最終章 長岡愛哩の見えるもの
第99話 後の祭り、そして始まるその後
文化祭が終わり三日が過ぎていた。朝のクラスの雰囲気はお祭り気分から元通りになっていて、今日もクラスメイトは友達と仲良く話している。
隣の席に愛哩は居ない。一昨日と昨日は登校しておらず、二日続けて休んでいた。
「彼女さん、今日も休み?」
話しかけてきたのは愛哩とは反対の席の舞さん。いつものように頬杖をつきながら空席を眺めていた。
「俺は聞いてないよ」
「そ? 何か知ってると思ったんだけどな」
口にはしないけど、理由は確実に文化祭終盤でのあの一件だ。
結局、あの後愛哩に一人にしてと言われて従ってしまった。
……一人にするべきじゃなかったかもな。今更遅い後悔が胸をよぎる。
「早く良くなると良いね」
「……そうだね」
「……ああ、そういうこと」
何かを感じとったのか、舞さんはふと納得の表情を浮かべる。
「ま、何があったのかは聞かないけどさ。もし相談したくなったら私にしてくれても良いからね」
舞さんは少し心配そうな面持ちでそう言ってくれる。普段の飄々とした立ち振る舞いを考えるとどことなく新鮮に映った。
それから五分程ぼーっとしていると、教室の後ろのドアが音を立てて開く。
その瞬間、クラスメイト達はわっとそこへ殺到した。
「愛哩ちゃん大丈夫!? 病気!?」
「今日は来ても大丈夫なの!?」
「あはは、ありがと。ちょっと風邪気味だっただけだよ。今日からは普段通り」
見る限りだと普段の様子と変わらない愛哩は困ったような笑顔を浮かべてみんなの心配を晴らす。
あんなことがあって、それもあの愛哩が取り乱したのに平時と変わらない。
俺にはそれが、何よりも違和感を覚えさせられた。
愛哩は俺の隣、つまり自分の席に腰を下ろす。特に恋人に遠慮するということはなく、クラスメイト達は我先にと愛哩に話しかけていた。
「そうそう、文化祭は本当にありがとね! おかげですっごい楽しかった!」
「そっか。良かったね」
「あれ、ちょっと素っ気ない? ごめんね、病み上がりに話しちゃって」
「……あー、ううん。こっちこそごめん」
心ここに在らずというのが正しいのだろうか、ミスと言えるほどのものではないが愛哩にしては珍しく円滑な会話にはならなかった。
そんな“異常”は、一度だけでは終わらず。
「そう言えば昨日小テストの範囲出たよ! 長岡さんは勉強してる?」
「うん。今回は悟くんには負けないんだから」
「……あ、えっと。もし良かったらちょっとだけ教えてほしいなー、なんて」
「……そっか! ごめんね、気付けなくて。私で良ければいつでも聞いてよ!」
「う、うん! いつもごめんね!」
ぎこちない会話は、それから朝礼が始まるまで何度も交わされた。
……愛哩の場合、ぎこちない会話なんてのが起きる方がおかしいんだけどな。
えも言えない不和を感じていると、朝礼を仕切る担任の隙を見て愛哩はちょんと俺の肩に触れる。片手を口元に添える、いわゆるこそこそ話のジェスチャー。
「この後時間ある?」
俺は担任に話していることがバレないよう小さく頷く。
愛哩は作られた仮面の笑顔で反応してくれた。
◇◇◇
朝礼から一時間目までは十五分の余裕がある。テスト前なら生徒は自習に使う時間だが、普段は誰かと適当に雑談を交わして浪費する。
俺と愛哩は生徒会室に来ていた。ここなら誰の耳にも入らない。
「あれから大丈夫だった?」
単刀直入に質問する。心配半分、残りは純粋な疑問が半分だ。
「お父さんとお母さんの話だよね。大丈夫と言えば大丈夫だけど、向こうはそうもいかないみたい」
「ぎこちない感じ?」
「さっきのみんなとの会話みたいにね」
思ってもいない角度の発言に俺は思わず閉口する。
当たり前だけど、愛哩もやっぱりさっきの会話には違和感を感じていたんだな。
問題はそれが意図的かそうでないかだけど──
──ふと、二日前の発言が脳裏をかすめる。
『……ねえ、悟くん。悟くんは今、何を考えてるの?』
もしも、この言葉が言葉通りの意味なら。にわかには信じ難い過程だけど。
嫌な汗を感じながら、俺は言葉を紡ぐのを躊躇った。
だってそれは、始まりこそ望まないものだったけど。
心が見えるというのは、俺と愛哩の縁を結んだ唯一の共通点だから。
「……んふふ、今のだけは読めなくてもわかっちゃった」
愛哩の言葉は答えそのもの。
そして、立場は違えどかつての俺が何よりも欲した状況。
「私ね、今本当に心が読めないんだ。今朝みんなとの会話が上手くいかなかったのはそれが理由。お父さんとお母さんに怖がられてるって知っちゃったからかな、あれ以来霞がかかったみたいにみんなの考えてることがわからないの」
無意識に愛哩の心を見てしまう。本来の俺達なら、それは当たり前に出来ること。
(信じてくれるかな。……まあ私の心を見てくれたらわかってくれるだろうけど、確証は持てないや)
「……信じるよ。きっかけも状況も結果も、信じない理由を探す方が難しいくらいだ」
「悟くんのその言葉でさえ状況証拠からしか信じる材料が無いのは本当に難儀だよ。……こんなことは恋人が言う言葉じゃないんだろうけど、たとえ好きって言ってもらっても信じるのが難しそう。信じたいんだけど」
「好きだよ。女の子として、恋人として好きだ」
「現状だと、少なくとも私は悟くんを好きだってことだけは信じられるな」
愛哩は寂しそうな目で弱々しく笑う。
俺からかけられる言葉は見つからなかった。
「悟くんのこと、本当に好きだよ。神様にだって誓える」
「ならそれで良いだろ。俺は信じるよ」
「ありがと。悟くんならそう言ってくれても心の底から信じられるよ。だけどさ」
愛哩は背を向ける。その背中は本当に小さく見えた。
「お父さんとお母さんがそう思ってくれてるかはわからないんだよね。同じことを言ってくれたのに、心のどこかでは信じきれない」
「それは……、あんなところを見てしまったんだ。当然だよ」
これだけは変えられない事実。実際愛哩の両親は心の底から愛哩へ恐怖を覚えていて、その時点ではまだ心を読めた愛哩も実感として知っている。
「情動感染って知ってるかな。相手に嫌われてると自分も嫌っちゃうみたいなのなんだけどさ」
「好きも移るやつだよね」
「そそ。だから私はお父さんとお母さんにまずはちゃんと好きだってことを知ってもらおうと思うんだ。今まではどこか嫌いな部分もあったかもだけど、これからは全部を好きになる」
背を向けられているため表情はわからない。
だけどこれは良くないことだと、言葉だけですぐにピンと来た。
「私は私が何を考えてるか知ってもらいたい」
「両親は時間をかければいずれ分かってもらえる。今は俺相手だけなら何でも理解することが出来るよ」
「ありがと。でもお父さんとお母さんにも分かってもらわなきゃ」
会話が成立しているようでしていないのは文化祭のあの時と同じ。俺の発言に対して至る結果がずれている。
「まずは行動で示せばわかってもらう一助にはなると思うんだ」
「その思考は良くない。キツいことを言うけど、もしそれで分かってもらえたって思えなかったら愛哩はその事実に耐えられない」
「分かってもらえるから大丈夫だよ。あの二人は私が自慢の娘であることに誇りを持ってるからね。だったら今よりもっと自慢の娘にならなきゃ」
制止をかけるが止まらない。自己完結していく論理は制御を失ってどんどん肥大化していく。
「成績の向上……だと元々良いからあんまり実感湧かないか。だったら生徒会長かな。うん、生徒会長になろう。そしたらお父さんとお母さんも信じてくれるよね」
「愛哩」
「大丈夫、心配しないで。私ってこう見えても人望はある方なんだから。なんせ人気者なんだし」
言い終え、背を向けていた愛哩は振り返る。
そこに俺の知ってる愛哩は居らず、ただ何かに取り憑かれたように、愛哩は怯えを笑顔で必死に誤魔化していた。
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