第8話 独り暮らしの住処

 ハイエースのレンタカーを借りて、写真機材を詰め込んだ。

 広い荷台に入りきらなくて、助手席をつぶしてどうにか一台に納めた。

 我ながら、その物量に驚く。


 日曜の朝で、出掛けに通りかかった隣の住人に「引っ越しですか」と訊かれて、「そのようなものです」と答えた。

 まさか、女子高生が独り暮らしするマンションに荷物を置きに行くところです、とも言えない。



 小早川景都が暮らすマンションは、想像以上に立派な建物だった。

 高台にあって、周囲を見下ろす煉瓦れんがタイルの四階建て。

 その四階、東南の角が景都の部屋だという。


 エントランスの操作盤で景都を呼び出して、オートロックを開けてもらった。


「師匠、おはようございます!」

 彼女は朝からテンションが高い。

 今日の景都は、紺のトレーナーに黒いジャージで、髪を後ろで緩く縛っていた。


「さあ、どうぞ、上がってください」

 スリッパを勧められて、そのままリビングに通される。

 白を基調にした部屋で、所々に差し色のターコイズブルーの家具が配置してあった。

 全体的にシンプルモダンっていうのだろうか、さっぱりしている。

 リビングから奥には、ダイニングとキッチンが続いていた。

 確かに独り暮らしには広すぎるマンションだ。


「本当に部屋を借りていいのかな?」

 俺は、多少、尻込みしながら訊いた。

「本当に部屋を借りていいんです」

 景都が、なにを今さらって感じで微笑んだ。


 リビングのソファーで、この前洋館を撮った写真を見ながらお茶を飲んだあと、貸してくれるという部屋を見に行った。


「この部屋を使ってください」

 そこは八畳ほどの広さの、マンションの通路に面したがらんとした洋間だ。

「どうですか? もう一部屋の方が日当たりがいいですけど、そっちにしますか?」

「ううん、こっちで十分」

 倉庫として使うんだし、贅沢なくらいだ。


「あとそれから、こっちの部屋は開けないでくださいね」

 景都が反対側の部屋のドアを指した。

「うん、分かりました」

 元より俺は、勝手に人の家のドアを開けたりはしない。


 景都に手伝ってもらって、ハイエースから部屋まで機材を運び込んだ。

 エレベーターを使って、二人で何度も四階まで往復する。


 すべての荷物を運び込むのに、昼前までかかった。

 部屋の中に段ボール箱がうずたかく積まれた状態で、全部移動し終える。

 その中から、個別に包装して段ボールに入れておいたレンズとカメラだけは、すぐに防湿庫に移した。


「防湿庫って、必要ですか?」

 景都が訊いた。

「うん、一度レンズにカビが生えたら、どんなにクリーニングしても完全には元に戻らないから、防湿庫とかドライボックスに入れておいた方がいいね。日本は特に湿気が多いし。景都ちゃんのF3とレンズも、一緒に入れておこう」

「はい、師匠」

 彼女が、寝室と思われる別の部屋からF3を持ってきた。


「カメラを使ったあとは、ボディをクロスで拭いて、レンズのゴミとかほこりをブロワーで落としてから仕舞っておこう」

「カメラにも、肌のお手入れが必要ってことですね」

 肌のお手入れなんて、まったく必要ないような景都がそう言って笑う。


「それにしても、師匠、たくさんレンズ持ってますね」

 彼女は防湿庫に並んだレンズを見て苦笑いした。

 百本には届かないまでも、いつのまにかそれに近い本数のレンズが溜まっている。

 パンケーキレンズから、一番大きな300㎜ F2.8まで、それにかけた金額を考えるのが恐ろしい。


「レンズっていうのは、一本買うと、どんどん増えるからね。気をつけないと、知らぬ間に増殖してこうなるんだ」

 俺が言ったら、景都が「へぇ」って深く頷いた。


 景都があまりにも素直に聞くから、一応、冗談だって釘を刺しておく。


「三脚も、たくさんあるんですね」

「うん、こっちはカーボンの軽いヤツで、こっちはアルミの頑丈なヤツ。旅行用の小型のヤツとか、テーブルの上に置くタイプとか…………まあ、これも、いつの間にか増えちゃったね」


「これはなんですか?」


「それは雲台うんだいっていって、三脚とカメラを繋ぐ部品だね。レンズ沼、三脚沼のほかに、雲台沼っていうのもあって、この雲台を何台も何台もそろえる人がいるんだよ」

 この趣味は、散財する要素には事欠かない。


「ふうん、深い世界なんですね」

 彼女が若干じゃっかん引いている気がしないでもない。


 レンズやカメラを防湿庫に仕舞ったところで、ちょうど十二時になった。


「師匠、お昼ご飯作りますから休んでてください。昨日の残りのご飯で、ぱぱっとチャーハン作りますけど、それでいいですか?」

「うん、もちろん」

 彼女、家庭的な弁当を作るし、残り物の活用とか、やっぱり家事に慣れてるらしい。


「手伝うよ」

 俺も景都とキッチンに並んだ。

「師匠もお料理するんですか?」

「うん、まあね。凝った料理は出来ないけどね」

 出て行った同棲相手とは家事を分担していたから、一通りの家事は出来る。

 分担、というより、同棲生活後半は、彼女の方が仕事で忙しかったから、俺がほとんどの家事を担当してた気がする。


 チャーハンに添えるスープを作ったり、洗い物を手伝いながら周囲を見てたら、キッチンに、色々と二組の物が揃ってるのに気付いた。

 お椀や箸、湯飲みだとか、ティーカップだとかが、全部、二組のついになっている。


 独り暮らしってことだったのに、彼女は、誰かとここで食事をするんだろうか?

 ふと、そんな疑問が頭をよぎる。


 そう考えると、こんな立派なマンションの家賃は誰が出しているのか?

 立派な家具はどうやって揃えたんだ。

 誰か、援助してる人物でもいるのか?

 そんな疑問が次々に湧いた。


 いや、彼女に限って、そんなことはない。

 そんなふうに打ち消したけれど、俺はまだ景都と出会ったばかりで、彼女のこと何も知らないのだ。

 俺が知ってるのは、彼女がちょっとだけそそっかしくて、料理が上手くて、飛び切りチャーミングだってことだけだ。


「師匠、どうしたんですか?」

 景都が不思議そうに訊いた。

「いや、別に」

 俺は笑って誤魔化す。


「さあ、食べましょう」

 彼女が作ってくれたガーリックがきいたチャーハンを食べて、午後も部屋の片付けをした。



 帰る段になって、

「あの師匠。これ、持っててください」

 玄関で景都が小さなフィギュアのストラップが付いた金属片を俺に渡した。


「この部屋の合鍵です。私がここにいないときに機材とか持ち出したくなったら、使ってください」

「いや、でも」

 いくらなんでも、こんなおっさんに合鍵渡すなんて、無防備過ぎやしないだろうか。


「大丈夫です。持っててください」

 彼女、見た目と違って、奔放ほんぽうな子なんだろうか?


 もしかして、俺も…………いや、変なこと考えるなって、俺は湧き上がってきた邪念じゃねんを振り払う。

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