第29話 俺から

 今日は雨が降っておらず、乾いた通学路を一人歩く。朝のこの時間なので生徒の姿もちらほらと見えた。


「……緊張するな、俺。ビークールビークール」


 なぜ俺が緊張しているか。それは今日初めて俺から長岡さんに挨拶をするからだ。まずはそこから関係を持ち直そうという考え。


 ……長岡さんが俺に挨拶するのは対象の不特定多数の中に俺がいるってので自然だけど、俺からはイメージの乖離が甚だしいよなぁ……。周りに何て思われるだろう……。


「おはよーございますっ! 宮田先輩!」

「っっ!?」

「うわぁビックリ。そんなに驚きます?」


 突然両肩に手を置かれ反射で振り返る。俺に話しかけてくるって言うと選択肢は片手で足りる、けど。


「あ、ああ。立花さんか。おはよう」


 彼女は完成された笑顔で柔らかそうな髪の毛をふわふわと揺らしていた。心の中も「そんなに驚くもの?」と口に出した言葉と似たようなものだった。


「どうしたんですか? 何か考え事?」

「い、いや。ぼーっとしてただけだよ」

「嘘。あずに嘘を吐くなんて良い度胸ですね」

「怖い怖いってか痛いよ」


 ぎゅっと横腹をつねられる。いや勿論手加減はしてくれてるけどね。


「……」

「何、横腹抓ったまま止まって」

「いや……何か細いなって」

「身体? そういや俺あんまり太らないんだよね。筋肉も付きにくいのが難点だけど」

「死刑」

「朝から物騒だな!?」

「……失礼、羨ましいです! せんぱいっ!」

(今日も朝からあずかーわいっ!)


 この自分の可愛さを自覚した立ち振る舞いは凶器だよなぁ。心が見えなかったら正直勘違いしてしまってたかもしれない。モテるのも納得だよ。


「悩みというか、緊張してたんだよ。今日は俺から長岡さんに挨拶しようって思ってさ」

「? したら良いじゃないですか」


 キョトンとはてなマークを頭に浮かべる立花さん。

 いや、確かにそうなんだけどね? ただほら、やっぱり初めてとなるとビビるしさ……。


「いつもは向こうからしてくれるから、何だか照れ臭くて」

「何ですか乙女ですか宮田先輩のギャップ萌えなんて期待してませんよ」

「い、良いだろ別に恥ずかしがっても!? 初めてなんだからさ!」

「じゃ、あずで練習してみます?」

「練習?」

「はい! あずを長岡先輩だと思って挨拶してみましょう!」


 ああ、そういうこと。まあ善意で言ってくれてるみたいだし、俺もそれに甘えておこう。練習して損はなさそうだしね。


「それじゃ。……えと、その」

「はい!」

「…………えーっと……」

「……」

「………………ふう……」

「ちょっと! 宮田先輩まだですか!」

(何であずにビビってんの!? ただの練習なのに!)

「いやごめん。……お、おはよう?」

「はあ、もうそれで良いです。宮田先輩は思いのほかビビりだってことがわかりました」


 立花さんは呆れたと言わんばかりの様子でため息をつく。

 いや、俺だってこんなに緊張するとは思わなかったんだよ……。こんな調子で本当に長岡さんに挨拶出来るのかな……。


「ほら、宮田先輩が変に時間取るからもう朝礼五分前ですよ」


 そう言って示すスマホの時計画面は十五分。二十分になれば挨拶は出来なくなる。

 あ……、てかもう校門に居たのか。誰かと登校するとか久しぶりで気付かなかった。


「いやそれより! ごめんもう行くね! ありがとう立花さん!」

「成功を祈っておきますね! いってらっしゃいませー!」

(ホント、宮田先輩は面白いなぁ)

「じゃあね!」


 走りながら立花さんにお礼を言う。正直練習にはならなかったけど、緊張はほぐれた気がする。

 もたもたしてると挨拶をする時間が無くなってしまう。俺は足取りの間隔を速め教室まで急いだ。




 ガララッ。立て付けの悪いドアを鳴らして教室に入る。長岡さんは……、やっぱり既に来てるか。

 俺はとりあえず自分の席にカバンだけ置き、しかし腰は下ろさなかった。


「っ」


 ゴクリ、と喉を鳴らす。さっきよりは大分マシだけど、やっぱりドキドキする……。


 いや、思い出せ。昨日操二が何か言っていたじゃないか。朝女子に自然に挨拶をする方法。


『良いか悟クン。長岡さんがいつも悟クンの席の隣を通るってことは、そこを待ち伏せしてりゃ良いんだ。てことはすれ違うタイミングは必然的に距離が近付くわけで、そこでトンって触れられでもしたら嫌でも振り向く。そこでズドン!! だ!』


 ……既に長岡さん来てるじゃん!!! 朝立花さんの歩幅に合わせてたせいで教室に着くのが遅くなったから!!!


「……っふぅー……」


 うん。よし、落ち着いた。時間は既に十八分。ここで尻込みしてたら朝礼が始まってしまう。もう長岡さんの周りにいる女子とか、そんなの気にしてたら一生挨拶出来ない。


 俺はバクバクとうるさい心臓を必死に押さえつけ、つかつかと長岡さんの席へと歩き出す。俺の存在に気付いた長岡さんの対面の女子は目を丸くした。


「な、長岡さん!」

「え、え?」

(み、宮田くん!?)


 思ったより大きな声を出してしまい、長岡さんはおろかクラス中が俺に注目してしまう。


 ……いや! ここで躊躇うから失敗してしまうんだ!


「お、おはよう!」

「お、おはよ……う?」

(え、ちょっと何? どうして急におはよう? 私が昨日挨拶しなかったから?)


 長岡さんの心は珍しく動揺しているようで、逆に俺は挨拶が出来た安堵と相まって何故か冷静になった。

 っと、それだけじゃない。これはテレパシーで伝えなきゃ。


(長岡さん)

(な、何?)

(今日のお昼、生徒会室に来てもらえないかな? 出来ればお昼ご飯を持って)

(それは良いけど……、さっきのは何だったの?)

(長岡さんとギクシャクしたのが嫌だったから……って! 今の伝えるつもり無かったのに! 失敗した!)

「ぷっ、あはは!」

「長岡さん!?」


 急に笑い出す長岡さん。傍目には数秒程俺と見つめあっていきなり笑いだしたように見えるのだろうか。


「んふふ、ごめんね? ほら、もうチャイム鳴るから座ったら?」

「あ、うん……。じゃあ」

「うん。またお昼に」


 それが会話の終わりだと合図するかのようにチャイムが鳴り響く。周りは俺の意味不明な行動に首を傾げているようだったが、それも担任の先生が教室に入ってきたことで中断させられたようだ。


 ……よし、とりあえず挨拶は出来た。お昼の呼び出しも完了。あとは操二とソラちゃんの説明をしたらそれで仲直りだ。


 中学の頃もこうやって行動を起こせば良かったのかな。安心するにはまだ早いけど、それでも思わずにはいられなかった。




 四時間目の授業が終わり、俺はお弁当を持って職員室に直行した。クラスが同じなんだから長岡さんと一緒に行っても良かったけど、そう思った時には既に教室を出た後だった。多分俺はまだ少し緊張しているんだろうな。


 生徒会室の鍵を貰い、待ち合わせ場所へと向かう。そこには既に長岡さんと操二が待っていた。


「悟クン。成功した?」

(挨拶、アドバイスもしたからいけたと思うんだけど)

「うん。まあちょっとしたアクシデントはあったけどね」


 操二も操二で俺と長岡さんの変な空気を心配してくれていたのかな。開口一番の言葉は単なる疑問と言うよりも気遣いのように感じた。

 解錠して中へ入る。俺と操二が隣同士に、長机を挟んで正面に長岡さんが座った。


「まずは長岡さん。病院でのこと、謝らせてほしいんだ」


 口火を切る。長岡さんは特に何も言わず、俺の言葉を待った。


「ごめん。異を唱えるとしてももっと方法があったと思う」

「うん」

「でも俺はあの結末が正解だったとは今でも思えないんだ。一方的にソラちゃんが我慢をするなんて、不公平じゃないか」

「でもそれは……」

「多分、俺の同情も入ってると思う。望んでいない独りが辛いって、それまで多人数だったのが突然取り残されるのって本当にきついことだって知ってるから」


 俺は俯きながら、訥々と語る。そして、顔を上げる。


「だからといって今のままが最善とも思えない。実際島本から依頼もあったし」

「……じゃあ、どうするの?」

(どっちかが我慢しなきゃ、解決しないよ)


 控えめに、それでも意思の篭った目で俺を射抜く。俺は逸らさずに正面からその視線を受け止めた。


「ソラちゃんの退院までは、サッカー部の日曜日の休みに加えて週二で休みをもらえることになった。具体的に言うと火曜日と木曜日」

「え、でも理由は……」

「あー、それについてはオレが我慢したんだよ」


 それまで黙っていた操二がここぞとばかりに口を挟む。俺は開けた口を閉ざした。


「変なプライドで彼女が出来たからー、なんて言ったけどさ? マジの理由なら顧問も納得するじゃん?」

「昨日俺と一緒に頼みに行ったんだよ。……にしても、あれは凄かったね。男泣きってレベルじゃなかったよ」

「あぁー……、あの先生めっちゃ熱血だからなぁ……。予想はしてたけど流石に引いたわ」


 操二は苦笑いしながら立ち上がる。ついでに机に置いた自分の弁当箱も手に取って。


「んじゃオレはそろそろ退散するわ! 悟クン、長岡さん。ありがとな! 二人が居なかったらオレ多分ずっと後悔してたと思うよ!」

「ここで食べていかないの?」

「悟クン、ここは空気読ませてよ? んじゃまたな! マジで感謝してるからさ!」


 爽やかな笑顔を残して生徒会室を出ていく操二。最後までカッコイイな。同性でもそう思わずにはいられなかった。


「……長岡さん?」


 解決策を伝えるなり黙りこくっていたため声をかける。何か思うことでもあったのかな?


「そっか……、そこは譲歩しても良いんだ……。確かにそれなら退院してもサッカー部を続けられるし、一週間の半分くらいは会えるし……」


 長岡さんは人差し指を唇に当て、独り言を呟く。


「俺にはこんな方法しか思いつかなかったよ」

「ううん。私の方法より……ずっと良いよ」

「あはは、そう言ってもらえたなら考えた甲斐があったかな」

「うん、やっぱり宮田くんは凄いね。私なんかよりずっと」

「そんなことないよ」


 本当に、そんなことはない。相手は長岡さん、本心で言っていることは伝わっているだろう。


「んふふ、じゃあ私が宮田くん凄いって言ったのも本心だってわかってるんだよね?」

「……まあ、それが長岡さんの心だったしね。そんなことないと思うんだけどなぁ」

「そう思ってることも私にはちゃんと伝わってるよ。……さ! お昼食べよっか! そう言えば宮田くんってお弁当なんだねー」

「ああ、最近琴歌……妹が作りたいって言いだしてさ。ありがたいことにね」

「ふふっ、シスコン」

「だから違うって!」


 もう俺と長岡さんの間に昨日までのような不自然はない。そんな当たり前に思わず頬が緩みそうになり、俺はその当たり前に目を細めたのだった。

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