第9話 誤解
「先輩、男の人って、やっぱり合鍵もらうのって嬉しいものですか?」
突然、姫宮にそんなことを訊かれて、心臓が飛び出しそうになった。
帰り支度をしていたところで、端末の電源を落とそうとしたのが、手元が狂って再起動してしまう。
数日前に景都から合鍵をもらって、その扱いに困ってたところだから、話題がタイムリー過ぎた。
姫宮が俺と景都の事情をどこかから嗅ぎつけたかと疑ったくらいだ。
彼女にもらった合鍵は、車のグローブボックスに入れてあるから、写真のときのような間違いはないはずだった。
「いきなり、どうしたんだよ」
「いえ、友達が、彼氏に合鍵渡そうかどうか迷ってたんで、男性の意見を聞いてみようと思って」
制服の作業着を脱ぎながら姫宮が言う。
隣の席の知世ちゃんは、机の上を整理していた。
「まあ、嬉しいんじゃないか」
俺は一般的な意見として言う。
「ですよね」
姫宮が頷いた。
「だけど、渡す前に、その男が本当に合鍵を渡せる相手か、注意した方がいいぞ。今はいいかもしれないけど、別れ話になった途端、ストーカーになるとか、色々あるだろ?」
「まあ、その辺は彼女しっかりしてるから大丈夫だと思います」
ひとまず、合鍵の話は別件だったと分かって安心する。
「あっ、先輩、私の部屋の合鍵なら、すぐにでも先輩に渡しますよ。リボン付けて」
姫宮がそんなふうに言って俺をからかった。
「姫宮は実家暮らしだろうが」
「あれ、実家じゃなかったら、受け取ってくれるんですか?」
姫宮が訊き返す。
まったく、口が減らないヤツだ。
「うふふふふ」
って、俺達のやりとりを見ていた知世ちゃんが笑っている。
二人を送り出して部署の戸締まりをしていると、スマートフォンに電話が掛かって来た。
相手は景都だ。
「師匠、いま、電話大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
「師匠って、パソコンとかにも詳しいですか?」
「まあ、会社で使ってるし、一通り使えるけれど」
「それなら、うちのパソコン見てもらえませんか? なんだか昨日から調子が悪いんです」
「うん、かまわないよ。今日はもう遅いから、明日にでも
時間は夜八時を回っていて、いくらなんでもこれから女子高生の独り暮らしの部屋に行くのは俺の常識が疑われる。
「それが、ちょっと急ぐ用事があって、すぐにでもパソコン使いたいんです。申し訳ないんですけど……」
「それなら、今からで大丈夫?」
「はい、お願いします! そうだ、師匠、夕ご飯、食べましたか?」
「いや、今会社を出るところで、まだだけど」
「だったら、お夕飯、ご馳走します。私、買い出しに行くので、もし、師匠が来るまでに戻らなかったら、合鍵で入っててください」
景都はそこまで言うと、いきなり電話を切った。
俺が夕飯いいよ、って断ろうとするのを防ぐために、その前に切ったらしい。
本当に良く気が回る子だ。
渋滞もなく、景都のマンションまでは三十分程で着いた。
エントランスで呼び出すと、やはり、景都は部屋にはいないようだ。
仕方なく俺は、彼女からもらった合鍵を使って部屋に入った。
「おじゃまします」
一応、声は掛ける。
もちろん返事はなかった。
彼女を待って玄関に立ってるのもなんだし、とりあえず、リビングのソファーにでも座ろうかと思った。
ところが、部屋はこの前来たときより雑然としている。
リビングまでの廊下に、服のようなものが散らかしてあった。
よく見るとそれは、シャツやキャミソール、ブラジャーに靴下。
点々と、衣類が落ちている。
景都が慌てて買い物に出掛けて、脱ぎ散らかしたんだろうか?
片付けるべきなのか、それとも、見て見ぬふりをしておくべきなのか。
結局、俺はそれらを拾って、脱衣所の
男子高校生でもあるまいに、彼女の服や下着を変に意識したほうが恥ずかしい。
それにしても、キャミソールとブラジャーは黒で、最近の高校生はこんなの身に付けてるのかと、そんなこと考えながら廊下に落ちている衣類を拾っていた時だった。
この前、景都が絶対に開けるなと言った部屋のドアから、一人の女性が出てくる。
長い髪がボサボサ、Tシャツにショートパンツの色白の女性。
年の頃は、二十代半ばだろうか。
目の下にくまが出来ていて、目がとろんとしている。
口元には、
俺とその彼女は、景都のマンションの廊下で鉢合わせる。
「どうも……」
この場合、そう言うしかない。
「誰?」
相手が訊いた。
「私は、大沢和臣といいます。怪しい者ではありません」
それは、右手にブラジャー、左手にキャミソールを握りしめて言うセリフじゃないと自分でも思う。
「ただいま!」
その時玄関のドアが開いて、景都が元気よく中に入ってきた。
彼女は、両手にエコバッグを持っている。
よかった…………彼女が天使に見えた。
「あれ、お姉ちゃん、起きてたの?」
景都が言う。
「ん? お姉ちゃんて、あれ? 景都ちゃん、独り暮らしじゃなかったの?」
俺は、景都と目の前の女性を見比べる。
確かに、目元とか、すっと通った鼻筋が似てる気がした。
「えっ? はい? えっと、私、お姉ちゃんとここで二人で暮らしてます」
「んっ? ご両親がいなくて、独り暮らしだとか、言ってなかったっけ?」
「私、両親がいないとは言いましたけど、独り暮らしだとは、言ってないと思うんですけど」
景都が困った顔をした。
俺は、記憶の中のページをめくって、景都とのやり取りを思い返す。
…………本当だ。
景都は、両親がいないとは言っていたけれど、独り暮らししてるなんて、一言も言ってない。
俺がだたそう思い込んでいただけだ。
「だって、親がいなくて、こんなマンションに独り暮らししてるとか、それじゃあまるで、ありがちなアニメの主人公じゃないですか」
そう言って笑う景都。
そう言われたらぐうの音も出ない。
「景都、誰なのこの人」
景都の姉だという目の前の女性が、俺を
「誰なのって、さっき、説明したでしょ?」
「聞いてないけど」
「ほら、私のこと、援助してくれてる人」
「援助?」
「援助してくれて、そして私に、いろんなことを教えてくれる人。色々と、私に初めての経験をさせてくれる人」
いや、景都ちゃん、その言い方、
「ふ、ふざけないで!」
次の瞬間、景都の姉というその人物が歩み寄ったと思うと、俺の左頬に思いっきり振りかぶった張り手を食らわせた。
目の前がクラッとする。
「大切な妹に、なにするのよ!」
俺が女性からこうやって殴られるのは、たぶん、人生で二回目だと思う。
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