第34話 戦力

「――まいったな」


 肘から先を失った己の右腕に目をやりながら、ベルクートは呟いた。


 戦いののちに、すみやかに治癒の聖句術を施し、帰還してからは祐三の治療を受けたことにより、既に痛みや疼きなどはない。断面は、盛り上がった皮膚に覆われてしまっている。

 右腕と引き替えに得たものは、眼前に置かれた「王」の左腕だった。路地に放置しておくわけにはいかず、回収してきたものだ。畳んだ敷布の上に置かれた腕を子細に見ると、まだ皮膚には瑞々しさが残っている。これもまた、完成者たちに施された「生命の秘術」の作用なのだろうか。


 そんなことを考えていると、背後でしずかに襖が開いた。

 祐三だ。


「起きていたのかね。まだ、休んでいたほうがいい」


「ああ……そうだな。だが、先日の戦いが頭にちらついて離れない」


 答えながら、ベルクートは強いて笑みをつくった。


 ――祐三の部屋。すこし弱い照明のもとで、祐三は心配そうな顔をする。


「さもありなん、だな。『狂王』と出くわして生きて帰ってこれたのは、君たちが初めてだろう。……君がルーカ君たちを連れてここに戻ってきてくれた時は、柄にもなく、神仏に感謝したよ」


「神か。俺に聖句を与えた『者』は、まだ俺を使い足りないと見えるな。……とはいえ、今回のような仕事は、今後は御免こうむりたいものだ」


 ベルクートは己の右腕に目をやった。

「王」の開いた、異界への門。それは、彼岸ひがん此岸しがんをこのうえなく鋭利に断ち切る刃になりえた。あのとき、もう半歩ほども「王」の近くにいたならば、ベルクートの半身は異界に消え去り、残る半身はものいわぬ肉塊として、アスファルトにへばりつく事になっていただろう。


(生命があるだけでも僥倖か)


 無理矢理に、そう己に言い聞かせると、ベルクートは腕から視線を外して祐三と向き直った。


「……まだ、痛むかね?」


 言いながら、祐三はベルクートの対面に腰を下ろす。テーブルの上に置かれた「王」の腕を挟む格好になる。


「いや。もう問題はない。あなたの治療は的確だった。……片腕が残っていれば、聖句術を編むこともできる。まだ次のラウンドには臨めるさ。それに、魔術師の中には、喪われた人体を再構成できるほどの者もいる」


「魔術……か」


「……そう、秘蹟だ。『急速賦活』という。尋常の回復力ではとうてい癒せぬような損傷であっても、一瞬にして取り戻せる。だが、しくじれば再生箇所がとどまるところなく膨れあがり、ただの肉塊と貸してしまう」


 それを聞いて、祐三は眉根を寄せた。


「危険な魔術だな」


「ああ。……だが、それが出来る魔術師を知っている」


「その人に依頼できるのかね」


「それは少し難しいな。なにしろ、俺の『敵』だからな。……アリツィヤだ」


 アリツィヤ。その名を、いまひとたび呟く。

 あの晩、すでに倒れ伏していた彼女を生かしたのは、それがキアラ・リナルディの誓約によるものだからだ。どのような経緯があって、キアラがアリツィヤの生存を願ったのかは分からない。だが、価値の有りや無しやを問う前に、なにより誓約は守られなければならなかった。

仲間の誓いだ。


(……だが、貴様でさえも、やはり「王」には歯が立たなかったということか)


 「王」とアリツィヤ。ともに完成者であるとはいえ、その能力差は歴然としているようだった。アリツィヤが弱いのではないとしたら、まさに「王」の存在そのものが破格なのだ。


 キアラの秘蹟「聖餐フード・フォー・ゴッド」によって、いまの「王」には余剰の魔力は乏しい筈だった。加えて、かれら完成者は、魔力の回復力においては、通常人に比して大きく劣る。その唯一ともいえる弱点を衝くために、為すべきことはただひとつ。


(一刻も早く、「王」を再戦に引きずり出さなければならない)


 かの者が回復しきる前に、叩く。

 そのための方策を、いまは考えるべきだった。


 言葉のとぎれたベルクートの傍らで、祐三は立ち上がりながら言った。

「……アリツィヤか。どういう経緯があったかは知らないが、彼女とは共闘できる可能性はあるのだな。……少なくとも、話が通じる相手ではありそうだ」


「冗談だろう。我々はアリツィヤの敵だ。あの女は我々に膝を折らなかった。ならば、戦って滅ぼすより他にない」


「なに、そう頑なになる必要もないさ。……そもそも、賢人会議の本部が危険視しているのは『狂王』のほうだ。アリツィヤは追手をひとりも殺していない。彼女に君のような魔術師を専従でつけることの是非を問う声も出ている」


「今更か。相変わらず、腰の定まらない組織だ」


「仕方ないさ。所詮、賢人会議は学者の寄り合い所帯だ。統制のとれた指揮をかれらに期待するほうが間違っている。だからこそ、末端ではそれなりの手を考える必要があるはずだ。……アリツィヤとの接触も、勘定に入れてみてはどうかね?」

 そう言いながら、祐三は壁際の机に近づき、そこの椅子に腰掛けて、机上の古いカメラを手に取った。レバーを巻き上げ、空シャッターを切る音が書斎に響く。


 乾いた機械音に耳を傾けながら、ベルクートは祐三の言葉について考えていた。


(アリツィヤにも、「王」と戦う理由はあるらしい。……そして、いまの我々には、「王」に対する勝利を約束できるほどの戦力はない)


 戦力という言葉は、同僚を示すものとしては少し無機的に過ぎるだろうか、とベルクートは思った。彼らの安否は、まだ確認していない。

「……ところで、ルーカとキアラの様子はどうなっている?」と、尋ねる。


 祐三は、首をすくめて答えた。

「ルーカ君のほうは、問題ない。じきに目を覚ますだろう。……だが、妹さんのほうは、芳しくないな。肉体的なダメージも大きかったが、基幹魔力に至るまで根こそぎ失われてしまっている。精神が破壊されなかっただけ、儲けものというところだ。いまも施術を行っているが、当面のところは休ませてやってくれ」


「…………」

 キアラの高い感知能力がなければ、この世界のどこかに息を潜めている「王」を見つけ出すことは困難だった。また、ルーカの絶対的な破壊力も、キアラのサポートがあって、はじめて活きる。ことに攻防一体の魔術を用いる「王」に対しては、なおのこと補助が必要だ。


(猶予も、戦力もない。情報も、いまもって乏しい)

 ならば、祐三の言に従うのもよかろう、とベルクートは思った。


 「王」が共通の敵であるならば、アリツィヤとの戦いは次の機会に預けてもよい、と思った。まず為さねばならないのは、「王」という障害物をいかに始末するか、ということだ。「王」はたしかに強敵ではあるが、かれとの戦いなど、所詮は「狩り」の範疇に属するものだ。すべてを賭しての戦いではない。真に敵手となりうるのは、やはりアリツィヤのみだった。


(――「王」に断たれた腕は疼かない。だが、けして「王」には及ばぬはずの貴様を思うと、なぜか戦いたくてたまらなくなる)


 おし黙ったまま、ベルクートはアリツィヤの姿を思い起こしていた。



 祐三は机にことりとカメラを置くと、ただ一言「慎重にな」とだけ、ベルクートに言った。

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