第32話 勉強会

 勉強会を初めて一時間、流石に俺へ質問し過ぎだとみんな感じたのかシャーペンを走らせる音が響くようになっていた。そのため当初のようには質問しにくい雰囲気で、未耶ちゃんが難しい顔をして手を止めていた。


(……ここどうやって解くんだろう。平行移動……?)

「未耶ちゃん、どう? わからないところがあったら聞いてね」

「あっ、はい!」


 多分、長岡さんと出会う前の俺なら言えなかったであろう言葉。心を読めるということは相手のわからないところが簡単にわかるってことなんだな。


「その、ここの問題なんですけど……」

「ん、二次関数の頂点を出せば簡単だよ。ついでにここの応用問題だけど、これは一つ目より二つ目の式の方が形が綺麗だからそっちから考えればすぐ解ける」

「あっ、本当だ。ありがとうございます」

「質問、遠慮しなくて大丈夫だからね」


 今の説明でわかってくれたようで、未耶ちゃんは再び手を動かし出した。

 クイ、と服の袖を引っ張られる。その方向へ顔を向けると、隣の席から立花さんが身を乗り出していた。


「宮田先輩って、賢いんですか?」


 片手を口に当てて小さな声で訊いてくる。一応勉強してるみんなに配慮してくれてるのかな。


「勉強は得意なんだよ」

「じゃああずのも見てもらえます?」


 軽く首を傾げて上目遣いをする立花さん。不覚にもドキッとしてしまう。可愛い子が可愛い仕草をすると本当に緊張してしまうんだよなぁ……。


「良いけど、国語とかだと一度教科書を見せてもらわないとすぐには教えられないかも」

「大丈夫です、あずがわからないのは英語なので」

「わかった。どれ?」


 広げていたプリントを見せてもらう。ここですと言って指で囲まれたところは、なんてことのない単語の問題で……。


「いや、これは辞書引けば一発だから」

「えー? 宮田先輩教えてくださいよー。そっちの人達ばっかりずるくないです?」

「教えられる問題だったらちゃんと教えるから」

「立花さん、あんまり宮田くんに迷惑かけちゃダメだよ? 宮田くんだって勉強してるんだから」

「長岡さん」


 立花さんと半ば雑談のようなことをしていると、見かねたのか長岡さんも割って入ってきた。別に迷惑とまでは思ってなかったけど、そう言ってもらえるのはありがたい。


「……迷惑、ですか?」


 上目遣いのまま潤んだ瞳で俺を見上げる立花さん。桃色の唇は蠱惑的に隙間を覗かせ、瞬きもせずに俺の目をじっと見つめる。


 ……心を読んでなきゃ、完全に落とされていたかも。危ない危ない。


(これは流石の宮田先輩落ちたんじゃない? これだけやってあずに靡かない人なんていないだろうし、実際生きてきた中では宮田先輩だけだもん)


 内心でめちゃくちゃ考えてるのに表情は一切崩さない。ある意味感心するよ……。


「迷惑じゃないんだけど、本当にわからないところだけ質問してくれると嬉しいかな」

「……むー、宮田先輩も強情ですね」

(だから他の男子とは違うって感じるんだけど)

「ごめん宮田くん、ここ教えてもらいたいんだけど良い?」

「良いよ、どれ?」


 長岡さんのわからない問題はまた三角関数のところ。本当に苦手なんだな。まあ応用問題だから難しいっちゃ難しいんだけどね。

 身体を長岡さん方面へ向き直し、考え方を教えていく。長岡さんは頭が良いからこれで大体わかってくれる。


「……長岡先輩には教えるんですね。良いなぁ」

「いや、ほら長岡さんのは教えなきゃわかりにくいところだったから」

「あずだってわからないですもん」


 立花さんは口を尖らせながらそっぽを向く。


(別に羨ましいとかじゃないんだけど……何だかなぁ……)


 ……そして今度の仕草は本心でやっていることらしい。確かにちょっと冷たかったかな。俺は長岡さんへチラッと視線をやる。


(ふふっ、可愛いね。立花さん)

(子どもみたいだな)

(それ本人に言っちゃダメだからね?)

(わかってる。とりあえず俺は立花さんの相手をするから、長岡さんはさっきからずっと寝てる音心をどうにかしておいてくれ)

「……あっ、本当だ。会長、寝てたらまた赤点ですよー」


 ゆさゆさと音心を揺する長岡さん。一緒になって未耶ちゃんも音心の肩をとんとんと叩いている。そっちは二人に任せておけば大丈夫そうかな。

 さて、俺はこっちだ。


「立花さん?」

「……何ですか? ていうかまた長岡先輩と見つめあっちゃって。そんなにあず、魅力ない?」


 さっきと同じ、潤んだ瞳で俺を見上げる立花さん。不安げに俺の服をきゅっと摘む。


 ただ、さっきとは少しだけ違う。


「っ!」

「……宮田先輩?」


 本心でそれをやる、その破壊力よ……! 女子に心の底からドキッとしたのは久しぶりじゃないか……?


「い、いや。ごめん。そんなことないよ。立花さんは可愛いと思う」

「……もしかして、宮田先輩照れました?」

「なっ何の話!? じゃなくてほら、その。どこがわからないの? 教えてあげるから」

「嘘。絶対照れましたよね? ふふっ、先輩あずに恥ずかしがっちゃいましたよね! 素直になって良いんですよ〜?」

「い、良いから! 特にわからないところがないなら、俺自分の勉強に戻るぞ?」

「うそごめん、先輩見てくださいー!」


 甘えた声で立花さんは俺の腕をぐいぐいと引っ張る。俺は熱くなった顔から必死に意識を逸らしながら、立花さんの方へ移動した。


 ……本当に、照れたわけじゃないから! だから長岡さんもにやにやしてこっち見るなって!




 そろそろ日も暮れ始めたので、生徒会メンバーと立花さんグループは勉強を切り上げて家路についていた。


「宮田先輩、今日はありがとうございました!」


 ……ただし、俺は何故か立花さんを送ることになったので二人で帰っているんだけど。

 帰り際、また長岡さんにやにやしてたなぁ……。立花さんグループの三人と結託して言葉巧みに俺に立花さんを送らせるよう誘導する様はまるで予定調和のようだった。


「こちらこそ。俺も良い復習になったし」

「そういうとこ、先輩ずるいですよね。あずのこと好きなんですか?」

「そんなわけないだろ」

「……そうやって断言されると、乙女的にはカチンと来るものがあります」


 そう言いながらも立花さんはリラックスしているようで、これが俺と立花さんの距離感だと言わんばかりの柔らかい表情だった。


「あ、そうだ。結局長岡先輩には挨拶出来たんですか?」

「ん? ああ、前一緒に登校した時の話?」

「です。そう言えば聞いてなかったなーって思って」

「ばっちり……とはいかないまでも、失敗はしなかったよ」

「あはは、どっちなんですかー?」

「成功成功。もうばっちりだったよ」

「さっきと言ってること変わってますよー!」


 答えを求める質問じゃない。俺は適当に流しながら彼女の歩幅に歩く速度を合わせる。

 立花さんの家までは割と距離があるらしい。それでも無言にならないのは、立花さんのコミュ力によるものか。


 いや、多分それだけじゃないんだろうな。二ヶ月前の俺なら絶対に認めないだろうけど、確かに仲良くなってきているんじゃないかな。同じ立場の長岡さんだけじゃなくてさ。


「……あれ? あの子どこかで見たことあるような……」

「あの子? ……って、あれ琴歌じゃないか。うちの妹の」

「ああ、そう言えば先輩の妹さんとは前に本屋で出会いましたっけ。……ふふ、シスコン先輩っ!」

「だから違うって……。……おーい琴歌! お前こんなところで何やってるんだー?」


 大きな声で琴歌を呼ぶ。幸いすぐに俺だと気付いたようで、急ぎ気味にこちらへ駆け寄ってきた。


「おっおにぃ! 何でまた女の人といるの!」

「え?」

「だ……だからぁ! おにぃは何で琴歌が目を離したら知らない女の人と一緒にいるのって!」

(おにぃはシスコンなのに……! もう!)


 いやだからシスコンじゃないって。もう言っても聞き入れないだろうけどさ。


「琴歌ちゃん?」

「っ!? お、おにぃに何の用ですか!」

「何の用というか……、勉強会の帰り? 送ってもらってるんだ。いつもおにぃ・・・にお世話になっております」


 ペコリと頭を下げる立花さん。

 ……何だか琴歌以外におにぃって呼ばれるとむず痒いな。あとちょっと照れ臭い。


「おにぃ!!!」

「ん?」

「も、もしかしてこの人……妹なの!?」

「はっ?」


 急に何を言い出すんだ琴歌は。全く意味がわからず俺は聞き返した。


「ほ、ほら! よくドラマとかにいる隠し子とか……!」

「あの父さんと母さんが浮気すると思うか? いつもあんなにベッタリなのに」

「……確かに」


 一発で琴歌も納得する。

 本当に、あの二人はいつまで経ってもお互い大好きで……。気持ち悪いとは言わないけど、見ていて気分の良いものじゃないんだよな……。


「宮田先輩、あずはここで大丈夫です! 送ってくださってありがとうございました!」

「え? でも」

「大丈夫だから、今日は琴歌ちゃんと帰ってあげてください! それじゃ、また学校で!」

「ああ、うん。またね」


 立花さんは最後に手を振りながら歩道を歩いていく。俺はその場に佇んで立花さんを見送っていた。


「じゃ、琴歌。帰ろっか」

「う、うん……。じゃなくて! さっきの人は何なの!? いつもいつも一緒にいて……!」

「ああ、本屋でのこと覚えてたんだ」

「当たり前! もう!」


 俺は来た道を琴歌と歩く。家に着くまでの話題が、殆どが立花さんとの関係の説明になったことはあえて言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る