も……ですか?」






 俺の考えた次なる学習のアイディアとは。

 そう、アテレコである。






 アテレコとは、アニメ等の映像作品において登場キャラクターに声を割り当てる必要がある場合に、声優がその声の部分だけを演じて録音する事を示す。


 さっき凛音お嬢様が言ったとおり俺は、手塚作品を説明する際、題材に漫画だけをチョイスして即興でその真似事をしてみせた。結果、凛音お嬢様の頭にはスムーズに知識が入り、それなりの成果があったと確信したのだ。


 そして、アテレコの採用にはもう一つ別の理由もある。


 初めて凛音お嬢様に出会い最初の授業をした際に、俺は彼女が苦心して解いていた低学年向けのドリルを見て、意味なしくだらん!と速攻屑籠くずかごに捨ててしまったのである。


 それは何故か?


 ここからは俺の体験談と実績が頼りだが――。


 学生が学ぶ科目には他にもさまざまあるだろう。その中でも、覚えゲーでしかない科目の代表選手と言えば、社会だ。俺も学生時代、あの時の凛音お嬢様と同じようにドリルやワークとにらめっこして、うーんうーん、うなりながら必死に格闘していたものだ。


 だが、ある時、ふと気付いてしまった。


 はなっから答えの分からないドリルやワークとどれだけの時間をかけて向き合おうと、自分の中に答えのない分からない問題は、どんなにない知恵を振り絞っても分からないのである。その行為の無意味さに気付いてしまったのだ。


 それからの俺は、先に答えを見て、解答欄にひたすらそれを書き込むことで自分の中の知識を高めていった。一度全て解いてから、全てを消しゴムで消し、また同じことを繰り返す。

 それを何度も何度も繰り返しやっているうちに、俺の中に着実に知識が蓄積された。その結果、最後の方はもう解答を見ずとも正答が書けるようになっていった。そして、それに比例するようにテストの成績もぐんと飛躍的に上がったのである。




 重要なのは、正しい答えを最初から知ることと繰り返し自らの手で行うこと、この二点だ。


 これを、題材をアニメや漫画に置き換えてやろう、というのである。




 ただもちろん、凛音お嬢様には漫画なぞ描けないし、いくらエージェントさんたちが優秀であろうとアニメを描き下ろす訳にはいかない。そもそも、凛音お嬢様を漫画家やクリエイターにするのが目的ではない。


 だからこそのアテレコ――読み上げ学習なのだ。




「さすがっすね。よくこれだけの機材が短時間で揃えられたもんですね」


「だろ? 鞠小路家私設研究員は伊達じゃないのだ」



 凛音お嬢様の部屋は、たちまちアニメの録音スタジオのような様相をていし始めた。さすがにガラス向こうのミキシングルームなんかはないものの、無数のスライド式のフェーダーが配置された本格的なレコーディングミキサーに、用途不明のパソコンが数台置かれ、特大のスクリーンの前にはマイクスタンドが三本立っている。




 ……三本?




「あ。もしかして、みこみこさんも参加してくれるんですか?」


「さすがに宅郎と凛音お嬢様だけでは人数的にも厳しいだろう? 男側も募集したのだが、困ったことに候補者ゼロでな」



 ん? 何処から? と思ったが、よく考えたらエージェントさんたちは喋れない体質なのではなく、職務上喋らないだけなのか。性別以外は容姿からも個体識別できないので、もしやクローンかAIアンドロイドなのでは?と思い始めていた俺である。



「ただ……さすがにまだ教材の準備までは手が回っていない。漫画は配役を決めてそのまま読んでしまえばいいのだから問題ないだろうが、アニメについては明後日以降にしてくれ。台本まで作る気はないが、手間はほとんど似たようなものだからな」



 分かりやすく言えば、カラオケの字幕みたいなものをアニメにかぶせてくれる予定なんだそうだ。そちらは別部隊が急遽人員を増強して絶賛文字起こし中ということである。有能すぎ。



「よし! じゃあ早速始めましょう! さ、凛音ちゃんも立って立って」


「は……はい!」



 まだちょっと状況が呑み込めていない凛音お嬢様をまずはマイク前に立たせて、俺とみこみこさんは映像機材側に座るエージェントさんのところに集まって相談を始めた。



「題材は何にする? 最初だから、登場人物が少なくて、話が短い方がいいだろう」


「うー。そうですね……あ! アレやりません? 『WORKING!!』。四コマですし」


「ま、とりあえずはそれで肩慣らしだな。声が出るかどうかが最初の関門だ」


「ですね」



『WORKING!!』とは、高津カリノによる四コマ漫画で、何度もアニメ化されている作品だ。


 北海道にある架空のファミレス『ワグナリア』を舞台に、そこに勤務する一癖ある登場人物たちの繰り広げる軽妙なボケとツッコミがテンポ良く展開されるコミカルなストーリーである。


 男性・女性ともに登場人物は多いものの、元が四コマ漫画なので一度に登場する人数は少ないし、何とかなるだろう。声色も何通りかは使い分けてみせよう。みこみこさんはどうだろうか。恐らく俺と同程度にはイケるんじゃないか、そんな予感があった。


 問題は、凛音お嬢様だ。



「あー。あー。テステス……。エコー入れろ。適当にSE鳴らせ……よし、いいな」


「お? 凄い凄い! SEまで準備してくれたんですね」


「有り物だがな。ミキサー担当はヘッドハンティングしてきた。さすがにいなかったのだ」



 どうりで一人だけ同じ黒服なのに髪型だけ微妙に違う筈だ。ノリも軽く、おーい、と俺たちの方に手を振ってきた。しかし、今日の今日で急遽ヘッドハンティングって、いくら積まれたんだろうか。相変わらず権力の振るい方がメチャクチャな人たちである。



「では、男性キャラはとりあえず俺が全部引き受けます。凛音ちゃんは、種島ぽぷら役で……そう、このおっきなポニーテールのちっこい人です。残りは、みこみこさん、行けますか?」


「そうだな。何とかしよう」


「あぅう……。この人の台詞を読めばいいんですね?」


「うん。自分だと思って、恥ずかしがらずに大きな声でお願いします」


「は、はい!」




 3、2、1、スタート!




「小鳥遊クン……」


「もっと大きく! 感情を込めて!」


「は、はいいいっ!」



 最初は恥ずかしがっていた凛音お嬢様だったが、俺とみこみこさんがノリノリで声色を使い分けつつ台詞を読んでいくと、次第に羞恥心が薄れてきたのか、多少のアドリブを入れつつ声が出せるようになってきた。



「いいよ! 凛音ちゃん! その調子です!」


「は、はいいいっ!」




 いける、いけるぞ!

 俺たちはそのまま、いくつかの四コマ漫画を使ってアテレコによる学習を進めていったのである。




 ◆◆◆




【今日の一問】


 次は、けものフレンズプロジェクトの『けものフレンズ』より、登場キャラクターの名前ですが、実際には登場しないキャラクター名を一つ選びなさい。


    (ア)スナネコ

    (イ)チベットスナギツネ

    (ウ)ギンギツネ


    (私立小学校入試問題より抜粋)




【凛音ちゃんの回答】

(イ)。

 こういう場合には一番長くてそれらしいものを選べとセンセイに教わりましたので。




【先生より】

 正解です。(ア)の『スナネコ』はさばくちほー生息のフレンズで、(ウ)の『ギンギツネ』はゆきやまちほー生息のフレンズです。ちなみに先生は担当する声優さん繋がりで『ツチノコ』が好きです。さすがに『チベットスナギツネ』がフレンズで出てくると、あの表情もあいまってかなりシュールさが増すと思います。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る