第97話 閑話 長岡愛哩5

 目を覚ますと、そこは生徒会室だった。そう言えば休憩時間に寝てたんだっけ。


 身体を起こすと肩にブレザーが掛かっていることに気付く。私のは今着てるし、それよりも大きいサイズってことは。


「起きた?」


 定位置でパソコンを叩いていたのは悟くん。ブレザーは着ずにワイシャツで仕事をしていた。


「これ、悟くんが?」

「ブレザーならそうだよ。もう本格的に秋だしね」

「そっか。ありがと」


 掛かっていたブレザーを手に取って悟くんに返す。悟くんだって寒いはずなのに。


「……あれ? 会長は?」

「俺と入れ替わりで見回りに行ったよ」

「そっか。大変だなぁ」


 悟くんに寝顔を見られるのは恥ずかしいから会長が生徒会室に居る時に寝たのに。せめて会長も一言くれてたらなぁ……。


「無防備だなとは思ったよ」

「……何かした?」

「してないって!」


 悟くんはみるみるうちに焦り出す。本当、可愛いなぁ。


「んふふ、冗談だよ。それに悟くんならちょっとくらいは許すからね?」

(……また恥ずかしいことを……)

「恥ずかしいこと、したいの?」

「また勝手に心を……まあ仕方ないことだけどさ……」


 私の唯一無二の相手。こんな能力ものを理解してくれて、さらに共有までしてくれる、世界でたった一人の恋人。


 本当に出会えて良かったな。これはもう運命だよ。


「……愛哩の方が恥ずかしいことを考えてるじゃん」

「お、乙女の考えてることは勝手に見ちゃダメって何度も言ったよね!?」

「さっきは愛哩が俺をからかってきたくせに」


 そう言いながらも悟くんは嬉しそうに笑う。その心は読まなくても簡単に理解出来る。これはずっと一緒に居たからこそわかること。


「愛哩。もうすぐ閉会式が始まるけど、挨拶は大丈夫?」

「バッチリだよ。恋人の晴れ姿、ちゃんと見ててね?」

「言われなくとも」


 口にすると少しくすぐったい恋人って言葉は、もう当たり前のように受け入れてくれている。だから私は嬉しくなってまた恋人って言葉を使うんだ。


「……本当」


 不意に悟くんは呟く。心を読むよりも先に、悟くんは言葉を紡いだ。


「愛哩が恋人なんて、俺には勿体無いくらいだよな。こんな能力ものが共有出来るなんて思ってなかったよ」


 ……それはこっちのセリフだよ。私の方こそ、悟くんみたいな人が恋人になってくれて、感謝してもしきれないくらい。


「好きだよ、悟くん」

「急にどうしたの? 嬉しいけど」

「ちょっと伝えたくなっただけ。こういう細かい積み重ねが長続きする秘訣なんだって」


 半分本当で半分嘘。嘘の部分は、長続きさせるために伝えたんじゃなくて、抑えきれなくなった気持ちを口にしたくなったから。


「はは、変な夢でも見たの?」

「昔の夢だよ。机で寝たから眠りが浅くなったせいかも。あとさっきお父さんとお母さんが生徒会室に来てたし」


 亡くなったおばあちゃんは今の私を見てどう思うのかな? あの日以来一切怒らなくなったおばあちゃんだけど、今ならどんな反応をするんだろ。褒めてくれたりする? わかんないや。


「愛哩」


 閉会式の挨拶の原稿を取り出して確認をしようとした矢先、悟くんから声を掛けられる。悟くんは優しい笑みをたたえていた。


「俺も好きだよ」

「……ずるいなぁ、ホント。ありがと」


 こうやって悟くんの言葉だけでときめけるようになったくらいには、人の心はわかる子になれたのかな?


 胸に芽生えた温かさを大切にしながら、私は挨拶の最後の確認を始めた。




◇◇◇




 講堂に集められた生徒はみんな楽しげに近くの子達と談笑している。先生達も今日くらいは怒ったりせず、中には生徒に交じって話している先生も居た。


 やがて会長が司会を始めると生徒達は静かになっていく。こういうところに会長のカリスマを感じるんだよね。


「では続いて、副会長からの閉会の挨拶です」


 呼ばれた私は舞台の上手かみてから出て一礼し、会長から手渡されたマイクで声が入るかを確認する。


 こういう時、大人数の心を一斉に読もうとすると頭が痛くなるんだよね。私はなるべく目のピントを合わせないように遠くを見ながら、軽く息を吸った。


「生徒会副会長の長岡愛哩です。まずは今日までみなさんお疲れ様でした。おかげで素晴らしい文化祭を学校全体で作り上げることが出来たと思います」


 焦点を合わせないようにすると必然的に奥の方を見てしまう。


 そこで目に入ったのはお父さんとお母さん。遠くて表情まではよく見えないけど、笑顔を浮かべていることだけはわかった。


 心が見えるようになる前は私の一挙手一投足が相手にどう思われるかなんて考えもしなかった。


 嫌でも考えさせられるは時折煩わしくもなったり、お父さんとお母さんのような大人にさえやっぱり見たくない面もあるって知ってしまって、それならこんなものは要らないと思っていた。


 有り体に言うと、私はこの能力が嫌いで仕方がなかった。


「これだけの生徒が居るので、時には衝突もあったでしょう」


 それでも上手く付き合っていくしかない。幸い私は勉強も運動も人並み以上に出来たし、みんなに好かれる“長岡愛哩”を演じることは苦じゃなかった。


「四月に初めて出会った人や元々友達だった人。始まりからは今を想像なんて出来なかったと思います」


 それは高校二年まで続いたけど、ある日私は悟くんと出会った。


 教室の隅で存在感を意図的に隠すようなその姿は不思議でたまらなかったっけ。同じものを持ってるのに何でこうも立場が違うんだろう。気付いたらいつも目で追っていた。


「長い時間をかけてクラスメイトと作り上げた確かな結果は、その成果以上に歩んできた過程が宝になります」


 初めは心を読める先輩として接し方を教えていた。けど悟くんは徐々に成長し、私とは異なる使い方を見出す。


 そしてついには、私自身でさえ救ってくれた。


「それではここで改めて感謝を述べさせていただきます。本日はありがとうございました」


 簡素で短い挨拶を終え、ぺこりと頭を下げる。直後降り注ぐ拍手の雨は私だけじゃなく今を作り上げたみんなへの賛辞のように感じた。


 やがて先生からこの後の動きや帰りの注意が伝えられ、生徒達は続々と退場していく。


 私はその様子を眺めながら、適当に目に付いた生徒の心の中を見ていた。


(文化祭も終わりかぁ。楽しかったな)

(来年はオレもライブに出てみようかな? 絶対楽しいし、今から練習しなきゃ)

(何か青春って感じだったなー。ラストの文化祭がこれで良かった)


 そっか。三年生はこれが高校最後の文化祭だもんね。私は多分来年も生徒会をやってるだろうからみんなのように楽しめるかは分からないけど、だからこそみんなには私達の分まで楽しんでもらえる文化祭を作り上げたいな。


「何しんみりしてんのよ」


 パン、と背中を軽く叩かれる。振り向いた先には会長がいつもの様子で立っていた。


「次はアンタ達が頑張る番なのよ。生徒会長選挙だってあるんだし、落ち着いてる暇はないんだからね」

「そっか。もうそんな時期ですもんね」

「他人事じゃないのよ? 学年で考えたら愛哩か悟が最有力候補だし、未耶だって頑張れば二年連続の会長になれるかも」

「わ、わたしはまだそういう目立つことは苦手なので……」


 生徒会長かぁ。今は私が副会長をしてるけど、悟くんだってもう立派な生徒会役員だ。今度悟くんはどう考えてるか聞いてみよう。


「ま、それはともかく。まずは後片付けよ! 各々持ち場に着きなさい!」


 会長は大きく手を叩く。


 これももう少ししたら聞けなくなるんだ。そう考えると何だか寂しくなるなぁ。


 いや、今はやるべきことをしなきゃ。じゃないと会長にも申し訳ないよ。


 こうして、私の文化祭は僅かな寂寥感と共に幕を下ろした。




 ──ようにに思われた。




 後片付けのために校門へ向かう途中、人気ひとけのない廊下でふと目に入ったのは恋人である悟くんとお父さんとお母さん。


 何か話してる? 私は息を潜めてバレないように三人の会話を盗み聞く。


「悟君。……疑うようで悪いんだけど、君は本当に愛哩と交際してるんだよね?」


 お父さんってば、またそういうことを言って……。悟くんにも失礼だよ。帰ったらちゃんと言わなくちゃ。


 でも乙女としては。悟くんがどう答えるのか、どうしても気になっちゃう。私は止めることなく答えを待った。


「はい。高校生の分際でこう言うのはおこがましいですけれど、僕は真剣に愛哩さんと交際させていただいています」


 ……この言葉が聞けたんだからお父さんへのお説教は無しかな。それに悟くん、私が居ないところでもちゃんと言ってくれるなんて。そう想ってもらえる私は幸せ者だ。


 その言葉を聞いてお父さん達は安心する。


 と、普通ならその流れになるはずなのに。


 のはお母さんだった。


「ねえ、ねえ! どうやってあの子と付き合えるようになったの!? あの子はちゃんと悟君のことが好き!?」

「え、えっと」

「母さん、落ち着いて。悟君が困ってる」

「……ごめんなさい。でも」

「ああ。それは私から言うよ」


 何……? お母さんのあんなところなんて見たことも……それにお父さんも何か知ってる……?


 お父さんはコホンと咳払いをし、真っ直ぐ悟くんへと向き直る。


「正直言うとね、信じられないんだよ。あ、ちなみに別に悟君が相応しくないとかそういう話じゃなくてね」

「いえ……。でも実際愛哩さんは自分には勿体無いくらいの女の子です」

「勿体無いとは思わないけど、でも愛哩と釣り合える子が高校生に居たのかとは思ったんだ。……それはひとえに私達が親として不出来なせいだけどね」


 話の流れが見えない。気付けば私は手を握っており、じんわり手汗をかいていた。


「……私達はね、あの子が何を考えているか本当に分からないんだ。どれだけ見ても愛哩は完璧過ぎるし、どれだけ関わっても底が見えない。信じてもらえるかは分からないけど、小学校に入る前くらいから既に私達の考えていることは全て愛哩に筒抜けだったんだ」

「もう分からないの……それが親として不甲斐なくて……でも愛哩は私達なんかが手を出さなくても勝手に成長して……」

「……勿論比喩だけど、家では仮面を被らなければ愛哩と話すことすら怖い。考えてることでさえバレるんだから、愛哩の本質を知らない別の人格を作らなければまともに顔も合わせられないんだ」


 話しているのはお父さんとお母さん。私の人生で一番長い時間を過ごした二人。




 だと言うのに、今私の目に映る二人は全く見覚えのない人達だった。




「……悟君。こんなことを実の親が言うのは本当に情けないんだけど、愛哩のことを教えてくれないか? 愛哩は何が好きで何が嫌いなんだ? 愛哩は何がしたくて何を嫌がるんだ?」

「あの」


 悟くんが口を開くもお父さんは話す口を止めない。多分聞こえてない。


 そしてお父さんは、惨めさに顔を歪ませながら悟くんへ縋る。




「愛哩は一体、何者なんだ?」

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