0章 旅立ちの時

0-1 訃報

 ニビディア王国内の小さな町。ここにある小さな寺院では、1人の高名なクレリックが司祭をしていた。

 ボルド=ラングレー。かつての大戦で戦い、5英雄の1人として名を連ねた、まさにその人である。大戦後は王国魔法師団長を引退し、ここで司祭として静かに暮らしていた。町の人々も温厚な彼を慕い、よくこの寺院に訪れていた。

 が、近年、病に冒され町の人も心配し見舞いに訪れるなどしていたのだが、その甲斐空しく、他界した。

 人々は英雄の死を悲しみ、町全体が静まり返ってしまうほどだった。それほどまでにボルドはこの町で慕われていたのであろう。

葬儀はしめやかに行われ、彼の墓標は町を一望できる寺院の裏手にある小高い丘に建てられた。

 かつての大戦から12年、あまりにも早すぎる英雄の死であった。


 ボルドの突然の死の報せは、静寂の森へも届けられた。ここにはボルドと共に戦い、同じく5英雄の1人に数えられているハイエルフ、エルサイス=フリードリヒが森の王となってエルフ族を束ねている。

「そうか……。ここしばらく体調が芳しくないと聞いていたが、こんなに早く世を去るとは。彼とはよく酒を飲み交わしたものだった。よき友を失ってしまった」

数百年を生きるエルフ族にとっては、ヒトの生涯は映画のひとコマのように感じるかもしれない。が、そのひとコマがエルサイスにとって鮮明な記憶として残る名シーンだったからこそ、彼の死はとても重いものとして受け止められた。

エルサイスは静かに左手をかざし、手のひらにフッと息を吹きかけた。すると手のひらの上に3人の小さな妖精が舞い降りてきた。

「風の精霊シルフたちよ。友の死の報せを我が悲しみと共に、他の友へ報せに飛んでくれまいか? 死した友の名はボルド=ラングレー。我が想いを伝える友は、エイブラ=ハーン、ヨーゼフ=ラスター、そしてアステリオル=ジークフリード」

 エルサイスの頼みに頷いたシルフたちは、小さな羽根をパタパタとはためかせ、方々に飛び立っていった。


 ニビディア王国首都、グラビグラド。かつての大戦の傷跡から見事に復興を遂げ、今ではすっかり往時の賑わいを取り戻している。

 街は活気に溢れ、行き交う人々の表情にも笑顔が戻ってきていた。そんな活気溢れるグラビグラドの街の片隅にある屋敷で、1人の英雄が暮らしている。

 エイブラ=ハーン。大戦前は王国近衛騎士団長を務め、その統率力と武勇から、5人の特務隊の隊長に抜擢された、いわゆる5英雄の筆頭であり、『炎帝』の称号を有する、その人である。大戦後は引き続き近衛騎士団長を務めていたが昨年辞任、今は1人息子と共に悠々自適の生活をしている。

 そんなエイブラの元に1人の妖精が舞い込んできたのは、ちょうど息子との稽古を終え、朝食の卓についたその時だった。

 訃報の報せを受けたエイブラは、あまりに唐突な出来事に思わず手にしていたナイフを落としてしまった。

「……父さん?」

 怪訝そうな表情で息子、ロイ=ハーンは父を見つめている。

「いや、何でもない。さ、飯にしよう」

 そう言うとエイブラは落としたナイフを拾い上げ、静かに食事を始めた。

(ボルド……貴君のお陰でワシ等はあの戦いを生き残る事ができた。まこと良き友であった。そう言えば貴君はクレリックの戒律を守らないで酒を飲んでいたな)

 小さく苦笑いをしたエイブラは、傍らにある酒を注ぎ、グラスを高々と掲げると一気に飲み干した。

「シルフよ、報せてくれた事に感謝すると、そなたの主(あるじ)エルサイスに伝えてくれ」

 エイブラの言葉にシルフは微笑んで応えた。去り際、シルフはエイブラの耳元にそっと囁くようにひと言、

「気をつけてね」

と言い残し、飛び去って行った。エイブラにはその言葉の真意がまるで見当もつかなかったが、ただ、妙な感覚だけが残っていた。


 ここはかつてアシュタルト王国領だった村。12年前に起きたシュバルツ=オイゲンの叛乱により壊滅させられ、今ではすっかり放置されたままとなっている。

 ここだけでなく、アシュタルト王国はその悉くを焼き尽くされ、かつての栄華は見る影すらない。

 この村の裏には人々の行く手を阻むかのように切り立った山々が聳えている。そこは同時に行き場を失った人々やモンスターが群れを成す、言わば荒くれ者どもの巣窟でもあった。

 今、このモンスターの巣窟の1つにおいて、数名で構成されたパーティが戦いをしている最中だった。

「かぁ~! すっかり囲まれちまったぜ。どうします?」

「強行突破する! ヒスタインは後方を、ロックエッジとブルーノは左右、前衛は私が務める。アウレリア、私のそばから離れるなよ」

 男はそう言うと見事な装飾の施されたロングソードを構え、呼吸を整えた。アウレリアと呼ばれた少女は小さく頷いた。

「行くぞ!」

「っしゃぁ~! 皆殺しにしてやる!」

 四方を囲まれたパーティは、迫りくるモンスターを次から次へと倒していくが、どこから湧いて出てきているのか、モンスターの数もまた多い。

「ちぃっ、これじゃきりがねぇ! 行っくぞぉ~! 怒れ大地の神ガイア! 我が敵を踏み潰せ! タイタンフット!」

 ロックエッジが呪文を唱えると、突如空から巨大な足が現れ、眼前のモンスターを一気に踏み潰してしまった。

「おっとぉ~。 強烈な呪文だことで。これは私も負けてられないな! 水の精霊ウィンディーネよ、氷の矢を放て! アイスアロー!」

 ブルーノは呪文の詠唱と同時に腕を真横に振る。するとその先から鋭く尖った氷の矢が数本放たれ、目の前のモンスターを次々に貫いていく。

「俺っちもここで実力を認めてもらわねーとな! 火の精霊サラマンダーよ! 炎の渦となり敵を薙ぎ払え! ファイヤーストーム!」

 ヒスタインが呪文を唱えると、現れたサラマンダーが激しい咆哮をあげ、口から炎を吹き出した。その炎は渦となり、敵を呑み込んでいく。

 3人はそれぞれに呪文攻撃をした後、残った敵を掃討すべく剣を振るった。彼らの戦いぶりに安心したのか、前衛の男は華麗な身のこなしでロングソードを振るい、次々にモンスターを倒していった。

 強行突破の甲斐あって、周囲のモンスターを一掃したパーティはホッと胸を撫で下ろしつつ、しばしの休息をとることにした。

「相変わらず強引な戦い方だな。だが、魔法剣士であるお前たちのお陰でこうして切り抜けることができた」

「まっ、結果オーライって事で」

 ヒスタインは大きな声で笑い飛ばした。他の2人もそれにつられるようにして笑い出した。

 このパーティをまとめていた男もまた、5英雄の1人に数えられている人物であり、『剣皇』の称号を持つアステリオル=ジークフリードその人である。

 大戦後は1人消息を絶ち、行方不明となっていたが、今こうして仲間と共に旅をしている時である。

 ひと息入れている彼の元に、1人の妖精が舞い降りてきた。アステリオルは静かにその報せに耳を傾けていた。

「そうか……ボルドが。あの時から病に冒されていたからな。いずれは皆と再会をしたいと思っていたのだが、残念だ」

「アステリオル様、どうかしましたか?」

 傍らにいたアウレリアがアステリオルの曇った表情に気付き、聴いてきた。アステリオルは小さく首を振ると、静かに応えた。

「いや、私の古い友人の1人が亡くなったと報せが届いてな。ちょっと想いに耽っていた。シルフよ、礼を言う。エルサイスによろしく伝えてくれ」

 と言ったものの、肩に乗ったシルフは飛び立とうとはせず、じっとアステリオルを見つめていた。

「ン? どうかしたのか?」

「……気をつけて。どうか心を強く持ってね」

「?? 一体何の事だ?」

 その問いには何も答えることなく、一陣の風となって消えていった。


 ニビディア王国にある小さな村の外れ。そこでは今、2人の男が剣を振っていた。

「はぁぁぁ~!」

「まだまだ甘いぞ! そら!」

 男……というより少年の鋭い斬撃をいとも容易く受け流すと、背後から肩口に剣を打ち込んだ。どうやらこの2人は稽古をしているようだ。

「痛ってぇ~。 もうちょっと加減してくれよなぁ、ったく」

「これでもかなり加減しているつもりだぞ?」

 そう言うと軽く笑いながら剣を鞘に納め、置いてあった水筒からグビグビと水を飲んだ。

「あ~っ! 父さんそれ俺の水筒だってば!」

「あ、そうだったか? ハハハ!」

 男は大きな声で笑い飛ばした。この男もまた、かつての大戦での功績を讃えられ、5英雄の1人に数えられている、ヨーゼフ=ラスターである。飛燕一刀流と名付けた我流剣法の達人で、以前は王国近衛騎士団第1師団長を務めていたが、大戦後は若者の剣術師範を務めた後引退、現在はこうして小さな村の外れて1人息子のシオンとともにのんびりとした時間を過ごしながら剣の手ほどきをしている。

 今はちょうどシオンに稽古をつけ、しばし休息をしようとしていたまさにその時だった。彼の元に1人の妖精が飛んできた。

 ヨーゼフの肩にチョンと座った妖精……シルフからの伝言を聞いた彼は、言葉を失ったようにしばし無言だった。

「父さん、どうかしたの?」

 怪訝そうな表情で聞いてくるシオンに、ヨーゼフは小さく首を振った。

「いや、古い仲間が死んだとの報せが届いたんでな。今日はもうこれくらいにしよう。家に帰るぞ」

 ヨーゼフはゆっくりと立ち上がると、帰路についた。シオンはそれ以上何も言わず、父の後を追うようにして歩き始めた。

「シルフよ、わざわざ伝えてくれた事に礼を言う。あいつにもよろしく伝えておいてくれ」

 シルフは頷くと羽根を羽ばたかせ、ヨーゼフの元から姿を消していった。その去り際、耳元で小さく、

「……気をつけてね」

 と、だけ言い残して。

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