第9話 協力者と刺客

 深夜。

 ベルクートは、紙宮祐三の書斎にいた。


「……落ち着いた、いい部屋だ」母国語での呟きだ。


 すこし手狭ではあったが、室内の調度品はみな落ち着いたたたずまいを見せており、大きな書架に並べられた数多くの書物は、所有者の性格を現しているかのように、几帳面すぎず、大雑把すぎずに、バランスよく並べられていた。そんな空間を満たすのは、煙草と酒のゆたかな香り。


「気に入ってくれて、私も嬉しいよ」微笑みながら、祐三は言った。その言葉は、ベルクートの母国語だった。

 ベルクートの感想に気を良くしたのか、祐三は周囲を手で指し示しながら、こうつけくわえた。

「この部屋はもともと倉庫だったんだが、ご覧の通り、いまは私の第二の居場所だよ。本や酒や、集めた小道具なんかに囲まれて、一服つけるんだよ」


「俺もいつかはこういう部屋に暮らしたいものだ」


「アザト君、君はまだ若いんだ。本に囲まれての隠者暮らしを望むのは早い。身体が丈夫なうちに、様々な国を見て回るのがいいだろう」


「……そうだな。だが、『賢人会議』の指示ではなく、己の意志で世界を見て回りたいものだ。」


「……ああ、こっちに座りなさい」

 読書机の椅子に腰掛けながら、祐三はベルクートに着座を勧めた。


「…………」

 勧めに応じて、ベルクートは机の脇の椅子に腰掛ける。

 座って周囲を見渡せば、戸棚にしまわれた小物の類が目に入る。

 木彫とカメラが多い。木彫は、おもに鳥獣を模したもの。カメラは、すこし旧い距離計式のものと、比較的新しそうな一眼レフのものが、それぞれ数台ほど。カメラの棚の下には、レンズが綺麗に陳列してある。ベルクートはそれらについての詳しい知識はなかったが、よく手入れされたコレクションであることは分かった。


 穏やかな室内の空気にひたりながら、ベルクートはつい数時間前の光景を思い出していた。

 この部屋の主である祐三と、その家族とともにした、穏やかな夕食の時間だ。

 温かく、心のこもった食事を振る舞ってくれた佳枝。

 親しみをもって話しかけてくれたこより。

 およそ予想もしていなかった、だが心温まる出会いだった。


(――心温まる、か)


 しかし、今の自分は、いってみれば刺客のようなものだ。

 賢人会議の掲げる題目は『知識をもつ者の保護』。

 だが、大人しく捕縛されるような「完成者」など、いるはずもない。

 戦い、力を奪い、倒す。

 そうすることで、野に放たれて在る知識を狩り集めるのだ。

 敗北し、捕らえられた「完成者」たちの末路は、ベルクートのごとき末端の構成員には全く知らされないのが常だ。

 だが、ベルクートの知るかぎりでは、恭順した完成者などはほとんどいない筈だった。

 ……おそらくは、知識の漏出を防ぐべく「処置」されてしまう事だろう。

 そのような凶悪な運命を犠牲者にもたらすために、ベルクートはこの地に訪れた。


(俺は平和なひとときを味わうために来たのではない。……雄敵とのやりとりを楽しむために来たのではない。)

 ただ、目標たるあの女をうち倒すこと。

 それのみだ。


 自然と、表情が引き締まる。

 祐三は、そのあたりの機微を汲んでか、すこし優しげな微笑みを浮かべた。


(……年長者の余裕か)


 そうやって先回りされてしまうことに、ベルクートはわずかな困惑を覚えなくもなかったが、当面のところ、それは無視してもよいものだった。かれの目的は、ベルクートの目的に合致するものだ。

「それでは、今後はどうするべきかな?間をおかずにアリツィヤを追うのかね?」祐三が訊く。


「言うまでもないことだ。可能な限り、早く。俺の体調や魔力は……おそらく問題はない筈だ」


 問題がない、とは言い切れなかった。

 敵手の前で昏倒してしまった以上、どのような細工が我が身に施されたのか、知るよしもない。

 そのあたりの不安は、当然のように祐三にも伝わっている筈だった。


「ならば、私も協力させてもらうとしようか。わが紙宮の家には、『符』を打つ術が伝えられている。……君達の言葉でいえば、『紋章魔術』に近いものだ。それを用いて、君の心身を整えることができるはずだ」


 かれは「無謀だ」と言うかわりに、より実用的な提案をよこしてきた。


 『符』という言葉には馴染みがなかったが、おそらくは土着の魔術に用いるものだろう。が、かれがそれを例えるのに用いた『紋章魔術』に関しては知識がある。西欧のドルイド達の用いる、『環』を指すものだ。大地に一定の手順で紋章を描き、それを『力ある言葉』によって起動することで、『環』は生まれる。


「俺の肉体に、その『符』とやらを打つのか?」


「そうだ。おそらく、しばらくは君ひとりで戦うことになるだろう。そのためにも、打てる手は打っておいたほうがいい」


 祐三はそう言った。だが、その言葉にはひとつ引っかかる所がある。


「しばらく、ということは、ここに増援が来る当てでもあるのか?」

 ベルクートがそう訊くと、祐三は曖昧に頷いた。


「……ああ。君がアリツィヤに敗北したことは、決して伝えてはいない。しかし、これまでの君の成果に比して、今回の成果が芳しくないことだけは、本部も察しているようだ。それはそうだろう。『任務達成』の報告が遅れているのだからね」


「……便りがないのは悪い便り、ということか」

「そうだ。本部では、増強のための人員を選定中だと聞いたが、……おそらくは『イタリアの双子』に決まるだろう、との事だ」

 言いにくそうに、その名を祐三は言った。


「双子か。その通り名は、聞いたことがある」

 ベルクートは記憶を辿った。


 ――イタリアの双子。正確な氏名は覚えていないが、確か、ひどく若い兄妹だった筈だ。魔術師の兄と、聖句使いの妹。

 よく練られた技能と、兄妹ならではの連携によって、輝かしい成果を賢人会議にもたらす若き英才。

 彼らこそが、そう多くもない『天才』という存在のうちの二柱なのだ……とも言われる。


 祐三も、彼らについては詳しくは知らないらしく、顎に手を当てたまま首をかしげたりしている。

「賢人会議の本部は、ロシアの有力な聖句使いであるベルクート――君のことだ――が成果を出せないでいることを、思ったより重く受け止めているようだ」


「期待に添えなくて残念だ」


「……そこで、君に匹敵するほどの実力を持った魔術師を、加勢……あるいは監視・監督のために送り込んでくるのだろう。……多分、そんな所だろうな」


「俺のような未熟者には、過ぎた話だな」


 祐三の推察は、特段に奇をてらったものではない。己の能力に疑念を持たれているという可能性は、おそらく真実だろうとベルクートは思った。仕方のないことだ。だが、自身に対する評価よりも、あの謎めいた能力を持った敵手……アリツィヤと戦い、そして生還するという結果のみが重視されるべきだ。その点についていえば、今回の助勢は悪い話ではない。……しかし、かすかな苛立ちが、灰のなかの埋み火のように燃え残っている。


――アリツィヤは俺の敵だ、邪魔をするな、と。


「まあ、それは少し先の話だ。今はまず、君の心身を確かめよう。……今夜はそのための時間をくれんかね?」


 すこし躊躇したが、やがてベルクートは頷いた。


「……お願いしたい。思うに、今夜はまだアリツィヤの魔力を感知できないだろう。俺の魔力も、彼女の魔力も弱まっている。お互いの立場が同じであれば、いま最も必要なのは……回復力だ。あなたの助力があれば、次は勝てるかもしれない」

 ベルクートがそう言うと、祐三はにやりと笑って頷いた。

「それはまた、大役を仰せつかったものだ。全力で臨ませてもらうよ。よきセコンドとして、君を万全の状態でリングに上がらせてあげよう」


「よろしく頼む」

 固い面持ちで、ベルクートは頭を下げた。


 その様子を見て、祐三は、

「ああ。そうして、ことが片づいたら、あらためてこの国を見て回るといい」

 ……と、ふいに穏やかな口調で言った。


 ベルクートは、かれの顔を見上げる。

 そこには、かつて食卓で見たのと同じ、穏やかな初老の男の微笑みがあった。

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