第十六話 すべて我々のシナリオ通りだ

「……俺、きれいな顔してますよね、嘘みたいですよね。死んでるんですよ、これでも心が」


「テンプレめいた科白を吐くのはやめて現実を見るのだ、宅郎。似合っているじゃないか」



 きれいに装丁そうていされてくれちゃっているミニ写真集を眺めつつどんより言うと、隣からそれを覗き込んだみこみこさんは一笑いした後、少しばかり真面目な表情に切り替えた。



「というかだな、この件でお前に呼び出しがかかっているのだ。少し時間、良いか?」


「いやいや。そんなこと言って拒否権ないんでしょ? って……もしかして凛音お嬢様の?」



 ……嫌な予感しかしない。



「察しが良いな。旦那様と奥様が直接お前に会いたいそうだ。さ、ついてこい」


「パターンは?」


「グリーンだ。今のところはな」



 とりあえずブルーじゃないってことは分かったので安心した。みこみこさんに連れられるまま研究棟を出て御屋敷へと向かう。しまった。俺のできたての黒歴史は置いてきても良かったのに。何となく小脇に抱えていれば、何かのファイルっぽくて出来る男風に見えるだろうか。


 着いた先は、いつもの凛音お嬢様の部屋ではなく、さらに豪華で大振りなマホガニーの扉の前だ。両脇にはエージェントさんが二人立っていて、みこみこさんの姿を認めるなり無言で頷き、迎え入れようと扉を開けてくれた。そのタイミングを計ったように、中にいた品格のある女性が淀みない仕草で、すっ、とソファーから立ち上がり、丁寧な会釈で迎えてくれる。



「わざわざお呼び立てしてしまい、恐れ入りますわ。貴方が多田野宅郎様ですね?」


「は、はい。はじめまして。というか、すっかりご挨拶が遅くなってしまい――」


「よろしいのですのよ、そんなに恐縮なさらなくても。凛音の大事な家庭教師ですもの」


「はぁ。お役に立てていれば良いのですが」



 この人が奥様なのだろう。

 そう言われてみると何処となく凛音お嬢様に顔付きが似ている。当然か。


 華族、などというのだから、もっとイケイケドンドンなけばけばしさを想像していた俺だったが、実際お会いしてみるとシンプルで質素な装いでありながらも、内面から育ちの良さがありありと伝わってくる品の良い女性だ。口調はのんびりと穏やかで、聞いてるだけで自然と心が落ち着いてくる。


 室内の装飾もそうだ。いやらしいグロテスクな華美かびさはわずかもなく、凛音お嬢様の部屋どころか研究棟で俺にあてがわれている居室とそれほど大差はなかった。強いて言えば、床を覆う毛足の長い絨毯じゅうたんとテレビや映画くらいでしかお目にかかったことのない暖炉、あとは壁に掛けられた鹿のオーナメントがあるくらいだ。




 ん?

 重厚なテーブルの上に置いてあるアレは……!




 それを手に取りぱらぱらとめくりながら、奥様の隣でゆったりと座している人物が口を開いた。



「これが、コスプレ、というものだそうだな? 多田野君。……誰の差し金だね?」


「差し金って……いきなり嫌ですわ。これも授業の一環なのですわ。そうですわよね?」



 答えようとする直前、この御屋敷の主、鞠小路家の当主である旦那様の太い眉の下の目力めぢからが尋常でない瞳が、ぎろり、と俺を射た。


 スーツの上からでもそれが分かる立派な体躯たいくだ。年齢は、五〇歳後半くらいか。慌てて口を挟んだ奥様を、黙っていろ、と言わんばかりに分厚い右手が制した。奥様は仕方なく控えめに溜息を吐き、その隣に和服の裾を整えつつそっと腰を降ろした。



「……えと、提案したのは確かに俺です。凛音お嬢様をオタクにするには必要ですから」


「ふむ」



 ぺらり。

 ……生きた心地がしない。



「これは、君の趣味で選んだ、衣装、なのかね? もし仮にだ、そうなのだとしたら――」


「だとしたら? い、いや、違いますけどね。凛音お嬢様自らお選びになった物ですよ」


「むう」



 ぺらり。

 ……はよ、殺してくれ。






「これは実に……萌えるな」






「………………はい?」


「そう呼ぶのだろう、このような物を見た時に、君たちオタクは。ふむ……違ったかね?」


「い、いえ……! あ、は、はい! そのとおりでございますですっ!」



 会話のゴールがまるで見えない俺がしどろもどろになってそう答えると、旦那様はしかめ面から一転破顔すると豪快な笑い声を上げた。あまりの声量に、思わず反射的に首をすくめてしまったほどだ。



「いやいや、済まぬな。少し脅かしてからかってやろうと思っただけだ。許せ、多田野君」


「き、今日が命日になるかと思いましたよ……」



 安堵の息とともに、だるん、と肩を下げると、ますます豪快さを増した笑いが響き渡った。



「改めて名乗ろうか。私が鞠小路家当主の鞠小路惣一郎そういちろうである。こっちは妻の響子きょうこ。二人とも『オタク・カルチャー』にはとんとうとくてな。こちらの我儘わがままで君には迷惑ばかりかけてしまっている。感謝の言葉しかない」


「い、いえ。そんな頭を下げられるようなことはしていないですよ。やめてくださいってば」


「そうもいかん。勝手に過去から連れてきて、家庭教師をしろ、と命じている訳だからな」


「本音を言えば、ここでの生活は楽しいですし、無理矢理やらされている感はないですよ」


「おお。そう言ってくれると助かる」



 惣一郎氏は、にやり、と口元に笑みを浮かべると、愛おしそうに手の中のミニ写真集をもう一度最初のページから眺めつつ、俺に向けて誇らしげに、にかっ、と歯を見せて笑った。



「どうだ、ウチの娘は。何を着せても良く似合うだろう。これぞ、萌え、だ、萌え」


「貴方。それですと、萌え、ではなく、ただの親馬鹿ですわよ? ね、多田野様?」


「い! いや、実際、良く似合ってらっしゃいました。オタクの俺から見ても、萌えました」


「ほら、見ろ。これは、萌え、でいいのだ! ……だが多田野、もし凛音に手を出せば――」


「だ、出しません出しません!」



 ぎろり、と再び目力が発動し、目の前で日本刀が抜き放たれ鼻先に突き付けられたほどの強烈な威圧感を覚え、大急ぎで手を振りまくって否定した。




 確かに可愛いけれども!

 嫁にしたいと思ったけども!




 そんな俺の動揺を目の当たりにしつつ、再び惣一郎氏は豪快に笑い立て、片目を閉じた。



「御子神、お前のコスプレも見させてもらった。実に似合っているじゃないか。良い」


勿体もったいない御言葉です。ついでにのもご覧になりますか?」


「ですねー……って、うぉうぃっ! こいつって言うな! じゃなかった、いーやーだー!」




 ただのはにげだした!




 にげられない!




 ただののこころはしんでしまった……。




 ◆◆◆




【今日の一問】


 次は、庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジの台詞の引用です。□内にふさわしい同じ語句を埋めなさい。


    □□□□□□だ。

    □□□□□□だ。

    □□□□□□だ……。


    (私立高等学校入試問題より抜粋)




【凛音ちゃんの回答】

『働いちゃ負け』。

 他の作品でも同様の台詞を聞いたことがあります。



【先生より】

 いつからシンジ君は駄目ニートになったのですか。正解は『逃げちゃ駄目』です。他の作品というのは、もしかして『アイドルマスター』のことではないのでしょうか。そっちの自宅警備系アイドルを知っている方が、先生としては不思議でなりません。勉強熱心で良いのですけれど。



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