関ヶ原町子の髪色は

冬野氷空

密室/下着泥棒

開幕

 状況は既に開始されている。そして僕は今、その状況の中心に限りなく近いところにいる。決して遅すぎる実感ではなかったと思うのだけれど、しかし如何せん、巻き込まれた事態の展開が早すぎた。


 僕の周囲を取り囲むのは女子、女子、女子――およそ十名弱の制服姿、体操服姿、あるいはスクール水着姿の女子生徒だ。だがここで勘違いしてもらっては困るのは、そこは決して男子が一度は夢見るような桃源郷ではないということだ。現在進行形で僕に向けられている彼女たちの眼差しは侮蔑と軽蔑に満ちたもので、まるで鋭利な刃物のように冷たく突き立てられている。


 さらにもう少しだけ情報を付け足すとすると、ここは県内でも有数のお嬢様学校(白羽しらはね女学園という)の、それも水泳部が使用している部室兼更衣室。なぜごく普通のありふれた男子高校生の、それも他校の人間である僕がここにいるのかというとそれは簡単なことで、僕がちょっとした不幸体質だったからに他ならない。


 そもそもなぜ男子高校生の僕が女子高などというよほど縁のない所に足を踏み入れているのか。それは部活動の一環――高校の垣根を超えた交流会が目的だった。


 交流会が始まって三十分ほど経過した頃だろうか、僕はトイレに立った。が、これが不幸の始まりとなったのだ。


 改めて考えれば至極明白なのだが、初めて入る女子高で外部の人間が使うことができる男子トイレを探すのはかなり手がかかる――当然のことながら僕も迷子になったのだが……いや、迷子だけならここまで酷い危機的状況にはならなかったはずだ。問題はむしろここからだった。学園内を彷徨っている間に偶然通りかかったのが更衣室の前で、さらに間の悪いことに丁度そのタイミングで扉が開かれたのだ。


 中から現れたのは制服姿でショートカットの快活そうな女子生徒。お嬢様学校に通う生徒としてはややイメージとは異なるが(というより、僕たち男子の勝手な偏見と妄想が混じっているかもしれない)、しかし何よりも気になったのは、彼女がさながら鬼の形相をしていたというところだ。


「ええと……」


 弁明しなければ――と思った。いや、別に悪いことをしているわけではない。だが女子高の校内を他校の男子生徒が一人で徘徊しているというのは、あまりに外聞が悪いだろう。


「部活動の一環で交流会を、」


 と早口で言いかけたのも束の間、女子生徒はがっと僕の腕を掴むと、鬼の形相のまま、そして鬼の首でも獲ったかのように、高らかに怒声を上げた。


「コイツよ! コイツが下着泥棒だわ!」


 そこから先の展開はご想像の通りである。僕の両腕両足はあっという間に拘束され、床に転がされる――という現状に繋がるわけだ。


 僕の頬を汗が一筋流れ落ちた。それは白羽女学園の前に伸びる急な坂道を登ってきた疲労や、あるいは縁遠かった女子高へ初めて足を踏み入れた緊張によるものでは決してない。無論、トイレを我慢していたからというのでもない。単純に今自分が置かれている極限までの不利的状況が、僕の内心に留まるに収まらず、生理的な動揺として表面に出ているに違いなかった。


 あらかじめ明示しておきたいのだが、僕の腕を捕らえた女子生徒が口にしたという言葉に、僕は一切心当たりがない。僕が犯人であるということもなければ、何か重要な手がかりを握っているということもない。すなわち、僕が今こうして拘束されているのは全くの間違いであり、実に理不尽極まりないことだった。


 デタラメに、しかし厳重すぎるほど厳重に、ロープやらガムテープやらで拘束された手足。しかも拘束される過程で加えられた拳や蹴りによるダメージは未だにヒシヒシと全身に残っている。


 しかしまあ、ダメージで言うと肉体よりも精神の方が深刻かもしれない。というのも、


「いい加減観念して白状しなさいよ!」

「マジサイテー。本当にキモイんですけど」

「誰か―、先生呼んできてー」


 と、先程から冷たい視線だけでなく、ありとあらゆる罵詈雑言が僕に向けられているからだ。いや、罵声だけならまだ大丈夫かもしれないけれど、流石に教師や警察を呼ばれては流石に一大事だ。いくら僕が清廉潔白の身であったとしても、このまま話の流れで犯人にされかねない。もう少し落ち着いてから弁明しようかとも思ったけれど、それでは手遅れになってしまうかもしれない。


 現に僕は、つい数日前にも似たような窮地に陥り、そして同じような話の流れになった。どうにも僕には犯人に決めつけられるという宿命が与えられているようにしか思えない。無論、その時も紛れもない冤罪であったのだが……と、そこまで考えた時に、僕の脳裏にはっと、とある一人の女性が浮かんだ。


「ちょっ……! その前に!」


 脳裏に浮かんだ女性――窮地を救ってくれた彼女。その存在に再度頼るべく、僕を身をよじりながら、必死に声を絞り出す。


「弁護士を……知り合いの弁護士を呼ばせてください!」

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