第45話 果たされた約定

 それからどのくらいの時間が経ったのかは分からない。

 結果として無事に戻ることができたと認識できたのは、月明かりに照らされた採掘場の、小石混じりの地面のうえで覚醒したときだった。


 誠は周囲を見回そうとする。思考がひどく乱れているのを感じる。周囲の情報を、ともすればそのまま捉え損ねて逃がしてしまいそうなほどに。



 まず見つけたのは、疲労困憊したベルクートの姿だった。かれは左腕を地について、かろうじて倒れ伏すのを防いでいた。

 最後の一撃に魔力のほぼ全てを注ぎ込んだルーカは、気を失って倒れていた。


(……アリツィヤは?)


 誠は、いまにも消失してしまいそうな意識を必死で繋ぎ止めて、アリツィヤの姿を探した。彼女は必ずここにいる。ロートラウトと交わした、最後の約束だから。


 そして、誠は彼女を見つけた。


 アリツィヤは、月明かりのもとで佇立していた。

 土埃にまみれ、豪奢だった髪は乱れ果て、手足や頬は傷だらけだ。

 だが、その姿を見て痛ましいとは思わなかった。もう、戦いは終わった。傷を癒すための時は、これからは確かに存在する。


 そして、彼女もまた誠に気づく。


 アリツィヤは誠に向き直る。すでに知覚の共有は薄れ始めているため、彼女の思考は直接には分からなかった。

 しかし、いま、自分たちが抱く気持ちは同じ筈だ、と誠は思った。


 彼女は呟く。

「良かった」と。

 その言葉は、誠の言葉でもあった。──アリツィヤが無事で、良かった。


 だが、ただその一言を伝えたのちに、アリツィヤは誠の面前で倒れ伏した。あたかも、誠が彼女と初めて出会ったときのように。

 誠は、無防備なアリツィヤを守りたいがために、必死で立ち上がった。

 もう、アリツィヤを守ってくれるもうひとりの仲間はいないのだから。


 ロートラウトが立つべきであった場所には、ただ彼女の剣と甲冑、そして黒地に白十字をあしらった上衣が遺されているのみだった。


 アリツィヤに近づき、彼女の上体を抱え上げたときのことだ。

 誠以外にただひとり意識を保っていたベルクートが、これで共闘の約定は果たされた、と言った。


 その言葉に、誠は問うた。「だとしたら、次はまたアリツィヤと戦うのか」と。

 だが、ベルクートは応とも否とも言葉を返さなかった。

 何故だ、と訊くと、かれは、わずかに笑みをたたえながら、こう応えた。


「われら賢人会議は、世に散逸する秘蹟を収集するのが至上の目的だ。この戦いで、俺は彼女と『王』の秘蹟の一端を垣間見た。まずは、その知識を本拠地である東方教会に持ち帰らなければならない。この秘蹟にどのような価値を見いだすかは、俺の知ったことではない。その秘蹟を求めるうえで、知識の器たる彼女の存在が必要となるのであれば、そのときは再びアリツィヤと刃を交えることになるだろう。……誠と言ったな。君にはまだ、いくつかの道が残されている。ひとつは、このまま全てを忘れるか。ふたつめは、アリツィヤから得た知識を手みやげに、われらの同士となるか。みっつめは、アリツィヤとともに流浪の道を行くか。……俺は、ふたつめを勧める。それによってのみ、アリツィヤと君の生命は安全なものとなる」


 その問いかけは、意外なものではなかった。

 アリツィヤとの知覚共有により、誠もまた秘蹟の一端に触れた。それは価値ある知識であったが、それをそのまま秘匿するのであれば、誠もまた賢人会議からの追討を受けるおそれがある。そのリスクを減らすにはどうするのが最良か。ベルクートが示したとおり、誠が賢人会議の一員となればよい。そうすれば、アリツィヤの安全を保障するために取引することさえも可能だろう。


 だが、その選択肢に心動かされることはなかった。


「……誘ってくれるのは嬉しいけど、決めるのはまたにしておくよ。もうすこし、アリツィヤのそばにいたいんだ」


 そう答えると、かれは気を悪くした様子もなく、そうか、と呟いた。


「だが、それでどれほどの猶予が得られるかは分からない。おそらく、そう遠くないうちに、また追手がかかるだろう。……アリツィヤに伝えておくといい。『可能な限り、密やかに去れ』と。もはや、『王』を導くために戦いを誇示する必要はないのだろうから」


「……伝えておくよ。ありがとう」


 ベルクートは、ならばここで別れよう、といい、倒れているルーカの肩を左腕で支え、ゆっくりと去っていった。


 残された誠は、アリツィヤを連れてすみやかにこの場を去ろうとしたが、ロートラウトの遺品を捨て置くことができず、彼女の剣のみを選び、背負っていこうとした。


 だが、誠が遺品に手を触れようとしたとき、それらの表面から蒸気のような揺らめきが沸き立ったかと思うと、そのままなんの痕跡も残さずに消滅してしまった。


 ──ひととき馳せ参じた、仮初めの存在。


 そんなロートラウトの言葉を思い出したとき、誠は己のまなじりに涙が浮かんでいることに気づいた。


(ああ、いま掴むべきは、それじゃなかったんだな……ロートラウト)


 指先で涙を拭い、誠はアリツィヤのもとにひざまづき、両腕でその身を抱き起こした。

 疲れ果て、消耗しきった彼女は、覚醒することなく誠の胸に頭を預けている。


 魔術師、完成者、アリツィヤ。幾多の魔術師たちを向こうに回して、そのすべてを退けてきた魔術師は、いま腕のなかで雛のように眠っている。


 ロートラウトが言ったように、彼女はやがて去るだろう。


 彼女は償いを果たすために、その生命を用いる。そして、その間に、たとえ安楽を手に入れたとしても、彼女それを諦めることができるのだから。


 だけど、と誠は思った。その償いの道のりのさなかで、かなうならば、アリツィヤもまた救われてほしい、と。


 犠牲として滅びるのではなく、ひとりの人間として。

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