努力と才能の話をしよう

ンシン

努力と才能の話をしよう

の話をしよう」

「……は?」


あまりに唐突な先生の言葉に、僕は間の抜けた返事しかできなかった。

早弁して駆けつけた昼休みの校舎裏。

新入生らしくピカピカの制服を着た僕の前には、袖の余る白衣を着て空を仰ぐ若き天才がいる。

……いや、なんだよその素敵ポーズ。


「『は?』ではないよ。君が私を訪ねたのだろう? 君の欲が尋ねたのだろう?」



「――『努力と才能はどちらが優れているのか?』と」



「そうです、けど……」


相変わらず見透かしたような人だ。

若き天才――は、人のものとは思えない鋭い三白、いや、四白眼を僕に向けて話す。


「ははっ! まあ相談相手として私を選んだ君の判断は正しい! 幼少から必死に続けてきた競技にボッチの親友を強引に誘ったはいいが、『あっ』と言う間もなく追い抜かれた君にしては、実に素晴らしい判断さ!」

「僕はすでに後悔してますよ、先生に相談したこと……」


僕は肩を落として答える。

相談相手を間違えただろうか?

でも、友達の少ない僕には他にこんな話を相談できる相手もいないし……先生なら僕のに対する何らかの答えを持っている気がするから。


「ふむ。時に君は努力と才能が何かを理解しているかい?」

「え? 何ってそりゃ、努力は……頑張ること? 才能は……う、生まれ持った何か……かな?」

「素晴らしい! 何ともふわっとした砂糖菓子のような答えだ!」

「うぐっ」


先生がその四白眼を僕に近づけて称賛する。

いや、怖いって。

全然称賛でもないし。


「君はその程度の認識で『努力も続ければ才能に勝てる!』だとか、『才能の差は決して覆せない!』なぁんて言葉を鵜呑みにしたり、あまつさえ口にしてきたのだろう!?」

「~~っ」


図星を突かれて言葉に詰まる。

たしかに、自分もそんな誰かの受け売りを本気にするのはどうかと思う。

でも、たいていの人の認識なんてそんなものだろ?

才能のないものが得意げに才能を語るのは、奇妙な気はするけど……。


「そう……ですね。所謂の先生には、おかしく聞こえるでしょうね」

「ふむ?」


先生は世間で並ぶものなしと謳われる天才だ。

そもそも、こんな普通の高校にいることがおかしい。

天才ゆえの気まぐれかな?


「一つ訂正しようか。メディアが呼ぶ私の『天才』とはね、『努力も才能も一切関係ないもの』だよ」

「……どういうことですか?」


天才とは才能に恵まれた者のことじゃないのか?

それこそ、努力と対極に位置するような、天賦の才を持つ者の称号では?


「簡単なものさ。費やしてきた年月に対し、成した偉業が大きければ、それでメディアは天才と囃し立てる」

「えと、完全な成果主義……ということですか?」

「むしろ重要なのは費やした見かけ上の年月さ」


先生は白衣を翻し僕の問いに答える。

絶対たなびく白衣が格好良くて着ているだけだ。

くそ、格好いいと思ってしまったことが悔しい。


「私のように若ければ、実際は十数年かけた泥臭い結晶だろうと天才と謳われる。仮に同じ偉業を五十歳の時に五年で達成しても、メディアは私を天才とは呼ばないよ」

「はぁ」


若くして天才、ではなく、若いから天才なのか。

たしかに、新聞やネットで見る天才の記事は若い人ばかりだ。

彼らも幼少の頃からみっちりその道に十数年は費やしているだろうに。

……それでも、先生の偉業は常人が百年かけても達成できないと思うけど。

いや、そのレベルなら過去の偉人みたいにおじさんでも天才として名を残すのか。


「……あれ? これは努力と才能の話と関係ないんですよね?」

「ん? ああ、私はお喋り好きでね。努力と才能のどちらが優れているか、という話だったね」

「そうです」

「時に君は世の中に言葉が足りな過ぎると思わないかい?」

「……話を戻す流れでしたよね」


先生は言葉が多すぎるんじゃないですか?

主に余計な一言が。


「別に君を相手に愛を語るつもりなんてないから安心してくれたまえ」

「はぁ。……まあ結構充実していると思いますよ? 特に困った覚えはないです」

「『YE』だ」

「はい?」


今なんて?


「『YESはい』じゃない、『YE』だよ。五十音なら『ゆ』と『よ』の間だ」

「『ゆ』と『よ』の間は『え』でしょう?」


五十音の表など最近見た覚えはないけど、それくらいは覚えている。

や行は『や・い・ゆ・え・よ』だ。

『ゐ』とか『ゑ』も見た気がするけど。


「昔はあったんだよ。発音も自然にできると思うんだがね」

「……いぇ……。ゆぇ……Ye」


口に出してみれば、まあ、発音できている気がする。

『イェーイ』って叫ぶアレかな?


「って、いや何の話ですかこれ?」

「努力と才能を比べるには言葉が足りないという話だよ」

「もう忘れられたかと……」


横道に逸れていたと思ったら本題が進んでいた。

僕は一つ息を吐いて仕切り直す。

先生に合わせていると思うように話が進まない。


「それで、どういう意味ですか?」

「ふふ、ピンクマークだらけの君の脳内辞典を私の言葉で塗り替えたまえ! あまりにも曖昧な君の『努力』と『才能』を私がこう定義してあげよう!」

「……」

「『』とは『』であり、『』とは『』だ」


……ん?

えーと、つまり……。


「努力はで、才能は……だから、比べにくいということですか?」

「……ほぅ、驚いたよ」

「もしかして馬鹿にされてます?」

「するまでもないと思っていたよ」

「……」


出来の悪い生徒が予想以上に話についてきてくれたことが嬉しいのか、先生は愉快そうに口元を歪めた。

四白眼に加え、口裂け女のような大きな口が妙な迫力を出す。


「君の言う通り。そして比較するなら同じ次元で話をするべきだ。適切な言葉ではないが、存在しないものは仕方ない。ここではによって得られたものをに至る行動をと呼ぼう」

「『努力』と『成果』。『習慣』と『才能』……ですか」


う~ん、たしかに既存の言葉には思い当たるものがない。

ならば既存の言葉で代用するより、いっそ造語で話す方が簡単かもしれないが、そんなセンスを先生に期待するのは間違いだ。

混乱しそうだけど、今は『成果』・『習慣』と仮の名で話を進めよう。


「関係性は分かりました……けど、それぞれが何なのかイマイチ分かりません」

「ふむ、君は去年の学内マラソンで陸上部を抑えて優勝した、写真部A君を覚えているかい?」


また突然話が変わった……わけではないか。

例え話か?


「覚えていますよ。印象的だったし、圧倒的でした」

「では問おう。彼は成果と才能のどちらで優勝したと思う?」

「どちらで……」


目的のための有意識行動により得られるものが成果。

無意識行動により得られたものが才能。

となれば……。


「才能ですか? 陸上部は大会に向けて練習していたけど、写真部A君はマラソンの練習なんてしていなかった。A君の才能が陸上部の努力の成果を上回った?」

「まるで君と、君の親友のように?」

「……」


心をえぐるような笑顔を向ける先生。

あいつを誘って間もなく、僕はあいつに負けた。

勝負前に本気でこいと煽っていた僕に向けられた、あいつの申し訳なさそうな目は……今も忘れられない。


「まあ、先生に優しさなんて求めていませんよ」

「重畳。ちなみにA君は毎日この市内を端から端まで走り回っているそうだ」

「え?」


市の端って、マラソン大会の距離どころじゃ……。


「つまり、A君も陰で努力していた? 才能ではなく努力……成果によって優勝したってことですか?」

「ところがA君の優勝コメントだ。君も覚えているんじゃないかい?」

「……」


ええ、覚えていますよ、一言一句。

A君は写真部の後輩にインタビューされ、陸上部の鋭い視線にも気付かず、こう言った。


『特別な努力? え、そんなものした覚えないよ?』


「……いますよね。努力を隠して余裕ぶるやつ」

「いるね。別に誰かさんみたいに、とは言わないけれど」

「……」

「しかしA君は嘘を吐いているつもりはないよ」

「は?」


何故分かるのか、なんて先生には無駄な質問だ。

この人が読心術や超能力を使えたところで驚きやしない。

でも、嘘を吐いていない?

だって、A君は毎日走り回って……。


「彼は昔から写真部として、多くのネタを探すために毎日市内中を走り回っていた。時に市外にも足を延ばしてね。日課となった今の彼には頑張るという意識すらないだろうね」


ちなみに彼は自転車に乗れないそうだよ、なんて先生のおまけ情報は耳を素通りし、僕の思考は別のところにあった。


「それはつまり、無意識の行動……『習慣』ですか? そして習慣を重ねるうちに気付かず手に入れたスタミナという『才能』で学内マラソンを優勝した?」

「そうだね」


マラソンに必要なのがスタミナだけかは知らないが、と先生は付け足す。

まあ、ペース配分とかもあるだろうけど、僕も詳しくない。


「彼の才能が、陸上部の部活動という努力の成果を総合的に上回った」

「……」


ああ……なんだ。

やっぱり、そうなのか。

結局……。


「才能は成果……努力に勝る……か……」


瞳の奥が熱くなる。

自然とうつむきかけた僕に、先生はまた無遠慮に距離を詰めた。

のけぞるように僕はまた上を向く。

こぼれかけた涙が瞳にとどまる。


「おや。一を聞いて十を知るとは言うが、二から九をてきとうな答えで埋めて全て知った気になられても困るよ」

「そう……ですね。すいません……続きを話してください」


今一度姿勢を正し先生にお願いする。

顔の怖さを除けば、なんだかんだいい先生だ。


「あ~喉が渇いたな~。喋りっぱなしだからね~。誰か心優しい生徒が飲み物を恵んでくれないだろうか~」


わざとらしい態度でちらちらとこちらを見る先生。

訂正しよう。

性格の悪さも除けば、いい先生だと思う。



  ◇   ◇   ◇      



「ふぅ……、さて? 何の話だったかな?」


僕が買ってきた缶ジュースを飲みながら、先生が尋ねてくる。

忘れているわけもないだろうに。

僕も自分のジュースを飲みながら答える。


「努力は才能に勝てるのかっていう話ですよ」

「おや? いつの間にか努力サイドを応援しているね」

「……もう、そういうのはいいですから」


所詮、僕は努力側の人間だから。

その他大勢の凡才だ。

それでも、才能ってやつには勝ちたいじゃないか。


「ふむ。努力にも才能の源となる習慣にも面白い特徴がある。先にそちらを話そうか」

「何ですか、それは?」

「おっとそういえば、写真部のA君は別に努力をしていないわけではないよ」

「…………もうここまで来たら、どれだけ話が逸れようが付いていきますよ。彼は習慣によるスタミナという才能で優勝したんじゃないんですか?」

「言っただろう、『ネタ探しのため』だと。彼は『市内を走り回る』という『努力』で、『多くのネタ』という『成果』を手にしていた。まあすでにその意識も薄れ、『走り回る』ことは『習慣』に、スタミナも『多くのネタ』も『才能』の一つになっているけどね」

「ん?」


あれ?

それは、なんだ、つまり……。


「努力と習慣は表裏一体ってことですか?」

「意識の有無の差だからね。無意識を意識できなければ、他人どころか本人さえどちらか分からないさ」


なるほど、同じ行動でも努力にも習慣にもなりうるのか。

だが、話に納得する一方でふと、常に無気力なあいつのことが頭によぎった。


「ところで、君の親友は努力家だったかな?」

「分かっていて聞いていますよね……。あいつは――」


そうだ、あいつは……。


「努力や習慣どころか、やつですよ」

「そうだろうね。本人の意思はどうあれ、傍目に努力と映るような習慣があるなら、君も相談には来なかっただろう」

「あいつとはガキの頃からの付き合いです。だけどあいつを見ていると、『習慣』による『才能』というより、先生の話を否定するような、『生まれ持った才能』があるとしか思えないんです」

「『生まれる』という習慣で得られる才能なんて、環境と種族性別くらいさ。誰だって他のものは基本的にその後の努力か習慣で手に入れるし、時に生まれの才能すら努力で変えられる」


先生は諭すように言い聞かせる。

たしかに、環境も性別も後天的に変えられるだろう。


「それでも、あいつは――」

だ」

「……え?」

「君の親友が十年、君が十ヶ月。てきとうだがそれが、君たちが競技に必要な能力を磨いた時間だ」

「なっ!?」

「その競技に必要な能力が何かは知らないが、細分化していけば日常で鍛えられるものはある。競技に必要な才能は競技の練習以外でも得られるからね」


あいつが、十年? 

何のことだ?

いや、そんなことより!


「十ヶ月じゃない! 僕だって十年間必死に――!」

「では二年だ」

「はぁ!?」

「熱心だね? 一日の五分の一を十年間毎日、その競技に捧げ続けているのかい?」

「~~っ」


先生の言葉に何も言い返せなかった。

悔しさに震える拳を握り込み、空き缶が軽くへこむ。

僕は必死にやっているつもりだ。

でも、たしかに、それでも……。


「あいつが……十年というのは?」

「ふふ、誇りたまえ。私は君の親友ほど才溢れる者はいないと思ったよ」

「他人や過去を誇るほど、僕は枯れていません」

「青いね、素晴らしい」


先生は静かに笑い、話を続けた。


「十年とは、君の親友がその競技に関する習慣を続けているであろう時間だよ」

「……どんな習慣を?」


あいつが何か特別なことを続けているなんて聞いたことがない。

逆に何をしていれば、あいつの化け物じみた能力に見合うのだろうか?

ともすれば、僕もあいつみたいに……。

そんな僕の浅い考えを嘲笑うかのように、先生の答えはあっさりしたものだった。



さ」



「ありとあらゆる?」

「誰でも針に糸を通す時は神経を研ぎ澄まし、初デートでは様々な思考を巡らせ、ライバルの前では張り裂けそうなほど力を振り絞る。しかし彼は、その水準を一秒たりとも下回ることなく日常としている。としている」

「……」

「かつては、かくあるべしといった努力だったかもしれないけどね。今は何の気負いも感じられない。一例だが、君は彼の足音を聞いたことがあるかい?」

「……本当……に?」

「努力家たる君なら、最近いつ全力を出したか答えられるだろうが、おそらく彼は全力を出していないときの記憶などないだろうね」

「そ、それを十年……絶えず?」


ありえない。

いや、確かに妙に姿勢が良かったり、字がきれいな奴だとは思っていたけど。

だけど、それを……十年?

 

「そこが『習慣』の面白いところだ。有意識の努力と違い、無意識の習慣は絶え間なく続く。それこそ意識して『努力』している時間を除いてね」

「……」

じゃないか」

「な、何が?」


うつむき、言葉をなくす僕に先生はそんな言葉を投げかけた。

今の言葉のどこに、僕が喜ぶ要素があったんだよ。


「『負ける理由が欲しかった』」

「っ!?」

「『今まで必死に頑張ってきた。だけど、あっさりと負けた。……何故だ!? 何の苦労も知らないやつが、生まれついての才能だけで凡人を嘲笑うのか!? 所詮努力じゃ才能には敵わないのか!?』と、いうのが相談に来た君の胸中だろう?」

「……っ」

「だから、よかったじゃないか。努力だとか口にするだけのやつより、いわゆる才能にあふれたやつらは君の何倍もの時間を費やしているんだ。さあ、ほら――」



負けるに足る理由いいわけはできただろう?」



「ちが……」

「せっかくだ。世に才人として名を刻み、君の友でもある私の口から聞かせてあげよう。何だったかな? ああ、努力と才能かい? くだらない質問だ。当然、より優れているのは――」

「ちがう!」


ちがうちがうちがう!


「何が違うんだい? 何を否定したい? 努力か? 習慣か? 成果か? 才能か?」

「……は……ない」

「ん?」

「負けるつもりは、ない!」


気づけば涙が浮かんでいた。

子供みたいだ、と自分ながら格好悪く思う。

でも、もう止まらない。

感情も涙も、溢れ出したらもう、止まらないものだ。


「……ふむ」

「たとえ僕に才能がなくても! たとえ、努力より才能が優れているとしても!」


たとえ世界中で僕に一番才能がなかろうと。

たとえあいつが、世界一才能に恵まれたやつだとしても。


「それは、負ける理由には……諦める理由にはならない!」

「……ふむ」


全力で先生の四白眼を睨み返す。

気のせいでなければ、先生の口角が少し緩んだ気がした。

そして口を開いた先生は、またも話題をごろりと転がす。


「少年ジャ○プは好きかい?」

「……は?」

「『友情・努力・勝利』を掲げた漫画雑誌の金字塔だよ、知らないかい?」

「え、や、知って……ます、けど?」


話が飛び過ぎ……でもないのか?

努力が入っている……そんなテーマは知らなかったけど。

最近のジャ○プにそんな要素ないし……。


「ならば言わせてもらおう。君は素晴らしい才能を持っている!」

「え? ジャ○プの話は? 努力は?」

「それはね――」


先生が詐欺師も腰を抜かすほどの優しい笑みを浮かべる。

いや、そんな温和な笑顔できたんですか。


「――私という、友人さ」

「……」


…………。


「ここで夕日を背景に感動にむせび泣く君が見れると思ったんだが……?」

「ちょっと……読んでる世代のノリが……」


ジェネレーションギャップ。

二十歳前後にしか見えない顔して、何歳なんだこの人。


「そもそも私は努力より才能が優れていると言った覚えはないよ」

「……へ?」


またいきなり話題が戻る。

いや、それは僕が言葉を遮ったからじゃ……。

言葉に詰まるうちに先生はさらりと次に話を進めてしまう。


「君、それをここからあの屑籠に投げ入れられるかい?」

「え、まあ、たぶん」


先生は僕の手にある空き缶を指差し、視線で十メートル先の缶用の屑籠を示した。

屑籠は円柱型で上面全体が口となっているタイプだ。

そう大した距離でもないし、たぶん外さないだろう。

缶の山が飛び出すほど積みあがっているのが少し気になるけど。


「ほっ」


僕の投げた缶は緩やかな放物線を描き、屑籠の他の缶にぶつかる。

二、三度跳ねた後、見事に屑籠の中に転がり込んだ。


「よし、入りました」

「どこを狙った?」

「どこって……。ちゃんと缶用の屑籠を――」

「どんな軌跡を狙い、どのタイミングで缶から手を離した? 到達までの缶の回転数と角度は? 全て狙い通りの結果だったかな?」

「……」


突然の先生の質問攻めで、僕は缶投げの意図に気付く。


「あいつなら、全て考えて投げた、と?」

「さあ? だが少なくとも他の缶に弾かれにくいように、缶の山を外して狙うだろうね。もちろん無意識のうちに、『習慣』として」

「缶ひとつ投げるだけで? ……いえ、だからこその十年、か」


こんな簡単なこと一つに、あいつとの差があることに気付かされる。

そしてそれは、約十年分積み重なっている、と。


「そうさ。君が努力により成果を積む間も積まない間も、君の親友は当たり前の習慣により才能を育くみ続けた。『費やせる時間』こそが習慣の面白い特徴だね」


ああ、努力と習慣は面白い性質があるって言っていたな。

もう忘れかけていた。


「ん? でも――」

「正解」

「まだ何も言ってませんよ」

「正解だよ。君は缶を屑籠に投げ入れるという『成果』のため、腕を振り、缶を投げるという『努力』をした。それは同時にあるタイミングで缶を離し、回転をかけ、軌跡を描くという無意識の行動……『習慣』を行っている」

「そうですよね。努力ではない行動を習慣とするなら、僕もあいつと大差ない時間を習慣に費やしているはずです」


努力していた十ヶ月分を除けば、約九年はあいつと同じ習慣で過ごしていたことになる。

正直な話、競技に参加していた時以外、僕は大体あいつと一緒に過ごしていた。

だから二人の行動パターンは似たり寄ったりだ。

それなのに……。


「僕とあいつの習慣の何が違うんですか?」

「一言で表すならば……さ」

「よ、欲、ですか?」

「そう。そしてそれは同じ行動・習慣を重ねた二人の差でもある。時間的優位はあるが努力と習慣自体に大した優劣はないさ。問題は意識の有無ではなく『欲』にある」


えと、つまり……。


「さて、君は努力の定義を覚えているかな?」

「え、あ、はい。たしか……『有意識行動』ですか?」

「『目的のための』ね。同じ行動でもその『狙い』は確実に異なる。缶を投げ入れるだけでもただ『入れる』だけか、それ以上を望むか、ね」

「意識する……あるいは、無意識に定める目的の差……ですか?」

「そうだ。優秀な者ほど、よりミクロな行動単位でより高度な目標を定めている。その積み重ねこそ君がかつて『才能』と名付けていたものの正体だよ」


ではなく、できていた差。

先生は両手を広げ楽しそうに続ける。


「君の親友は足運び、立ち振る舞い、呼吸や脈拍の操作等々……無意識ながら常に非常に高い水準を課して生活をしている。上質且つ長大な習慣、天才という言葉が才能に優れた者を崇める言葉なら、君の親友こそ天才と呼ぶにふさわしい」

「……」



「さあ……どうする?」



気付けば僕はまたうつむいていた。

見なくても先生のにやにや笑いが伝わる。

あいつは先生が認めるほどの欲を抱え十年。

僕は、お粗末とさえ言えない努力を十ヶ月。

霞がかったあいつとの差は今、絶望的な壁として目の前に突き付けられた。


「……はぁ」


だから何だ?

そんなの、答えなんて一つしかないじゃないか。

先生も分かっていて聞いているんだ。

ならばこそ、僕は精一杯の笑顔で強がってやった。


「簡単ですよ」

「ふむ?」

します。あいつより高い目的を……強い欲を持って、努力し続けますよ」

「ふふ、まさしく……だ」


先生は僕の答えに満足そうに頷いた。

白衣を翻し、妙なポーズで僕の答えを補足する。

ああ、やっぱり格好いいな、あの白衣。


「それこそが努力の面白いところだ。習慣では無意識であるがゆえ長時間を費やせる。だが無意識ゆえ、容易に高度な目標へと切り換えられない」


平然と百点を採るあいつは、百二十点を目標にする馬鹿がいることなんか知る由もない。

正直、十年の差は高校生の間に覆せるものじゃないだろうけど……それでも……。

これからの十年なら、きっと。

だって、僕はあいつの親友だから。


と、そこで長い昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

……どうやらこれまでみたいだ。


「時間切れかな。お喋りはここまでだ。放課後は写真部A君から取材の依頼があるから時間はとれないよ」

「ありがとうございました。色々とふっ切れた気がします」

「及ばずながら君の活躍を願っているよ」

「ええ!」


僕は教室へ駆けだしながら、先生に別れの挨拶をする。

そう、たしか――


「友情! 努力! そして勝利ですね!」

「ははっ! その通りさ!」



  ◇   ◇   ◇      



「……恐らく、が無意識に他人を避けるのは『普通』を覚えたくないからだ」


白衣の男が校舎裏で誰にともなく語りだす。


「君が当然のものと設定している目標値が、他人にとって化け物じみていることは薄々気が付いているはずだ。だが、他人に合わせて目標値を下げれば、いずれ凡人となる」


壁に向けて話しているわけではない。

だからと言って、独白というわけでもなさそうだ。


「天才とは、自身が普通であると信じて疑わない愚者でなければならない。ま、私は違うけどね」


そう言葉を締めて、白衣の男は残っていた飲み物を一気に飲み干した。

突然、白衣の男がむせる。


「かはっ。ふふ、いかんいかん。私としたことが、ようだ」


ギロリ、と、正気とは思えない四白眼で屑籠を睨む。

裂けた口、四白眼、似合いもしない白衣。

噂では、一度女性になって種も巣も自作で出産を経験したとか。

どう考えても他人を化け物呼ばわりできる人間ではない。


「しかし……努力は才能に勝てるのか、だって?」


白衣の男が嘲笑らしき表情を浮かべる。


「無意識に呼吸して? 疑問も持たずに手足を動かして? 選択せず表情を作れる君たちが? 言うに事欠いて努力だって!?」


白衣の男は構えた空き缶を無造作に屑籠に投げ捨てる。

宙を舞う缶はやがて重力に引かれ、屑籠にある缶の山にぶつかった。

そして、空き缶は――


「そのバカげた才能の一つでも、私に分けて欲しいよ」


……やはり、この人に尋ねるしかない。

どうせがいることにも気付いている。

ボクは校舎の屋上から白衣の男の前に飛び降りた。

男は驚いた様子もなく、ボクに声をかける。


「これでも忙しい身なんだけどね。予鈴も鳴ったはずだよ?」

「なんとなく、あなたに訊いた方がいい気がした……」


あなたはボクの親友の友だと聞いたから。


「何もしていないつもりなのに……いつの間にか、親友を傷つけている気がして……」

「……やれやれ、仕方ないね。それではひとつ――」


白衣の男は嫌そうな顔を選ばず、むしろその大きな口を歪ませて語りだした。

男の背後では、先ほどの空き缶が屑籠の縁上を絶妙なバランスで回り続けていた。



「――の話をしよう」


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