第6話 クラスメイト
窓辺から差し込む夕日が、清掃中の教室内を泳動する埃のひとつひとつを浮かび上がらせる。
きらきらと輝く光の微粒子に包まれながら、誠は外に身を乗り出して慌ただしく黒板消しをはたき合わせていた。
ぱん、ぱん、ぱん、と、窓外に広がる校庭に軽やかな音が響き渡り、どこかから、小さく木霊する音も聞こえてくる。
「……うわ、粉だらけだ……はっくしゅっ!」
チョークの微細な粉末を鼻腔の奥に感じながら、誠は一心不乱にふたつの黒板消しを打ち合わせる。
一動作ごとに、ばた、ばたと、カラー煙幕のように粉塵が噴きあがり、そのほとんどは空へと流れていった。が、少なからぬ量の粉が、教室の奥のほうへと逆流してしまうのが困りものだ。
手を休めずに、誠は教室に入った分を確かめる。
すると、ひとりの女生徒が、今にも粉塵に包まれつつあった。
「あ、やべっ」
西日を受けて、粉はきらきらと輝く光の渦になる。その向こうに見える同い年の少女。
すこし幻想的な風景ではあるものの、その正体は、当然ながら健康に悪いチョークの粉と、掃除中の気の毒な女生徒だ。
彼女は俯きながら黙々とホウキとチリトリを動かしていたが、粉に包まれはじめてしばらくすると、
「……へ、へぷしゅっ!」
と、盛大なくしゃみをした。その後、粉の発生源を目で追い、誠の姿を認めると、じろりと睨みつけて迷惑そうにこう言った。
「ちょっと釘乃君、あんまり強くやりすぎると教室のなかに粉が逆流してくるんだけど」
彼女は『紙宮こより』という女生徒だ。
細い眉根を寄せながら、チリトリを持った手を腰にやっていた。
校則違反になるかならないかの微妙な線まで脱色された彼女の髪が、夕日を受けて光の繊維のように輝いている。制服の胸ポケットからは、可愛らしい携帯電話のマスコットストラップが覗いていた。
そんなこよりの抗議に、誠は手を止めて振り向く。
「あ、悪い! ごめん! でも急いでるんだよ。今日は寄るところがあるからさ」
「寄り道? 友達と待ち合わせでもしてるの?」
「あ、今日はそういうのじゃないんだ。ちょっと病院に寄ってこうかなって思って。……お見舞いで」
「そうなんだ。じゃあ、なかに逆流させない程度に頑張ってね」
そう言って、こよりは細面のなかの細いまなじりを、優しく緩ませた。
「うん」
こよりという女生徒は、見た目が派手なわりに、性格的にはわりあい穏やかなその感じで、誠はその点を気に入っていた。
そして、ふたりはまた分担している作業に戻る。
誠は黒板の掃除。こよりは床の掃き掃除。
そのほかにも、数名の生徒がせわしなく机を動かしたり、モップをかけたりしていた。
ときおり雑談を交わしながらの、放課後の清掃時間だ。
誠が作業をしながら他の男子生徒と喋っているときに、ふいに耳慣れない電子音が教室内に鳴り響いた。
「あ、なんかメール来た」
こよりはホウキを操る手を止め、スカートのポケットから携帯電話を取り出してメールを読み始める。彼女の手にあるそれは、自分の「懐中時計」と違い、スマートフォンと呼ばれるタイプで、可愛らしいカバーがついているせいか、手帳にもみえる。
黒板消しをはたき終えた誠は、窓を閉めて帰り支度を始めていた。すでに誠の担当箇所はすべて綺麗になっている。黒板は磨かれ、チョークの数も万全だ。
「それじゃ、俺はそろそろ帰るから……」
と、言いかけたとき。
「な、なによこれ? 信じられない!」
こよりが驚いたような声をあげた。クラス中の耳目が彼女に集中する。
「え、コヨりん、どうしたの?」
まず真っ先に女生徒が反応した。彼女は小走りにこよりに近づいて、スマホの画面を覗き込む。
しばらくのちに、かなり興味深そうな声で「へぇ~っ!」と、心から感嘆したような声をあげたので、皆に挨拶をしそこねた誠も興味を奪われずにはいられなかった。他の生徒も、ぽつぽつとこよりの元に集まり始めている。
「紙宮さん、どんな内容だったの?」
「なに? なんかあった?」
すこし遅れをとる形で、誠もまた包囲網の一角に加わり、メールの画面を見せてもらおうと身をよじった。が、そんな努力をするまでもなく、他の生徒のひとりが内容を音読してくれた。
「えーと、……こよりちゃんへ。今日の夕ご飯はチャーハンだよ。おネギをたくさん入れるからね」
「チャーハン? それってどういうこと?」と、傍らの女生徒がピントはずれな事を言う。
「いや、そこは違うだろ。で、次は?」
「えっとね、……タマゴもまぶすからね。『黄金チャーハン』に挑戦してみるからね」
「あ、それ確か前にテレビで見たやつ!」男子生徒が茶々を入れたが「そこもスルーだろ」と、別の男子生徒が間髪入れずに言った。
にわかに読み手となった女生徒は、周囲が落ち着くまで待ち、それから読み上げ始めた。
いつのまにか、こよりのスマホは彼女の手の内にあった。取り上げられた当のこよりは、いまいち納得のいかなそうな顔で、彼女の脇に黙って立っている。
「いい? 続き読むよ? ……あと、今日からホームステイの人が来るからね。今夜はいっしょにごはん食べるよ。ちなみにロシアの人だからね……だって! ロシア!」
凡庸な出だしに比べて意外な結末に、誠も思わず、へぇ、と呟いてしまった。
誠の知るかぎりでは、こよりの家のたたずまいは、お世辞にも国際的とは言えないような雰囲気だったはずだが。
こよりは女生徒からスマホを返してもらうと、カバーをぱたんと素早く閉じてポケットにおさめ、ふう……とため息をついた。
「……あーもう、またお父さんの知り合いが泊まりにきたみたい。一体全体、何を話していいのか分かんないよ~。ていうかロシア語なんて出来るわけないじゃない!」
と、いきなり頭を抱えだすこよりの周囲で、女生徒たちは、
「カッコいい人が来たら則報告してね」
「ていうか、わざわざロシアから来てくれたんだから、ロシアのおかずも出したら?」
「ロシアのおかずって何よ?」
「ボルシチとか、ピロシキとか、カルボナーラとか!」
「最後のカルボナーラだけは絶対違うと思う」
と、勝手な盛り上がりを見せていた。
もちろん誠にも、こういう場合の解答などは分からなかった。ただ、こよりの話しぶりから察するに、わりあい頻繁に外国からの客人が訪れているらしいことだけは分かった。
(そういえば、うちに外国からのお客が来たことって一回もないな。……って、のんきに話を聞いてる場合じゃないか)
と、誠は現在進行形の、「自分にとっての国際交流」を思い出した。
そう。あの……異国の女性。
朝に出会った彼女を、誠はその足で近くの個人病院に預けたのだ。
その後、彼女がどうなったのかを知りたかった。
……通りすがりの、ただ「助けた」という縁だけしかない希薄なつながりだ。
だけど、……なぜか、彼女の行く末が気になって仕方がなかった。
(俺って……もしかして、けっこう惚れっぽいのかな)
苦しんでいる女性の貌に一目惚れ……などというと、まるで困った趣味の人のようだ。だが、そうであることを否定する材料がないのが問題だ。
誠は、「こよりの家に来る美青年を虜にするにはどうすればいいか?」という謎の議論を戦わせ始めた女生徒集団から離れ、教室から駆け出そうとした。
もちろん誠にも、ロシアからの客が美青年であるかどうかは分からない。そもそも男性であるのかどうかすら怪しいのだが。
掃除道具を片づけて、通学カバンを掴みながら教室を出る。
そんな誠に、ただ一人こよりだけが「じゃあね!」と、声をかけた。
「ああ、また明日!」
誠は駆け出した。
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